その痛み、わらべの? それとも野ばらの?|ゲーテの詩を AI 翻訳してみた DeepL 篇
AI 翻訳を使ってみよう! という言語ビッグバン講座のフォーラムでゲーテの「野ばら」の Papago 訳を紹介して分析した後、私は同じ歌詞を DeepL にもかけてみた。
Sah ein Knab' ein Röslein stehn,
Röslein auf der Heiden,
War so jung und morgenschön,
Lief er schnell es nah zu sehn,
Sah's mit vielen Freuden.
Röslein, Röslein, Röslein roth,
Röslein auf der Heiden.
小さなバラが立っているのを見た少年。
Röslein auf der Heiden,
若くて朝がきれいだった
彼はすぐに走って近くまで見に行った
そして、多くの喜びをもってそれを見た
レッスリン レッスッリン レッスリン ロース
Röslein auf der Heiden.
Papago 訳と比べると DeepL訳は正確さが増していた。
少なくとも「おなら」は出てこない(その分、つまらないが)。
2節め →
Knabe sprach: ich breche dich,
Röslein auf der Heiden!
Röslein sprach: ich steche dich,
Daß du ewig denkst an mich,
Und ich will's nicht leiden.
Röslein, Röslein, Röslein roth,
Röslein auf der Heiden.
少年は言った。「お前を壊してやる」と。
Röslein auf der Heiden!
Röslein said: I prick thee,
それは、あなたが永遠に私を覚えているためです
そして、私はそれに苦しみません
レッスリン レッスリン レッスリン ロース
Röslein auf der Heiden.
直訳だが、読解はまあまあ合っている。「レッスリン ロース」は除いて。
しかし、「私はそれに苦しみません」の「それ」って何? 少年に「壊される」こと? それとも私のトゲであなたを刺すこと? どっち?
1節めと同じように「野における小さなバラよ」というリフレイン
Röslein auf der Heiden!
は、日本語訳のウィンドウで原文のドイツ語をそのままアルファベットで表示していて、翻訳していない。
3行めが面白い。
Röslein sprach: ich steche dich
小さき薔薇は言へり:我 汝を刺さん
(小さなバラは言った、私はお前を刺すつもりだ)というドイツ語が、
Röslein said: I prick thee,
日本語ではなく英語になっている。
二人称が you ではなく thee という古語で、これはドイツ語の dich に正しく対応するので you よりも正確と言える。
だが、日本語訳するよう DeepL を設定しているのに、この行だけ英語になったのは、なぜだろう? とりあえず保留にして3節めを見る。
Und der wilde Knabe brach
's Röslein auf der Heiden;
Röslein wehrte sich und stach,
Half ihm doch kein Weh und Ach,
Mußt' es eben leiden.
Röslein, Röslein, Röslein roth,
Röslein auf der Heiden.
そして、ワイルドボーイが壊れた
's Röslein auf der Heiden;
レッスリンは抵抗して刺さった。
しかし、痛みも悲しみも彼を助けなかった。
彼は苦しまなければならなかった。
レッスリン レッスリン レッスリン ロース
Röslein auf der Heiden.
突然「ワイルドボーイ」とはゲーテもびっくりだろう。
原文の wilde Knabe は「粗暴な青年」なので英訳すれば wild boy だが、日本語訳を指定しているのに、どうして英語のカタカナ読みの「ワイルドボーイ」になったのか。
「壊れた」も DeepL の誤訳である。
原文の1行めの最後にある brach は英語で言えば broke で「壊した」であり、次の2行目の全体がこの動詞の目的語になっているので、野における小さなバラを「壊した」である。これは、2行目の最初に「's」という定冠詞 das (英語で言えば the )の省略形が入っていることから明らかだ。
つまり、「そして、その粗暴な青年は、その野ばらをポキリと折った」と次の行へ続けて読む。「わらべはみたり」で始まる日本語歌詞の3番では「わらべは折りぬ 野中のばら」となっている。
でも、それよりも気になることがあった。当時の私の投稿から引用する。
指摘すべき点としては、3つめのスタンザの4行目 Half ihm ... で始まる行の訳。ドイツ語の ihm は「彼を」(英語の him )という意味で、DeepL 訳は「痛みも悲しみも彼を助けなかった」となっています。
ただ、いろいろ調べてみると、ゲーテのオリジナルでは Half ihr ... (英語の her)となっていたらしく、これは女性形でつまりバラのことを指しています。
「痛みも悲しみも*彼女*を助けなった」
意訳すれば「泣こうがわめこうがどうしようもなかった」ということです。
ゲーテがもともと書いた ihr「彼女を」 が、なぜ ihm「彼を」になったのでしょうか?
あとから気づいたのだが、 Papago 訳をした時、私はゲーテがもともと書いたオリジナルの、 ihr となっているほうの原文を入力していた。ややこしいことに、ドイツ語の ihr は二人称の敬称である「あなたがたは」にも使う。だから、 Papago 訳ではここを二人称に解釈して、次のように誤訳していた。
君たちが痛かったり、痛みを感じなかった時
痛かったのか、痛くなかったのか? 「君たち」や「あなたがた」ではないことはたしかだが、誰の痛みのことを歌っているのだろう?
ihr 「彼女」である「野ばら」の痛みなのか、
ihm 「彼」である「少年」の痛みなのか。
ポキリと折られた時の野ばら(彼女)の痛みなのか、
野ばらのトゲに刺された少年(彼)の痛みなのか。
ドイツ語の名詞には、男性、女性、中性があり、それぞれ定冠詞(英語の the )の形が変わります。月は der Mond (男性)、太陽は die Sonne (女性)、「こども」は das Kind (中性)です。
「女性」という意味の Frau は die Frau (女性)ですが、若い未婚の女性を意味する Fräulein は das Fräulein (中性)です。同じように、バラは die Rose (女性)ですが、小さなバラは das Röslein (中性)です。
そして、Half ihm ... の ihm は実は「彼を」(男性)と「それを」(中性)の両方に使う代名詞なので、小さなバラ das Röslein の痛みと悲しみのことを指すのであれば、ドイツ語の文法的には ihm が正しくなります。では、なぜゲーテは文法的には正しくない ihr 「彼女を」を使ったのでしょうか?
中性名詞の das Röslein (小さなバラ)のことをうけて「痛みも悲しみも(その小さなバラを)助けなかった」を文法的に正しく Half ihm doch kein Weh und Ach ではなく、あえて女性の代名詞 ihr を使って Half ihr doch kein Weh und Ach とゲーテが書いたのは、そうすれば「小さなバラ」で表現しているカワイコちゃんのことを言っているのが明確に読者に伝わるからです。
ihm は男性名詞にも使うので、「痛みも悲しみも(その少年を)助けなかった」つまり、バラのトゲに刺された痛みも悲しみも少年には役に立たなかった、と読者が読むのを避けるためでした。
文豪ゲーテは「痛みと悲しみ」を感じたのがこの小さなバラ(で喩えたカワイコちゃん)のことであり、バラのトゲで刺された少年(いえ、青年、若者というべきでした)ではないことを読者にはっきり示すために ihm (文法的に正しい性別である中性)ではなく ihr (書き手がほんとうに表現したい存在の自然な性別である女性)を使ったのです。
ところが、ある時期に「ゲーテ全集」なるものが出版され、編集者が「おっと、これは文法的には ihm が正しい。直さなくては!」と考えてゲーテの意図を深く考えもせずに ihm に修正して出版しちゃったんですね。
で、この全集からこの詩を引用した人たちのおかげで ihm がドイツ中、世界中に広まってしまったのでした。文法的に正しいけれど作者の意図を無視したこの ihm にゲーテさん、天国から「ちがう〜!」って叫んでると思います。
DeepL訳の誤訳を修正してみました。(4つめのスタンザだけ)
そして手荒な若者は小さなバラを手で折った
野に咲く小さなバラを
小さなバラは抗(あらが)い、若者をトゲで刺した
だが、痛みと悲しみをどんなに訴えても空しく(小さなバラの抵抗は)彼女を助けなかった
(彼女は)ひたすらそれに耐えることしかできなかった
小さなバラ、小さなバラ、小さな赤いバラ
野に咲く小さなバラ
DeepL 翻訳は Papago 翻訳よりもかなり正確だったが、致命的な誤訳もある。しかし、「日本語訳はできないけど英訳ならできるよ。I prick thee. どう? これでゆるしてね!」みたいな頑張りがカワイイ。
講座の参加者のひとりでAI翻訳のシステムに詳しいMさんと 講座専用の Facebook グループでやりとりしていた時、 DeepL は実際にまずドイツ語から英語に翻訳しているらしいことを知った。あいまいな言い方で恐縮だが、私の背景知識の限界なのでおゆるし願いたい。ゲーテの有名な詩は、世界中の英語ユーザーが、 DeepL で英訳しているだろうことは想像できる。
フォーラムには書かなかったが、あとでネットサーチして古い英訳があることもわかり、その英訳にはまさに I prick thee という表現があった。
*記事中に引用した DeepL の翻訳は 2021年8月当時のものです。DeepL は日々進化中のため、現在は引用とは異なる訳が表示される場合もあります。
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