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偏愛と狂気と欲望で文章はきらめく

今日は記事を書く前に、自分自身を見つめる話です。
SEOやらGoogle順位やらは出てきませんのでよろしくです。
全国大会で勝つ方法ではなく、精神論を叩き直す感じですね^^



◎なぜわたしはこの記事を書いているのか

または「なぜわたしはこれに熱中しているのか」、自分に問う作業です。
自分自身の奥底にある行動の理由を探ります。

・何かを探し求めるためなのか
・好きだからやっているのか

似ているようで違うこの行動原理、どちらに当てはまるかで書き方も異なります。どちらも、
・興味があるから
・好きだから
・なんか惹かれる
といった言い方ができるでしょう。その「好き」をとことん突き詰める作業が文章をランクアップさせるのです。

しっかり考えることによって、記事の魅力が格段にアップします。より読者にあなたの情熱が伝わるのです。

◎好きなそれは、あなたにどんな影響を与えたのか

趣味として好きなものでも、大学や独学で学ぶほど興味を持った学問でも同様です。
好きなものや学んだ何かは、あなたにどんな影響を与えたのか。
・あなただけのストーリー
・偏愛
これらを深堀りし言語化します。表立って偏愛を打ち出さなくても、考え抜いたことは読者に伝わります。染み渡るのです。
書き手独自の「狂気や欲望」が具現化すると、面白く読める記事に仕上がります。

自分自身を深く深く掘り進める。
心が動いたのはどこなのか。
なぜそこで心が動いたのか。

既に確立されているものに対峙するには、自分の心が共鳴した場所と理由以外にはありません。

です!と断定しながら書いておりますが、聞き書き口調だと説得力が9割減しそう。あえて力強く書きました。

◎掘り下げて考える

この話を聞きながら、三宅香帆さんの下記の本を思い出しました。

三宅さんも「好きな人(推し)がどれほど素晴らしいかを表現するには、感動した気持ちを深堀りすること」と書かれていました。

見たこと聞いたこと瞬時に感じたことを勢いでわーーーっと書くと上っ面しか出てこない。他の人と似たりよったりの文章になりがちです。

私は佐々涼子さんのルポタージュ、例えば「エンド・オブ・ライフ」を溺愛しています。
佐々さんは取材対象のことを書きながら自分自身の内面に潜っていきます。そこまで掘り下げたら心がしんどいでしょう?と佐々さんの背中をさすりたくなるほどです。だからこそ赤の他人の私にも溺愛される文章が書けるのかもしれません。

文章を書くということ、ほんとうは地獄の一丁目なんです。自分をえぐるのは大変な作業で、えらいところに足を踏み入れてしまったなという気がします。

(溺愛している佐々涼子さんの書評をnoteにアップしていないことに今気づく…)

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