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ミニマム思考がケースワークに役立っている話。

「ミニマリスト」と、呼ばれる人たちがいる。
数年前から日本国内でも認知されてきている人たちだ。

少ないもので暮らしつつも、自分にとって大切なものに焦点化し、それ以外のものは極力削ぎ落としていく生き方。

表面的なものは、持っている物質の圧倒的少なさだ。
でも、真髄は精神的なものだと思っている。

自分の名前に「ミニマムな暮らし」と添えたのは、私自身もその暮らしぶり、精神的なあり方に大いに刺激を受けているからだ。それは個人的にもそうだし、精神保健福祉士として利用者さんたちと関わっている中でもである。

はじめて彼らのように生活費や物質的なものを最小化しながらも精神的な豊かさを体験しながら日々を暮らしていることを知ったのはまだ実家暮らしだった頃だ。

わたしが関わらせていただく人たちの多くは生活保護を受給している。
あるいは、障害年金とご家族の支援、あるいはご本人の就労によって得た収入で生活をしている。いずれにしても、日本国憲法で定められている「人が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障する制度である生活保護が定めている生活費の基準前後で暮らしている人たちとわたしは多くの時間関わりを持っている。

利用者から繰り返し言われることの一つに、
「お金がない」
「保護費では生活費が少ない。制限が多い」

などがある。また私たち支援者からしても、様々なサービスを利用する際に、『生活保護内だと利用できる資源が限られている。利用できても、ご本人にとって日常生活に回すお金を殆ど捻出できず苦しいだろうな…厳しいな』と感じることはケースワークをする上で度々起こっている。おそらくわたしだけではないと思う…。

当時、わたしは実家暮らしだったので、本当には自立した生活をした経験がないまま数年いた。
生活保護の基準内で生活することがどの位厳しいのかが本当にはわからず支援していたところもある。
まして、わたし自身も実家暮らしではあったがあまりお金を使わない性分だったので、正直十分な金額じゃないかと思っていたくらいだった。

そんな時に彼らミニマリストと名乗る人たちの暮らしがブログやYouTubeなどでオープンに分かち合われるようになり、人の暮らしを覗ける機会をもらうことができた。

そのおかげで、わたしが感じたのは、本当にただ一人暮らしするだけなら大してお金はかからないんだなということだった。仮に彼らが生活保護になったとしても、むしろお金があまりそうなものだ。その余ったお金で生活の満足度を上げることは十分にできそうだと思えた。

彼らには卓越した社会にある資源を活用できる能力があり、とても素晴らしいなと思っていた。
あるミニマリストさんは「街と一緒に暮らす」とよく発信されていますが、それって実は皆んなしていること。本当はね。
でも、それが斬新と起きてくるのが今の日本の世の中なのかな。

精神保健福祉士として、すま個人として、痛感することは
「本当に自給自足で生きている人なんて殆どいない。多くの人が世の中のサービスや制度、物質的なもの」に依存し生きている。社会資源を活用することは何も悪くないし、弱くもないし、逃げでもない。情けないことでもない。」

そう思っているのでとても共感してしまいます。

「自立」という言葉があるが、利用者さんの中にはよく辞書に書かれているような意味で頑張ろうとしすぎる人がいる。自分ができることはやる。でも、生活とはとんでもなく長いマラソンのようなものだ。ずっと走り続けることはできない。世の中にある資源を上手に依存して、走り続けられる肉体を維持しなければゴールまで辿り着けない。しかし、何かを頼ることは甘えだとか何とか、何らか自分に大して許せない思いを抱えている人たちがいる。

※「自立」については、以前別の記事でテーマにして話してみたことがあるので、よかったらそちらも読み物として開いてもらえたら嬉しい。


さて、脇道にそれましたが、そうそう。
ミニマリストさんたちの思考が世の中に広まってくれたこと。
今わたしが関わらせていただいている方々の生活に関わらせていただく上で、わたし自身にとても軽い気持ちを抱かせてくれます。

「生活保護でも、きっと工夫次第で豊かに暮らせるのではないか」と。

そして、そのためにわたし自身が自分の人生で今、ひとつ実験していることは、自分自身が生活保護の基準内でどの位満足感を得た暮らしができるだろうかということ。いわゆる節約、修行的な感じでもなく利用者さんにも共感してもらえるレベルの暮らし。

わたしは実際には、ミニマリストではない。
ミニマムな暮らしを自分なりの形で生活に落とし込んでっていうレベルです。
一人暮らしですが、だいたい1ヶ月13万円位で生活しています。
これは都心における1ヶ月の生活保護費の基準とそう相違はないかと思う。
今もし、自分が生活保護の申請が必要な処遇になったとしても、セーフティーネットとして自分自身が躊躇せず申請できるスタンスで、生活保護と向き合っていたいと思ってやっている。

ちなみにこの13万円の中には、利用者からあまり聞かない使い道として整体やちょっと高めの美容院代、ウォーターサーバー代等が含まれている。
利用者さんに当てはめてみると、こうしたお金をタバコや趣味に使っている人が多い。家賃が生活保護の住宅扶助基準よりは高めのところに住んでいるので、基準内で生活している前提とするならば11万円ちょっと位がわたしの標準の生活費。
もしわたしが精神障害を抱えることになり福祉手帳を取得するような状況になった場合は特別乗車券を活用し、交通費も更に減るだろうと思う。

この中で満足感を得られる時間の過ごし方を自分自身も求めていきながら、利用者さんと「お金少ないと大変だよねー」と共感しながら、実際にあるお金、社会資源の中で自分らしい暮らしをつくっていく楽しみも、利用者さんと話せる楽しみがある。最近も、食費の話でわたしの手抜き安い献立を伝えて感動してくれたというか良い意味で肩透かしにあったような利用者さんがいた。

日々の自分の暮らしも利用者さんとの交流や話題になり、仕事としても反映できる。これは、「生活」にアプローチするソーシャルワーカーのという仕事の醍醐味の一つだと思う。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

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