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久しぶりに風邪をひいてしまったけど、私は私の人生をやる


タイトルの語尾にも表れている通り、やっちまった〜、ミスった〜、悔しい〜、の気持ちを胸に、どこかから頂いてしまった風邪菌を主に喉にかかえながら、昼までお布団に潜りっぱなしで療養している。

風邪を引いたのは久しぶりだ。2年前の年越しをコロナで超えて以来である (可哀想すぎ) 。コロナをカウントしなければ、社会人になって初めての風邪、実に5年ぶりの遭遇である。

適応障害で仕事をお休み中なので、体調を崩しても支障はない。むしろ体調を崩していた方が格好がつくとさえも言える。

でも、今日という日、私は鎌倉に海を見に行きたかったのだ。そろそろ休職を終えようかという、私にとってひとつの区切りとなる時節、最後に地元鎌倉の海を見に行って、これからの人生は自分らしくやっていこうねって決意を整えようと思っていたのだ。

残念、無念、誠に遺憾。まあ、やりたかった「決意」というのは別にどこでもできるので、午後体調が良くなれば、近所の普段行かないカフェにでも行って決意しようと思う。

鎌倉でソロ初詣、焼きそばは1人でもうまい


鎌倉の海には、たまに行きたくなる。地元といっても転勤族ゆえ鎌倉には10年ほどしか住んでいないし、実家は全く海沿いではなく、海岸までは電車も使って30分以上はかかる。

おそらく、おばあちゃんの家が鎌倉の海沿いにあったことが、毎年夏になるとおばあちゃんの家から浜辺まで水着で向かっていたことが、私と鎌倉の海との原体験であろう。

鎌倉の海は、黒い。決して綺麗じゃない。むしろ汚い。砂が黒々としていて、どっしりと泥々と足にまとわりつく。浜には大量の流木に紛れて吸殻やゴミが落ちている。波は透明度が低く、海藻やクラゲが混ざっていて、とても入りたいとは思わない。

でも、私にとっての海はあれで、とても愛着がある。沖縄なんかの綺麗なビーチはもちろん好きだけれど、鎌倉の汚い海は別の意味で好きだ。現実味があって、特別じゃなくても良いんだよって、そのままの世界を肯定してくれる気がするから。

人生しんどい〜って時、孤独に浸りたい時、新しい気持ちをスタートさせたい時、私は鎌倉の海の空気に身を置きたくなる。自分の黒さを黒さで洗い流してもらうと、凡で何もない人生を歩み続ける気力が湧いてくる気がする。

江ノ電かわいい


それから、もしかしたらだけど、そこにはおばあちゃんかいるのかもしれない。タフで、ドライで、掴みどころがなかったおばあちゃん。身内にまでいびられる程に可愛げのない子どもだった私にも、平等に接してくれたおばあちゃん。ダメなことはダメと言い、本質的な優しさで接してくれて、お年玉はたっぷりくれたおばあちゃん。

早くに亡くなってしまったから、正直一緒に過ごした記憶は薄いけれど、一緒に見たであろう景色は今も鮮明に思い出せる。吹き抜けが涼しくて木の香りが充満していた家、蝉の鳴く暑い坂を登ったところにあった西友、ベタベタな潮風が吹く小道を降りていくとある海岸。

おばあちゃんは、鎌倉の海がとても似合っていた。どちらも、無駄に優しくなくて、でも大きな何かで包んでくれる。現実はどうしようもなく現実だけど、それを見守る何かが、きっと誰にでもあるだろうって信じさせてくれる。

おばあちゃんは天国で、私のことなんて全く考えてないだろうな。鎌倉の海も、私のことなんて心底どうでもいいだろう。でも、だからこそ、そんな距離感のものたちに、私は私の人生を宣言したくなる。



見ててくれよな、私は私の人生を生きるから。





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