息子・幼稚園小学校の巻③

これは
単なる自分の子育て思い出日記です笑
今では、対等に…
いや。
それ以上に生意気(?)になり、母を負かす息子のまだまだ、小さい頃の話。

🌱

何でも一緒!

恐らく…
どの子供たちもママ・パパと同じことが大好き!
真似っこも…
初めは、ママの真似して

たまたま…
元旦那様の転勤で
友達がいない土地での生活の中、
時間潰しのために、通った幼児教室。

「お母さん!  
息子さん凄い。よくできる‼️」

なーんて。
嬉しくて😊

地に足つけずに踊って舞って…
そのまま、
附属のついた私立のその辺で有名なお受験幼稚園に入園。

ん?
公立で良かったはずなのに……
(心の声笑)

時に
考え方に変化もある

今も昔も
私立だとか公立だとか…
偏見もないし、
必要なのは"環境"

🌱

こうして、
泣き虫の息子は、附属の私立幼稚園に入園した。

教育意識の高い保護者の中、
親子で沢山の"情報"と"環境"を学んだ……

元々、知育系の学びも好きで、
好奇心も旺盛な泣き虫さんは、すぐに順応し

ちょっぴり、 
ママも頑張って順応。

たくさん食べるわりに
動きが活発だからか、まったく太らなかった息子は、
かまわれの対象。
ある日、やんちゃな友達に上履きを取られた…
心の中の勝ちっきな性格に火をつけ
取り返す。
でも、よほど悔しかったのだろう。

家に帰り、
悔しくて泣いた。

その頃から
"泣き虫" だった彼に変化が現れる。

人前で泣かない

あんなに
いつでもどこでも泣いていたのに……

心の中に宿る何かが、
ムクムクと現れたのだろう。

🌱

幼稚園から大学まである系列学校

泣かなくなった彼は、いつの間にか
お山の大将のような存在へとなっていった

決してジャイアンではない
どちらかと言えば、
ポケモンのさとしだろうか…

我が道を行くが、いつも友達がそばにいる。
クラスや学年の代表的な存在となり、先生からの信頼も厚く、いつでも頼ってもらっていた。

だから、
小学1年生の入学式では、
入学生代表となり、母と考えた祝辞を堂々ということができた。

ざっ。優等生

そんな言葉が、学校での印象となっていた。

が、

学校で溜め込んできたストレスは、
家の玄関を入るまで、我慢に我慢!

お友達にきついことを言われたとき、
何かの代表になれなかったとき、

顔を出すのは
"泣き虫ちゃん"

→私立あるあるだと思うが、この学校はなんでも選抜メンバーを決めるというやり方をしていた。 運動も音楽も、自分が希望する物には必ずオーディションが必須だ。

玄関のドアがパタン!としまった…
その後、崩れるように泣く息子を何度も見た事がある。

体の成長が平均よりもかなり早かった彼は、小学5年生頃にニキビが出始め、大人への成長をどんどんしていった…
心はまだ子供のまま。

「みずいぼだー」

そんな、子供達同士の素直な会話も
家に帰り、
玄関の前で、「水いぼじゃないのに……」

小学5年生の彼に
クレアラシルを買ってやった……

うちの顔…そとの顔

使い分けるのが上手になった。

学校の先生とはなぜか仲良しで、
期待してくれて、可愛がられていたんだろう。

でも、小学4年生の時の担任だけは違った

人の心は鏡。

尊敬もできず、なんとなく毛嫌いしてしまっていると、相手も他先生とは違う評価で

「お母さん知ってますか?
あなたの息子は悪ですよ!」

初めて言われた言葉だった。
「ん?   悪とは?」
聞き返す言葉に、
「お母さんの知らない顔がある。
どうしようもない…」

個人面談で
ただ一言 " 悪 " そう言われ、
じゃあ、どうなんだ?
どうすればいいのか?
その言葉もなく、非難だけをされて学校を後にした。


先生とは
もし、なにか子どもが間違いを起こしていたら
正しい道を促すことや、話を聞いてあげることをするのでは?

多分、
その先生は息子が嫌いだったのだろう
心の中だけにしまっておくべきだったのに…

クラスの中が騒がしいある日
イライラとしてしまった担任の先生は、教壇から自分のボールペンを投げた🖊
そのペンが、息子の頬に当たった。

絶対にやってはいけないこと!!

その時に、
息子の中で、今までのその学校への信頼や母校愛がなくなり……

「中学受験して外部に行きたい」

🌱

5年生夏休み終わりの頃、
そんな言葉を言われ……

そうね。
自分で考えたのなら、いいと思う。
でも、簡単ではないよね…と。

中学受験の勉強と
ハードな小学校の勉強と宿題

出会った 進学塾 は 大手でもなく
"学び"を教えてくれる信頼できる先生がいた
詰め込むだけの学習ではなく
学ぶことが楽しいと思うように。
中学受験の勉強の合間に
歴史の面白さから、巻物を自分で作ってみたり
調べたものをどう残すか…
研究とは形にしておくべきこと…

とても良い先生だった。

通学していた幼・小・中・高・大とある学校から外部中学校受験をするなら
すぐに公立小学校に転校し、他を目指すべきだった。

小さい頃に培った “負けん気の強さ"
事あるたびに選抜メンバーを選ぶ事で、
どうしても1番を6年生の時に取りたいものがあった。

毎年
日産スタジアムで開催される "マラソン大会"

その学校は幼〜高までの体育祭を
日産スタジアム貸し切って行っていた。
マラソン大会は、
低学年1〜3年生の部と高学年4〜6年生と別れる。
6年間の中で、ほぼ上位に入賞してきた息子は1番大きな学年で、1位を取ることを小さい頃からの目標にしてきた。

でも、秋にあるその大会に参加するためには
学校に黙って中学受験をしようと考える私たちには残酷なことだった。

その大会で、
小さい頃からの 全学年で "1位" をとった彼は、夢を叶えた……

しかし、
やはり、外部への中学受験を隠すことはできなくなった。
先生たちは、風邪を理由に外部の試験を受けにいっている息子を怪しんだ。
そして、
担任の先生だけではなく、
教科の先生から学年の先生から、
1人の12歳の男の子を、休み時間ごとに先生たちが呼び出し、「真実を言いなさい」と、問いただした。

受験へのストレスも重なり、

その日、
外部への中学受験が公となった1月20日

息子は8年間お世話になったその学校に2度と足を向けることはなくなった。

そして、

たくさんの涙の中、卒業だけはさせてほしいと嘆願したものの、許されず

1月31日付 退学となった小学生。

2月1日から始まる外部中学受験は

失敗に終わった……

精神がぼろぼろとなってしまった。

あと、2ヶ月。
在籍だけされてくれるだけでいい。
卒業だけさせてくれればいい。
他の子どもに示しがつかないのなら欠席しているから…
その願いも叶わず、
友達もいない近くの公立小学校に転校となった。

2ヶ月といっても、3月に入れはすぐに卒業だから正味20日間ほどの公立小学校。

そこも
行かないで欠席でも…名前だけで卒業はできたはず。
でも、なんか、その時は負けちゃいけない。
行かせなきゃダメだと
母は、心鬼にして誰も知らない学校に行かせた。

小学校卒業。

公立中学校に入学。

先生方の信用・信頼を裏切り、他の中学校への受験をしようとしていた我が家が、先に裏切ったのだから、仕方ない。

そう思うことにした。

でも、
その代償として
息子の心に大きな傷を残した。

「先生が怖い」

この後、中学校に入り
先生と名のつく者への恐怖心が、
出席を取るために名前を呼ばれるだけで、
ドキドキとなり、返事ができず…
「吃音」となり、
精神科へ母と行くことになる。

私のなにが間違っていたのか

今でも、このことを思い返すと
夕方の暗い小学校の教室で
退学届を提出しなければならない時に
「なんとかならないかと」とただ、ただ謝ってお願いして頭を下げた光景が蘇る

寒い1月下旬。

私はすごく汗をかきながら
泣いてお願いしたことを……

子育てには間違ってしまうこともある
これは間違っていたのかな?
でも、過ぎ去ってしまえば

思い出話

ここから、
暫く「吃音」と「先生嫌い」の中学校生活が、
好きな野球に救われながら
始まっていきました。

この経験からも
" 先生 "って、大切な存在。

野球少年でよかった…………⚾️⚾️

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