見出し画像

箱とラベル時代の終焉

プリキュアより仮面ライダーが好きだった。
制服はスカートよりズボンが良かった。
華奢なネックレスよりシルバーのバチバチのリングをつけたいし、
かわいいよりかっこいいって言われたい。

でも、「男の子っぽい」と思われるのはちょっと違う気もする。

好きなものを外に出すと結局「性別」というフィルターがかかってしまう世の中。
男とか、女とか、そういう箱に入れられたくない人だっている。

きっと今の時代は寛容になってきているのだろう。

しかしたまに思う。
「こういう人もいるんだと理解してあげる」という言葉に含まれる「こういう人」って、多分マジョリティから見た「はみ出しもの」としてのマイノリティなのではないか。「多様性」って「いろいろな人がいる」というより「私たち『普通の人』とは違うけどそういう人もいる」みたいなニュアンス。伝わるかな。なんだろう、「まあ、そういう『違った』人もいるけど認めましょ」みたいな、目線に差がある感じ。

間違いではないかもしれない。でもマジョリティであることが果たして正しいことなのだろうか。まあ民主主義においては多数の意見が反映されるのだけど、それとは話が違う。

誰だって普通だし普通じゃない。
普通じゃないって言ったって、優劣なんかつけられるわけがない。どちらが上でも下でもないのだ。

色眼鏡で見ているだけで、その色だって何かのバイアスが混ざった混合色。
人間にラベルなど存在しないし、二項対立で考える時代は終わったはずだ。

だから、男でも女でもなく「わたし」という「人間」を真っ直ぐに見つめてほしい。同じようにいろいろな「わたし」に真っ直ぐ向き合っていきたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?