見出し画像

アルツハイマー病の母が見せてくれた短気で頑固だった父の愛

母が亡くなってから、まだ一年しか過ぎていない。しかしもうすでに、何年も前のことにように思える。恐らくアルツハイマー病を患っていた母と、意志の通じ合う会話を最後にしたのは、数年前だからだろう。母のアルツハイマー病が発覚してから、涙無くして母と直接会話する事が、難しい事も多々あった。また母の話を知人にする度に涙ぐんだ。まるで、彼女はもう存在しないかのように。ところが、母が亡くなってから、お葬式の時を除いて、私は一切涙を流さなくなった。数日前母が夢に出てくるまでは。

先日一周忌のために、帰省した時に父は、事あるごとに母の言動や、母のためにしてきたことを会話に出した。それもそのはずだ。40年以上も一緒に暮らし、さらにここ数年は、母の身の回りの世話を、時にはめんどくさいながら、時にはそんな時間を楽しみ毎日ずっとしてきたのだから。母が亡くなった時、私が知る限り最初で最後の大声を出して泣いた父は、もうすでにこの世に居なくなった母とまだ心の中で一緒に暮らしているのだ。

子供の頃から両親がすごく仲がいいと思ったことはほとんどなかった。幼少期、夜中に父が母を怒鳴り、母が泣いているのを見て自分も泣いている記憶が強い。

高校時代、母に何度も働くから離婚すればと勧め、当時夫婦喧嘩の理由は、父に全てあると思い込み、反抗期真っ只中の私は、父とほぼ口を聞かなくなった。将来、父のような人とは一緒になりたくないとも思った。

一度口を聞かなくなると、どこで自分が折れるべきなのか分からなくなり、そのまま海外留学、就職とそのまま父とはほぼ必要最低限の会話しかしなくなってしまった。

フェイスタイムやライン電話が存在する前は、実家に電話すると必ず父が出る。そして、すぐ母に電話は渡された。私と父の間に会話は交わされない。一年に一度帰省しても同じだった。母と会話をするが、父との会話はほぼなかった。

母のアルツハイマー病が始まった初期、本人はもちろんのこと家族中が戸惑った。また、母がアルツハイマー病を患うには、かなり若かったため病名を診断されるまでに、時間がかかった。それが、ますます家族を混乱させた。当初は、母も仕事を続けており、当時はまだ気が短かかった父は、母が度々仕事で間違え、連絡事項を忘れることにあからさまに苛立ちを見せ、時には怒鳴り散らした。

私は、父のそんな姿を見てとても心配になった。アルツハイマー病はストレスを感じると進行が早くなると本で読んだからだ。

ところが、私の不安をかき消すように父と母の関係は、母の病気が進行するにつれて以前とは全く違う方向に変わっていった。

父が、家事を手伝い始めたのだ。これは、普通の家では当たり前のことかもしれない。しかし、父は母が元気な頃は、家事は女がする物だと、炊飯器でのご飯を炊き方も知らないくらい一切手にしなかった。ところが、母が色々できなくなるのと反比例して、父はレシピを調べ、月間の料理雑誌を購入し、料理の腕はどんどん上げていった。

私は、一年に一回ほどしか帰省できなかったために、父の変化をしっかり見ることが出来た。そして毎回帰るたびに父の調理の手際が良くなることに、驚きを隠せなかった。

父の変化は料理だけではなかった。母の身の回りの世話の細やかな気遣いには目を見張るものがあった。最も驚いたのは、化粧の仕方を化粧品を購入する時に教わり、毎朝母に化粧をするようになったのだ。最後の数年、母はデイケアに通っていたのだが、そこへ行くためだけに、父は毎朝せっせと母に化粧水から、美白クリーム、ファンデーション、口紅とあえていったら、私の適当な化粧の仕方よりずっと丁寧に母の顔を綺麗に仕上げていった。月に一度美容院にも欠かさず母を連れていった。

母がまだ、ある程度の行動が可能の頃は、運動すると脳の活性化に役立つと聞きジムへ週数回送り迎えをし、冬になれば、母が風邪を引かないように夜は暖かいパジャマをきせ、夏は喉が乾いてはいけないからと、紫蘇ジュースを手作りし、父の生活は仕事を続けながらも、母の健康のために全てを尽くしていくようになった。

今でも忘れられない。母とワインを少しだけ飲んだ夜のこと。お酒にもともと強くない母は、すぐにほほがうっすらピンク色に染まった。それをみて、父は、ほら可愛くほほが染まっちゃたなあと言うのだ。私は耳を疑った。気難しく昭和を代表するようだった父が、母を可愛いなど口に出して言うとは夢にも思わなかったからだ。

母が亡くなって、初めて父と二人きりの時間を過ごすことになった。アルツハイマー病があったものの、わたしたちの間にはいつも母がいた。ところが、母が亡くなってはじめて、二人きりになり、会話を交わしていると父が母をいかに愛してたかがわかった。母の服など要らなくなったものを片づけ始めたものの、家中にある母の面影に心が重くなっている私に父は言った。思い出がなくなるのは寂しいからすぐに片付けなくてもいいよ。

父も当然まだ、心に区切りがついていないのだ。片付けは、次回帰国した時のしようと思った。

子供の頃から、あんなに父が苦手で、母は不幸だと思い続けていた私には、今の父は別人のようの思える。二人きりになり会話をすることで、今まで知らなかった父が見えた。父は、母に精一杯の愛情を注ぎ込み、またその姿を恥ずかしげもなく私に見せた。まるで、母は父に愛情とは何かと私に見せるためにアルツハイマー病になったのではないかと思わせた。アルツハイマー病の初期、母は父と一緒で幸せだと私にいった。その時、私はその言葉を信じなかった。でも今ならわかる。母はとても幸せだったのだ。そして父は母をとても愛していたのだ。

母のおかげで父の深い愛情を見た私にも心の変化があった。

皮肉なことに、仏壇に飾ってある母の写真は、私の既に亡くなってしまった元夫との結婚式の時に撮った写真だった。最後はとても痩せ細った母であったが、その頃はかなりふっくらしており、父を弟たちがその写真を選んだ。仏壇の前でお線香をあげながら、私は母に語りかけた。私も、お父さんのような最後まで私を愛してくれる人を見つけるよ。

#忘れられない恋物語 #エッセイ #創作大賞2022 #アルツハイマー病

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?