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【3】苦労は買ってでもしなさい

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精神安定剤、抗不安薬が処方され投薬を開始。
飲めば治るような簡単な物ではなかった。
それどころかアカシジアの副作用に悩まされ、下肢に耐え難い不快感を感じ、じっとしていられない。これはきっと経験者にしか分からない。本当に辛い。
余談だが断薬から4年経つ今でも下肢に不快感が蘇り眠れなくなる事がある。

では、服薬して何が起こるのか。
数時間ぼうっとした頭でただ1日が過ぎる。
確かにパニックは起きなかったが鎮静作用で何事にもやる気が起きず、ただ呼吸をしていた。
どうやら体内に薬剤が蓄積していくらしく、徐々にこの状態がデフォルトになった。この頃私は車の運転で事故を起こした。日常的に幻覚を見るようになっていた。

運転中視界の端から人が車道にふらっと出てきたり、普通に考えたらあり得ない身長の高さの男の人が見えたりした。(実際にそれは電柱とかゴミ集積の箱だったりする)

こんな状態でもなお、父には言えなかった。
体調が悪い、と自宅に居れば「どうしてお前はそんなに弱いんだ」とちくちく言われるので、仕事は休まなかった。休む方が辛かった。
勤務先の病院では早々に戦力外通告されており、使い物にならないので出勤してすぐ処置室のベッドで寝かされていた。

何の役にも立たず、他人に迷惑ばかりかけ、自分が何故生きているのか分からなくなった。
こんな人間が生きていて申し訳ないと思うようになった。

この辺りから猛烈に病が進行。
完全に鬱病にかかり、仕事を退職。
傷病手当や医療費控除など国のお世話になり命を繋いだ。

父親との物理的距離が必要だと判断した精神科医が様々な手を尽くし役所の手を借り、実家の近隣に単身で住むことになった。
しかし精神的に楽になった筈が、これまで父の側で張り詰めていた糸が切れたことで完全に引き篭もるようになってしまった。

死にたいと言いながら生きる為に薬を飲む。
四六時中部屋のカーテンは開けられず、体に掛かる重力がとてつもなく重かった。1日中床から動けない事もザラで、食欲もなく体は痩せていった。
外出に対する負担が大きい為、2週に1回の通院もままならなかった。

精神科は纏まった量の薬は処方しない。
「発作も落ち着いてますし、通院のペースを下げたいです」と和やかな表情の患者に言われるがまま多量の安定剤を処方すれば、オーバードーズ(薬物過剰摂取)の危険性が高いからだ。
私が思うに、精神患者は元気なフリをするのが上手い。瀕死の患者が死ぬ間際に急激に一時回復する事と似ている。

当時の自分がどうやって通院をこなしていたのか良く思い出せないが、主治医が非常に心療内科向きの優しい先生だったからか、結果として何とか通院していた。

しかし現状、希死念慮あり、服薬の管理も不十分、自らの清潔も保てず、食事も取れない。
カウンセリングの中で精神科病院での療養(入院)を勧められ、ここで理解を得られていない父親の存在が引っかかった。

主治医は私にこう話した。

「次の受診の時にお父様も一緒に来て頂けますか」

「病状とこれからの治療方針について私から説明します」


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