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大人は子どもたちに何を提供できる?何をする?

子どもたちの未来に明るい光を。

教育関係者ならきっと、ほとんどの人がそう思っていますよね。


先日、こんなものが話題になっていました。

結局、この校長先生が願っている「子どもたちの未来に明るい光を見出したい」というのは、学校側も文科省側も同じなんだと思います。

ただ、見ている世界が、持っている観点が、全然違うだけ。
それが理解し合えないの、なんだかもったいないなぁと…。



教育の評論家でもエキスパートでもないので、
単に興味があって読んだ感想になりますが。
21歳のnew社会人が思ったこと、書かせてください。


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これ読みながら、ふむふむ、確かに、って思っていました。

小学生の頃から10年以上、小学校の先生になりたいと思っていました。

わたしの考え方は基本単純で性善説、

楽しみたい

成長を「直接肌で感じたい」

数字に追われてしんどいのは違う気がする

教育の本質を大切にしたい

提言された校長先生の想いにはとても賛成です。



一方で、GIGAスクール構想で成果を出しているのは文科省。

5年先10年先を正確に見据えてシステム化できるのも文科省。

教育の質を測っているのも文科省。

(実際、アメリカ留学を経験してからICT学習の有効性を感じていたため、あまり詳しくは知りませんがGIGAスクール構想に期待していた前提はあります。)


これはどちらも大人の都合ではなく(仕事のやりがいを求める以上大人のエゴはあるかもしれませんが)子どもの未来のためです。

ただ、やり方が違うだけ。

見ている範囲が違うだけ。


じゃあ、現場は疑問も不都合もあるだろうけど、
新しいことぐんぐん進めなきゃ
「子どもたちが豊かな未来を幸せに」が実現されないのかもしれない。

もちろん子どもの成長を直接肌で感じたい、
それはおそらく文科省の方も理解しているはずで、
その上で新しいことにトライしてみる必要はあるはずです。
(これはなかなか公教育の現場では持たれない視点かもしれないと思っていて、わたしが自分が先生になれたら持っていきたい価値観でもあります。)

その、現場じゃ考えきれないレールを、
立派な教育のエキスパートさん方が考えに考え、準備してくれています。

もちろん、相手の想いや目的を理解せずにただ「やれ」と言われてやるのはしんどいだけですが、
用意してくれたものを、相手を信じてやってみなければならないのではないでしょうか。


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そして、めっちゃ私ごとにはなりますが。

今自分が働いている町営塾、まさに現場と行政の間にいる存在。

この特別な立ち位置を活かしてどっちもの環境や想いを聞きつつ最善を尽くすことができる、最高の立ち位置なんじゃないかななんて、思いました。

どっちの声も聞ける。

想いを伝えることができる。

欲張りすぎかな。


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結論、
「グローバル化する社会を生き抜く力」と
「持続可能な学校にするための生き合う力」、
これは相反するものではないのかもしれない。

学校と行政、お互いの見ている世界と目的と想いを共有できれば、
協働して「子どもたちが豊かな未来を幸せに生きていくための公教育」を実現できるのかもしれない。

教育にゴールなんてないし、

正解もないし、

複雑なものなんだけど。


提言があるからこそこうやってわたしも考えさせてもらって、

感謝しかないです、本当に。

その上で

お互い歩み寄れるような関係でいられたら

大人がひとつになって動けるのかな

なんて思いました。



それから最後に、前の私なら、この提言に
「うんうん」「子どもの成長、直接肌で感じられればいいよね」
としか思わなかったと思います。

でも、就職して、町営塾で働き始めて、
そのあたりの価値が揺らいでいます。
本当に感情・感覚だけでいいのかなと。

そういう価値転換が少しずつできているのなら、
それはそういう機会を与えてくださったチームの皆さんのおかげです。

これ読んでくださってる方はいないかもしれませんが笑

最高の職場です。

ありがとうございます!!!



2021/5/25

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