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叶わなかった夢も、ときには思い出さなきゃいけない

GW中にやりたいことの一つである”プロ野球観戦”を、今日してきました。
それも、”二軍戦の観戦”です。

昨年まで、19年間野球を続けた僕にとって、単なる野球観戦だけに留まらなかった瞬間でした。

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そもそも、二軍戦を選んだ理由は、本能的なものです。
「一軍よりも二軍を見てみたい」と僕の直感が言っていたので。
(GWだから一軍戦は混んでる、ってのもありますが…)

野球をよく知らない方もいると思いますが、プロ野球には12球団あり、そのすべてが一軍と二軍(球団によっては+三軍)にわかれています。
新聞やTVで見るものはすべて一軍の結果で、二軍のことを知る機会はそうそう多くありません。
二軍には、一軍での活躍を夢見る若手や、全盛期の過ぎても踏ん張っているベテランなど、華やかな一軍とは違う世界でプレーしているのです。

一言でいえば、泥臭い。
そんな泥臭さを見て、「僕も何か感じるのかな?」と期待していたのかもしれません。

※ちなみに、巨人VSロッテの試合を観に行きましたが、理由はありません。家から一番近いから。

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僕も、プロ野球選手を夢見る少年でした。
小学校の集会で、「将来は大リーグでプレーしたいです」とスピーチしたのをはっきり覚えています。
でも、叶わなかった。諦めてしまった。
27歳の昨年まで野球にしがみついていましたが、プロ野球選手になる夢は中学校ぐらいですでに諦めていました。

社会人になって、プロ野球を観に行くとき、いつも複雑な気持ちになります。
もちろん、豪快なプレーや感動する試合を観るのは楽しいのですが、それ以上に強い気持ちがこれです。

僕はプロ野球選手になれなかった」と。

僕の目の前でプレーしている人たちは、成績はどうであれ少なくともその夢を叶えた人たちであって、それを見ている僕は叶わなかった人。
その現実をいつも突きつけられているようで、ここ数年の野球観戦は正直あまり気持ちのいいものではありませんでした。

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そんな中、観戦した巨人VSロッテの二軍戦。
誰も誘わず一人で行ったので、いろんなことを考えながら見ていました。

「プロ野球選手になったときはどんな気持ちだったんだろう」
「一軍でプレーするイメージはどんな感じなんだろう」
「二軍にいる人は全員メラメラしているのかな」
「”巨人”って看板はプレッシャーなのかな」
「どんな気持ちで野球をやっているのだろう」

華やかな一軍ではなく、泥臭くプレーする二軍を観たからこそ、感じるものが多くありました。
二軍にいるということは、明るい未来も暗い未来も想像できるわけだし、明るい過去も暗い過去もあったのだと思います。
つまり、一軍の選手よりも感情移入しやすい存在だったのでしょう。

「プロ野球選手になる」という夢を叶えたものの、晴れ舞台を夢見て泥臭くプレーする選手たちの姿を見ると、やはり複雑な気持ちが押し寄せてきました。

「なんでプロ野球選手になれなかったのだろう」
「諦めた理由は何だったっけ」
「もう少し努力してたら結果は違ったのかな」
「でもなんで野球頑張れたんだろう」
「なんで社会人野球までしがみついたんだろう」

プロ野球選手になれなかった自分、それでもまだ野球が好きでプロ野球選手を観に来ている自分が確かにいて、二軍といえどもプロ野球選手がより一層輝いて見えた瞬間でした。
その輝きを目の当たりにするのが次第に辛くなったので、5回が終わった時点で球場を後にしました。
感情が抑えきれなくなって。

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19年間野球にしがみついて、僕はやり切りました。
何の才能もない下手くそな僕。大学2年のときには140km/h近く投げていたのに、最後は110km/hぐらいしか投げれなくなっていた僕。
社会人野球という高いレベルでプレーできて、「これが限界だな」とはっきり知ることができた19年間でした。幸せな野球人生を過ごせて感謝です。

昨年まで野球をやっていたので、「すぐに野球がやりたくなるだろう」と予想していたのですが、今日の今日までその気持ちが起きていません。
むしろ、「野球なんてやりたくない」と思ってしまっているほど。ボールを触ることすら今は求めていない。
それは、心底やり切ったからだと思っています。

ですが、野球をやりたくないもう一つの理由に、今日二軍戦の試合を観て気付きました。
夢が叶わなかった自分に気付くのが怖いから」だったのかもしれません。
実際、試合を観るのが悔しすぎて。辛すぎて。
僕だってプロ野球選手になりたかったし。

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でも、この感情もたまには必要です。ときには思い出さなきゃいけません。
夢が叶わなかった自分を自覚しなきゃいけないのです。

大なり小なり、叶わなかった夢なんていっぱいあります。
僕だけじゃなく人類みんなそうでしょう。

でも、叶わなかった事実は思い出さなきゃいけない。
叶わなくとも全力を尽くした過去の自分の姿を。その悔しさを次の夢にぶつけている今の自分の姿を。そして、その夢を叶えている未来の自分の姿を。

だから、叶わなかった夢も、間違いなく自分にとって大切な一部
目をそらさず、また、頑張った自分を褒めながら、また前へ進めばいい。

努力をせずに夢が叶った人と
努力をしても叶わなかった人
たとえ僕は叶わない人だとしても
この足を止めはしないだろう

PRAYING RUN/UVERworld

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