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【ポストミニマリスト】パートナーはそれを望みますか?

こんにちは。

私は「人生に余白を」をテーマにミニマリスト生活をしています。「ポストミニマリスト」というのは、たとえ一見無駄に見えることでも、自分にとって意味を見いだせるのならばそれは認めてしまおう、というものです。要は頑張りすぎないミニマリストです。ゆるやかにポストミニマリストについて語っていけたらと思います。

パートナーはミニマリストな生活を望んでいますか?

みなさま、ミニマリストに対してどのような印象をお持ちでしょうか。おそらくこの記事を読んでくださっている方は、ミニマリストに対して好意的だったり、或いは憧れがあったりする方が多いかと思います。

私は冒頭に述べたように、ゆる~いミニマリストですが、それでもできるだけ最小限に生きていきたいと考えています。特に私は衣食住に関しては深い関心がありません。関心がないというか、そこに趣味性を求めておりません。

私にはパートナーがいます。彼女は食器が好きで、色とりどりの食器やランチョンマット、箸置きなどを集めています。実際に買い物で心動かす食器を見つけたときの彼女は楽しそうですし、集めるだけでなく、しっかり日常使用しています。一方、食器棚に食器は着実に増えていき、引っ越して間もなく棚を追加しました。

ミニマリストのみなさまはどう感じますか?

正直、同じ機能のものが必要以上に存在している状態は個人的には好ましくありません。私は彼女に「もう家に似た食器があるじゃない」「それ必要なの?」と言ってしまったことがあります。要は「それ無駄でしょ」って言っているようなものです。当然、彼女は不快そうでした。

私は「人生に余白を」をテーマにミニマリスト生活をしています。「ポストミニマリスト」というのは、たとえ一見無駄に見えることでも、自分にとって意味を見いだせるのならばそれは認めてしまおう、というものです。
冒頭より

自分でこんなことを言っておきながら、です。

彼女が集めた食器の数々は実際に食卓を華やかにしてくれます。食器に併せた料理をつくったり、それをスマホで撮影したりしている彼女の様子は幸せそうです。

私は自分の心に余白をつくるためにミニマリスト生活を行っているように、彼女は彼女自身の幸せのために食器を集めていることに気が付きました。

友人、恋人、家族。結局は他人であり、異なる価値観の持ち主であることを認識する

ミニマリスト云々ではなく、所詮、家族であっても他人です。冷たい言い方かもしれませんがこれは事実です。価値観は違って当然で、それを押し付けることも、押し付けられることも出来ません。

ミニマリストを目指すと、ある種のストイックさや潔癖さを追求することになります。強迫観念に駆られることもあります。自分がただ一人の存在であれば、それは存外可能かもしれません。ただ、時間や空間を誰かと共にすることが現実として多いのが事実。

月並みな言い方かもしれませんが、相手の価値観を尊重することが大事です。

もし、あなたがミニマリストを強烈に意識するゆえに、他人の価値観に足を踏み入れてしまいそうになるのであれば、少し立ち止まってみてほしいなと思います。ミニマリストは別に正義でもなんでもありません。全然妥協しちゃっていいのです。最小限を求めるあまり、最優先すべきものを見失わないようにしてください。

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