チェコ好きの私が岩手に移住した理由
昨年東京から移住した岩手県・紫波町。
そもそも東京以外で暮らしたことがない私にとって、岩手での暮らしはさまざまに目新しかった。その日々の中で「おもしろい!」と思ったものが、どこかチェコで見た景色と似ているなと気付いたのは、住み始めた後だった。
チェコは、海がない内陸国。なので沿岸部は除外した上で、岩手県の内陸部、特に私の中では「盛岡〜紫波町〜遠野」を合わせて、「ほぼチェコだ」と思って暮らしている。妄想混じりの思い込みかもしれないけれど、そう思いながら暮らすのが、とても楽しいのだ。
共通点①:気候が似ている
まず一つには、気候が似ているのでは?と仮定して、比較してみた。
まず比較したのは、チェコの首都・プラハ。そして岩手の県庁所在地・盛岡の平均気温(折れ線グラフ)と降水量(棒グラフ)。
そしてホップの産地である、チェコのザーツ(チェコ語読みで「ジャテツ」)と、岩手の遠野。
そしてぶどうの産地であり、ワインの製造地であるチェコのズノイモと岩手の紫波町。
チェコを3月に旅行したときに、驚いたことがある。それは、地方都市にあるお城や観光スポットに「冬季休業中」が多く見られたことだ。
そのときは、「えっ?3月まで冬なの?」と驚いた。だけど岩手に来て思う。「3月はまだ冬だ」、と。とにかく岩手で感じる季節感に、既視感があると思ったら。そうだ、チェコだった。
共通点②:チェコにもかっぱがいる
「遠野物語」で有名な遠野には、かっぱ伝説がある。
チェコでもカッパ、もといヴォドニーク(水の精)を見つけた。もちろん”精”なので、像だけれど。
チェコのかっぱは、燕尾服を着ているおしゃれさんで、燕尾服のすそがいつも濡れている。そこが乾くと力尽きるという。頭に皿もないし、きゅうりも食べないけれど、川べりや沼など水辺にいる存在として、とにかく似ている。
共通点③:「作る」が生活のそばにある
私が今暮らし、働いている紫波町は、農業の町だ。すぐそばに、コメを作る人、野菜を作る人、酒を作る人。DIYして家を作ったりリノベした人もいれば、釘の一本まですべて手作りで伝統工芸品を作られる方もいる。つまり、「作る」が、今までよりもずっとずっと、私の生活のそばにある。
岩手の風土的な共通性と少し離れるが、チェコには、かつて資材も物品も手に入りづらく、表現の自由も強く制限された時代があった。それは第二次世界大戦後の冷戦の時代、共産党政権下にあった頃のこと。その歴史は複雑で簡単に表せるものではないのだが、この時代の象徴的な存在である、ヴァーツラフ・ハヴェルという人物の半生をたどりながら、チェコの近代史を説明していきたい。
この映画を見て、劇作家であったヴァーツラフ・ハヴェルが、いかに国の政治に翻弄され投獄までされながら、自分の言葉を通じて人々の心の中に革命を起こしていき、のちに大統領にまでなる、という激しさにとにかく驚いた。しかし私が見ていたのは、あくまで「大統領にまでなった人物」の話だ。いわゆる一般の人は、いったい、その時代をどう生きていたのだろう。
何人かに話を聞くうちに、たしかに大変な時代だったけれど、あながち暗いばかりではなく、楽しさもあったという、たくましさを感じるエピソードを聞くことができた。
物が手に入りづらい時代を過ごしていた人たちは、家電が壊れても買い換えられない。ならば自分で直してしまおう……。家の中に棚がほしいなあ。ならば自分で作ってしまおう……。果ては、家が欲しいなら自分で建ててしまおう! とそのスケールは大きくなっていく。
この時代を生きたチェコの家庭には、家のメンテナンスをするための道具や機械が増え、家のそばに作業小屋を作る人もいた。またこの頃、郊外に「ハタ」と呼ばれる別宅を作り、監視体制下の息苦しい世の中から少し距離を置いて、自分たちの憩いの時間を過ごすもいたと聞いた。
今、なにかを作りたいと思ったら、ホームセンターで資材を調達することはいくらでもできるし、時間も手間もかけたくないなら既製品を買ってしまうことだってできる。だけど「ないならないで、いまあるもので作れるものを作る」という発想を、忘れがちになる。だからこそ私は不自由のなかで、無限大のものを創造してしまう人たちを尊敬していて、この本を書いた。
紫波町で生活しながら、チェコの方へインタビューをし続ける日々を送っていた私には、双方からの学びに刺激を受け続けていたのだった。
たとえば、紫波町ですっかりお世話になっている、箪笥工房と、宿はこやを営む木戸夫妻の手仕事に溢れた生活の一部を体験させてもらったり、お話を伺う機会がたくさんあった。宿は自身の手でDIYがなされており、それは、千葉・いすみの家のパヴェルさんに聞いたお話ともリンクする部分が数多くあった。
「思い込み」もまた、快適な暮らしを作ること
ぶどうの産地・ワインの製造もさかんな、大好きなチェコのモラヴィア地方。そこからプラハへ帰る途中の電車から見えた車窓が美しくて、愛おしくて、何枚も写真を撮った。
上記2枚を撮影したのは10月の夕方だが、「モラヴィアの大草原」と画像を検索してもらえれば、もっともっと美しい緑豊かな風景が見えるはず。
この写真の延長線上に、紫波町で見る景色があっても、おかしくない気がしてしまう。
そうしてチェコ好きな私は、奇しくもぶどうの産地であり、お酒が美味しい紫波町へ移住した。ビール大国のチェコながら、紫波町ではビールが製造されていないけれど、美味しい日本酒もホップサイダーもワインもあり、お酒にはあまり不自由していない(笑)。
紫波町から車で1時間行けば、ホップの里でありビールの里である遠野にたどり着く。2018年に誕生したマイクロブルワリー・遠野醸造の袴田さんのインタビューには、「チェコのビールに衝撃を受けた」というエピソードも見かけて勝手に嬉しくなった。
盛岡のマイクロブルワリー・ベアレン醸造所さんでも、チェコ産ザーツホップを使用したビール「ザ・デイ トラッドゴールド ピルスナー」が通年生産・販売されているし。
そんなわけで私は、「盛岡〜紫波町〜遠野」を合わせて、「ほぼチェコだ」と思っている。
まあ、もとよりチェコチェコ言っている私からすれば、すべてがチェコにつながってしまう。色々なこじつけはあろうとも、チェコチェコ言っていると気がつけば私の暮らす町がチェコに見えてくる。
自分にとって都合のいい解釈や直感をもとに暮らしを選ぶこともまた、自分の生活を作ることなのだと思っているし、何よりそのほうが、私が楽しい!気がしている。なのでそうしている。
そしてチェコチェコ言い続けていたら、なんと「チェコアニメの上映会」までできることになった!
え、岩手でチェコアニメ!?しかも人口3万3千人の紫波町で!?
そんなことって、あるんだ!?と、私が一番驚いている。
実現してくださった「シワキネマ」さんに感謝してもしきれません。
「介護」も「チェコ」も、私の人生
1冊目に出版した『32歳。いきなり介護がやってきた。ー時をかける認知症の父と、がんの母と』。ありがたいことに広く読んでいただき、多くの方に「あまのさくや」という人間を知ってもらえるきっかけになった。
そんな、「介護本の人」が2冊目に出版するのが「チェコ」。
おそらく、「チョコレートの話?」と誤読されたり、とにかく「???」と、唐突で展開についていけない!というかたも多いかもしれない。
驚かせてもうしわけないけれど、「口をひらけばチェコ、チェコ言ってる絵はんこ作家」が、元々の私だ。家族にさまざまなことが起きて、数段飛ばしのスピードで介護がやってきてしまい、本にまでなってしまった。
そしてその流れに乗り、念願のチェコについての本を出版できた。別物のように見えて、ストーリーは一人の人生の中でつながっている。
よかったら、ぜひ続編だと思って読んで欲しい。
そしてこの本を書いている間に、ウクライナ侵攻が起きた。
ウクライナの近隣にあるチェコも近しい歴史を辿っており、ソ連軍の侵攻を1968年に受けている。「プラハの春」が武力行使で弾圧された1968年と言う年はチェコの方々の胸に深く刻まれており、もとよりウクライナ移民が多いチェコは、さらに受け入れを増やし軍事支援も積極的に行なっている。
その情勢の今、チェコについて伝える本を書き、出版すること。その責任は感じながらも、遠い国の話と思えそうな出来事についても、私の本を通じて、チェコに親しみを感じてもらえたら、本当に嬉しい。
岩手県・紫波町で書いた、『チェコに学ぶ「作る」の魔力』。
2022年5月26日発売です。
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