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電車が遅延する度に、インドで会った青年が放った一言を思い出す。

朝、都内へと向かう電車に揺られていると、「ホームドア点検のため、10分ほど遅延します。お客様にはご迷惑をおかけしまして大変申し訳ございません」とアナウンスが入った。周りからため息のような息遣いが重なって聞こえた。この類のアナウンスを聞くと必ず決まってインドに滞在していた頃を思い出す。あれはもう、8年も前のことだ。

***

1ヶ月ほどインド国内を放浪して、毎日のようにお腹をくだしていた。そろそろ街中にこびりついているスパイスの匂いにもうんざりするようになって、牛肉やら冷えたビールやらが欲しくなって、ネパールにいこうとしていたときのこと。

バスに乗ってネパールの国境沿いの街までいく。20時間ほど揺られていた。窓ガラスが割れていてすきま風がびゅんびゅんと入ってくる。砂埃という無駄なおまけも一緒に流れてくる。座席のリクライニングは壊れていて、寄りかかるとフルフラット並に倒れてしまう。後ろの人に迷惑がかかると思いつつしばらく腹筋を鍛えるかのように姿勢をキープしていたけれど、後ろの旅人が「Don't worry」と言ってくれたので、壊れた背もたれに背中を預けた。

休憩所に止まった。外は寒く、街灯もない。日本のようなサービスエリアとは程遠い、何もない空き地みたいなスペースだ。やることもないので何の気なしにタバコに火をつけた。煙の行き先を追うと視線が自然とあがる。そこそこ星が綺麗なことに気づく。みんな夜空を見上げていた。夜空の星を見るしかやることがないからだ。

外は冷え込んでいて震えてきたのでバスに乗り込んだ。バス内と外気の気温は同じだった。身体を小さく丸めて、出発を待った。

いつになっても出発しない。運転手はヒンドゥー語で僕たち乗客に何やら一生懸命喋っていた。もちろん、何を言ってるかは全然わからない。

後ろの旅人は「どうやらタイヤがパンクしたらしいぜ」と言った。なるほど。パンクか。

そして旅人はこう続けた。「しかもタイヤのスペアがなくて、タイヤの手配をするのに半日かかるってよ」

絶句した。半日だと......!?

流石に周りの旅人もイライラしはじめていた。乗客は20人ほど。ぼく含める放浪人と現地のインド人が半々だ。

休憩所は食堂もトイレもないただの空き地だ。バックパックにはプリングルスが半分と、砂糖を固めたような質の悪いチョコレートが入っている。それだけ。

太陽が昇るにはまだあと2時間はかかるだろう。あらゆる防寒具を着込んでバス内で震えて待機した。いつのまにか浅い眠りについていた。

***

怒声で目が覚めた。ヨーロピアンの旅人は「いつまでこんな僻地で待たされるんだ!」と運転手につかみかかっていた。

旅人たちも正直うんざりしていた。僻地とはいえ、パンクの修理にこんなに時間がかかるなんて。

ただ一つ気づいたことは、イライラしたり不満をもらしているのはぼく達旅人だけで、現地のインド人達は拍子抜けするほど平然としている。

おそらく、日常茶飯事なのだろう。ぼくもインドに滞在していて感じていたことだ。交通機関が時間通りにくることはまずないし、エアコン付きの部屋を予約してもエアコンがない確率が8割だし、息を吸って吐くようにお金をぼったくってくるし、何かと日本の常識とはかけ離れていた。

身体がこわばっていたので、外に出た。陽がさして幾分か気温が上がっている。伸びをしながらあくびをする。まだまだバスは出発しない。

3人の若い青年が、1本のタバコをシェアしていた。楽しそうに会話をしている。ぼくもタバコに火をつけてぼんやりしていると、そのうちの一人が「タバコをくれないか」と話しかけてきた。一人は英語が喋れるらしい。

ポケットからタバコを出して差し出すと、3人はまた1本のタバコを分け合った。1回吸うと隣の人に回すというルーティンみたいだ。彼らは相変わらず楽しそうに会話をしている。

イライラしている旅人と、こんな状況でも楽しそうなインド人。

タバコをあげたインド人に「バスはいつ頃出発するのかな」と尋ねると、「I don't know.Just go with the flow」と言われた。

Just go with the flow.

流れに身を任せる、なるようになる、流れに乗っていく。という意味合いだ。そうだよな。

自分では変えられないことにイライラしても仕方ない。
バスが出発しないことにイライラしても、状況は変わらない。
イライラしてもバスは出発しない。

自分が唯一変えられるのは、この不毛といえる時間をどう有意義に楽しく過ごすか、だ。

***

電車の遅延が15分になり、到着駅には15分遅れで着いた。ぼくは長い間落ち着いて本が読めたのでラッキーだと思った。
ドアが開いた瞬間、急ぎ足でホームへと駆け降りていく人たち。3人の若い青年はもう立派な大人になっているはずだ。彼らがこの電車内にいたら、どんなことを感じるだろうと思った。

遅延のアナウンスが流れるたびに、あの青年が言った「I don't know.Just go with the flow」が条件反射のようにフラッシュバックされる。



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