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おじいちゃんの台所(note創作大賞エッセイ部門応募作品)

『男子厨房に入るべからず』なんて言葉は、もはや死語である。
この語源や意味の解釈は様々だが、一番著名的なのは、そのままの通り『男の人は台所に入るべきではない』という意味である。

『令和』という今の時代は、男女平等であるのは常識といっても過言ではない。
「男の人はこうあるべき」「女の人はこうあるべき」という古い価値観の押しつけはジェンダー問題にもなりかねない。
1975年(昭和50年)、某食品会社のCMで、女性が「私作る人」と言い、男性が「僕食べる人」と言う台詞が使われたのだが、これが性別役割分担の固定化につながると、婦人団体から抗議を受け、約2か月でCMが放送中止となったことがあった。これが、日本における『ジェンダー』観点から、広告が社会的に問題視された最初の事例として知られていることは有名な話。

前置はさておき、昭和初期、つまり戦前生まれの僕の祖父は、年代的に言えばまさに『男子厨房に入るべからず』と言っても良い、男尊女卑の時代で生まれ育った人間だ。
だが広島に住む我が祖父は、まさに時代の先駆けを行くような人物で、常に台所に立っている人だった。
造船場の船大工をしていて、あまり口数も多くなく、むしろ寡黙な生活の祖父だったが、夏や冬の連休に遊びに行くと、常に台所に立ってはごちそうの支度をしてくれていた。祖父が食事を作り、祖母は後片づけをする。祖父母夫婦の間には、いつの間にかそういう役割分担ができていたようである。
そのDNAを継いでいるのか、我が父も、そして私も台所に立つことに抵抗もなければ、むしろ趣味が料理と言っても良いほどだ。近頃はYouTubeやTikTokで投稿されているレシピ動画を見ながら、料理研究すらしている。

父の実家であり、祖父も生まれ育った広島県は、言わずもがな、『お好み焼き』が有名である。各家庭でアレンジはされるが、基本的に中華麺やうどんを中に入れるのが主流である。これは、広島生まれである我が父の言い分だが、麺が入っているものこそが『お好み焼き』であり、麺の入っていないものは『お好み焼き』と認めてはいないそうだ。また、『広島風お好み焼き』という表現も気に入らないようで、『風』ではなくこれこそがオリジナルで、よその都道府県のものこそ『〇〇風』と使うべきだと断言しているほど。
そんな県民愛が溢れているのか定かではないが、祖父の家の台所には、お好み焼きを焼くための大きな鉄板が用意されていた。私が小さい頃、つまり約二十五年程前の段階で、その鉄板は年季の入った真っ黒い大きな鉄板だった。後から父に教えてもらったのだが、その鉄板は造船場勤務時代に祖父が自ら作ったものだという。溶接作業をしていた祖父だからこそ、支度のできた逸品なのだろう。

祖父と祖母のエピソードで、こんなことがあった。
ある冬の日、祖父はいくつものゆで卵の支度をしていた。ちょうど前日からおでんをしており、台所に置いてあったゆで卵の存在に気づいた祖母は、追加でおでんの鍋に追加した。
「ここにあった卵どうした?」
「おでんに入れたけど」
「あれは、ポテトサラダに使うように支度したんじゃろが!」
祖母の気遣いがかえって仇になってしまったが、夫婦で台所作業をしていたからこそ起きた出来事である。

免許を持っていない祖父は、買い物など出かけるとき交通手段は、常に自転車だった。釣り竿を背負い、自転車を漕いで近くの海まで行き、釣ってきた魚をさばくこともしばしばあった。一方の祖母は、八十過ぎて免許返納をするまでは原付を運転おり、免許返納前では近所の畑で野菜作りに精を出していた。特に夏などは、トマトやキュウリ、ナス、オクラが実り、いっぱいに詰まった段ボール箱に詰めて持ち帰ってきていた。
祖父は、それらの野菜でサラダを作ったり、天ぷらを揚げたりして、お盆に集まった親戚たちに振る舞った。

そもそも、『男子厨房に入るべからず』『女が家庭に入る』『男尊女卑』が当たり前だった時代を生きてきた祖父が、何故ためらいもなく台所に立っているのか。そのことで、私は祖母に何となく聞いたことがあった。
祖母の話では、祖父を含めた男四人兄弟は両親の離婚後に母親に引き取られたという。おそらくその頃から祖父は、家を守る母を支える側になり、台所に立っていたのだろうと。また、独身時代から勤務していた造船場でも、方々の応援で全国を渡り歩いたため、自炊する環境が常に当たり前だったのだろう。
環境が人を育てるとは、まさにこのことで、育った環境や働いた環境が、祖父を台所に立たせる人間にしたのだと思った。

祖父は今年の秋で、米寿を迎える。昨年末に遊びに行ったとき、耳は遠くなっていたが、スーパーマーケットのチラシを欠かさずチェックし、自転車で町内のスーパーを渡り歩いて買い物をし、相も変わらず台所に立っていた。
いつまでも祖父には、台所に立っていてほしい。

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