苦労は買ってでもしなさい
なにかにつけて言われ続けてきた言葉。
「他人の嫌がる事を率先してやりなさい」
「苦労をした分いずれその行いが自分自身を助ける」
黙って聞いていた頃の幼い私に説きたい。
自分がやりたいことに伴う苦労以外は選んではならないと。
いざ、己は何がしたいのかと問われた時
初めて自分を中心に物事が考えられないことに気が付く。進路に躓き、就職に躓く。
辛い道を這う事で手に入るのは成長というより、特定の圧に合わせた適応性が身についているだけだ。
こうならなければ生きていられないから適応する。自分を殺すことに慣れてしまう。
気付いた時には全てが遅い。
私は辛いでしょう、苦しいでしょうと同情される仕事以外選べなくなっていた。
自分が苦しい道を選ぶ事を周りは皆望んでいると、本気で思っていた。そしてそれに応える事で自分は初めて認めて貰えるのだと。
高校を卒業した私は就職の道を選択。
(進学できるような学力も資金もなかったが)
18歳当時の単純な頭で考えた結果、家族のため睡眠時間を極限まで削って働くことが手っ取り早く同情を得られると思った。
「父に良い生活をさせたいから」「墓に布団は着せられない」「親孝行したくて」…
高齢の父を持つ私は悲劇のヒロインを演じるネタには困らなかった。正直父に対してそこまで綺麗な感情は抱いていない。
お涙頂戴、同情が買えればそれで良かった。
フルタイムで介護病棟の激務をこなし、終わればその足で夜の繁華街へ出ていく。
深夜の2時頃まで働いて帰宅する頃には3時過ぎ。
バッチリ盛られたヘアセットを手櫛で崩し、何十本刺してあるのか分からないヘアピンを雑に引き抜いていく。
メイクを落としてシャワーを浴びてベッドインするのが4時。気絶するように入眠。
そして6時には目覚ましが鳴る。これをほぼ毎日繰り返す。
常に睡魔と戦っていたが、すぐには体は壊れなかった。
入社当時18歳、若かったのだ。
同級生が進学し学生らしいキラキラした生活をしている中、私は趣味も娯楽も持たず狂ったように働いていた。可哀想な自分が好きだった。自ら進んで惨めな道を選び、貴重な時間をかなぐり捨てる。
そんな生活を2年近く繰り返した。
いつものように勤務をしていたあの日、突然の強烈な目眩と全力疾走した後の様な激しい動悸が心臓を襲った。呼吸が苦しい。息を吸っても全く酸素が入ってこない。視界がぐるぐると回転し目を閉じていないとその場で嘔吐する程だった。
肉体より先に、私は精神を壊した。
幸いにも病院勤務。
様々な検査を受けた結果、私のカルテに書かれた病名は“パニック障害”“自律神経失調症”だった。
風邪すらひかない超健康体で生きてきた自らの病歴にいま、精神病名が走り書かれている。
「薬を処方する為に病名が必要だからだよ、(病名は)あまり気にしないで」と医者は言った。
その後も医者はなんだか色々説明をしていたが、良く覚えていない。
(父親には口が裂けても言えないな)
(今日の夜仕事いけるのかな)
そんな事だけをまわらない頭で考えていた。
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