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障害児・者は本当に「こだわりが強い」のか?

私が子供の時から、私の子供が知的障害を持って生まれる前から、私がボンヤリ思っていた事。

いつも通り、ちょっと長い。





私は子供の頃、母や祖母に電車に乗って買い物に連れて行かれた。

住んでいた県よりも隣の県の方が栄えていた事、母と祖母がその隣県の出身だった事、父の職場がその隣県だった事、その隣県まで電車で10分程だった事…とまぁ、色々理由はあるけれども、とにかく頻繁に連れて行かれた。

電車に乗る時、ほぼいつも会う、(今思うと)知的障害者の方がいた。

その人は一番後ろの車両に乗って、車掌の台詞や動きの真似をしていた。そして、私がその人を見ていたら、母に怒られた。


「関わるな」、「見るな」


と、いう事だろう。
幼いながらに私がその時に思ったのは

普段1人で人形やごっこ遊びをしている自分も、今の母のような怖い目(冷めた目)で見られているんだろうか?

だった。


普段自分がしている遊びは変な事なんだろうか?
楽しいけど、親にこんな顔をされる事なんだろうか?

聞いたら直接「変だ」と言われるかもしれないのが怖かったので、私はごっこ遊びをやめた。

その代わり、頭の中で台詞を言ったり、ストーリーを作ったりするようになった。

ウルトラマンやキン肉マンの人形は使うんだけれども、セリフや効果音を発する事なく遊ぶようになった。

急に遊び方が変わったから、親や幼稚園側も戸惑ったらしい。

それが原因で幼稚園から「発達に問題があるのでは?」と言われたと、高校生くらいの時に母から聞いた。

母は「失礼な!」と思ったらしいのだか、私は、園と母親両方に『人の気も知らんと勝手やなぁ…』と思った。

私の真意は母に話してない。
なんとなく、無駄だと思った。


母は、ドラマを見るのが好きだった。
テレビ無いと生きていけない、テレビ見るのが至高の娯楽、連ドラ万歳…の時代。

私は、そのドラマが不思議だった。
当時の心境を今の自分で無理矢理言語化すると


「どうして他人の生活をあんな間近で見るの?」

だった。

そして、大きくなるに連れ、ドラマは本物では無く、本当はそんな人はいなくて、誰かが作った「創作物」であると知っていく。


『ごっこ遊びやん…』


他人のごっこ遊びを真剣に見て、涙を流したり、怒ったり、笑ったりしている母にめちゃくちゃ混乱した。

見るなって言ったじゃん。
関わるなって言ったじゃん。

撮影の為に、大人が外でごっこ遊びするのは許されるし、それをテレビで見るのは許されるけど、1人で外でごっこ遊びする人は気持ち悪い。

私はこの事に『よくわからん』と思った。


母は、赤川次郎の小説が好きだった。
その影響で、私が小学3年生の時、初めて読んだ小説が「三毛猫ホームズ」だった。

面白かった。
シリーズ物だったので、読みまくった。
小説が好きになった。

父の本棚には星新一があった。
ショートショートがあまりに読みやすく、どハマりした。

完全に読む順番が逆だが、ズッコケ三人組シリーズにもハマった。

そして、気付く。
その小説も「小説家の妄想を文章化した創作物」だと。

『あ、これも許されるんや』


やっぱり、よくわからなかった。


中学生の頃に仲良くなった女の子が、ライトノベルが好きだった。
当時、スレイヤーズというファンタジーが流行っていた。

私は、そのライトノベルに衝撃を受けた。


ちゅどーん!


と、爆発する魔法の効果音が、文字をデカくする技法で書いてあるのだ。

びっくりした。
こんな表現があるのかと。

私が読んでいた小説では

「耳を劈くような爆音と共に、全てを破壊するかのような衝撃が襲ってきた」

みたいな表現だったから、それを


ちゅどーん!


だけで表してあるのだ。

残念ながら会話のテンポや台詞回しが私好みで無かったのでそれ以降読む事は無かったが、衝撃を受けたのは間違いなかった。

その仲良くなった女の子は、他の女子生徒から「変なの読んでる」と馬鹿にされていた。

当時「オタク」という言葉が使われていたかどうかはわからないけれども「オタクで気持ち悪い」というような感じだった。

そんなら彼女らは、ミスチルの歌詞に夢中だった。

やっぱり、私には違いがわからなかった。



診断を受けた訳では無いが、私は完全にASD気質である。
みんなからこだわりが強いと言われるし、特徴はほぼ当てはまっている。

でも、私はこだわりが「強い」と言われる事に違和感を覚える。


駅でギターを弾きながら唄っていたらストリートミュージシャンになる。

電車内で撮影器具の前で唄っていたらPVの撮影になる。

部屋で1人で唄っていたらご機嫌なのが伝わってくる。

カラオケルームで唄えばカラオケになるし、舞台の上で唄えばオペラやコンサートやミュージカルになる。

でも、駅でギターもなく歩きながら唄っていたら「変な人」だ。

電車の中で1人撮影しながら唄っていたら「変な人」だ。

やってる事は一緒。
でも、条件が違えば評価はガラッと変わる。


いや、みんなの方がこうだったらこう…っていう「こだわり」強く無い?



別に自分がASDでは無い…と言いたい訳では無い。
それでもいいし、そうじゃなくても良い。
正直、どっちでも良い。

障害児・者を気持ち悪いと思うなとか、そういう話でも無い。


障害児・者は「こだわりが強い」訳ではなく
「こだわるポイント、気にするポイントが違う」んじゃ無いだろうか?

私から見たら、世間の方が、まわりの人達の方が、余程強くこだわっているように見える。

何にこだわっているんだろう?
「普通」にだろうか?
「枠」に入れる事だろうか?
「他の人と一緒」にだろうか?

それとも見た目か?
カッコいいか、可愛い・綺麗かの問題か?
なら、みんな見た目のこだわりが超強いんだな。

まぁ、その辺はよくわかんないけれども
「こだわりが強い」と捉えるよりも「こだわりが違う」と捉えた方がなんとなく受け入れる気があるように感じる。

「違う」と思えるって事は、自分にだってこだわりがある前提でないと思えないと思うから。

「強い」と言われると、なんとなく
「オブラートに包んであげてます」という含みを感じる(笑)

と、思うのは私の気のせいだろうか?


二人の障害児の父
すけじろう

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特に、私と同じ障害児育児中の親御さんからのご連絡はとても嬉しいです。
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