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書けないときの映画「インテリア」

書けなくなるといつも思い出す映画。

はじめは画面の「静謐」な美しさにうっとりする。わぁ、この映画大好き、と座り直す。どの画面もいちいち美しい。美術館みたいに静かで。

やがて、その美しさは三人姉妹の母親が強迫的に作りあげてきたインテリアによるものだとわかってくると、整った画面が暗く重く響いてくる。あふれる情熱とか血とか、そういったものに蓋をされて息が苦しい。「静謐」は静かにおさまっていなさいという圧力。

私のなかには、蓋をしている母と蓋をされている娘が両方いる。書けなくしている私と書けなくされている私がいる。それをこんなふうに説明してくれるなんて、映画って助かる。

最後は蓋がとれて溢れる。
もうすぐまた書ける。

詩のようなものを、感想の続きとして。

Thank you for the movie.





母親が死んだ朝
冷たいミルク壺に
フランスパンを差して
   は湖へ降りていった

遠くに手漕ぎボートが見える

(なるべく早く連絡して頂戴)

ポケットに手を入れると鳥が鳴き止んだ
ボートが無音で近づいてくる

(クレンザーで擦れば落ちるわよ)

   はカーディガンの前を掻き合わせて小径を急いだ
白樺と白樺の間から湿った酸素がまとわりついてくる

(長靴を履いてくればよかったのに)

足を早めるとパジャマが裾から重くなっていく

(ほら、びしょびしょじゃない)

木の根に躓いてフランスパンが落ちた

ママ、アイ・ラブ・ユー
バット、ノー、サンキュー

   が遠い国の言葉で歌おうとすると
舌がもつれて湖に落ちた



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