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英語ができると人生が変わる!

「英語ができると人生が変わる!」

と、色んなところで言っている。

人口減少と少子高齢化のダブルパンチを食らい、海外市場拡大が欠かせない今後の日本においては、当然の話とも言える。いずれにせよ、自らの経験や周りの人たちを見て、極東の果てにある島国・日本で生まれ育った多くの日本人に当てはまると、確信している。

ちなみに、私はそんなに英語ができるわけではない。しかし、日本人にしては英語が結構できる程度の私ですらそう実感するのだから、ネイティブの真のエリートレベルの英語力を有する人は、余計そうであろう。

とは言え、「英語ができると人生が変わる!」なんて、子供のころから思っていたわけではない。

先日、スポーツビジネスサミット(SBS)九州の企画運営を立派に務めたメンバーを中心に、英語の大事さを説いている時に思い出したのだが、今までお会いした人、読んだ本、体験したこと、住んできた場所などに影響を受けて、「英語ができると人生が変わる!」と、自信を持って言えるようになったのだ。

要するに、私が英語をそれなりにできるようになったのは、「人生を変える5つの魔法」のお陰ということ。

人生を変える5つの魔法

実は魔法なんて大それたものではない。大前研一やピーター・ドラッカーが言っていることに加えて、自分の体験からくる捻りを加えただけ。

①会う人

②読む本

③時間の使い方

④お金の使い方

⑤場所(住む、学ぶ、働く)

この中でも、⑤の「場所を変える(=移る)」は、人生を変える劇薬だ。なぜならば、上記①~④をいっぺんに変えてしまうのが、⑤の「移る」だから。

いわゆ普通の人間である私が、日本人どころかアジア人として稀有なキャリア(UEFAチャンピオンズリーグを創った会社で働く最初のアジア人)をスポーツビジネスで築けたのも、知らずのうちに「移る」を実践してきたから。

大学卒業後の24年で、5ヶ国に移り住んできたが、島国日本で生まれ育った普通の日本人である私の自己成長を促した「移る」を可能にしたのは、他でもない「英語」

では、どうやって英語をそれなりにできるようになったのか?

原体験①帰国子女の友達

幼いころに東京から千葉に引っ越した私は、千葉都民(千葉に住んで東京に通勤するサラリーマン)の子供として、新興住宅街で育った。周りも似たような感じで、有名大学卒→大企業勤務という家庭が多かった。転勤の多い大企業サラリーマンが多い環境だったので、帰国子女も何人かいた。

当時から、異質なものを好む性格だったので、アメリカ帰りの彼らの言動やライフスタイルが新鮮で、アメリカに憧れるようになった。再転勤でアメリカに戻った友人から送られてくる巨大なアメリカのお菓子に胸を躍らせたものだ。

一気にアメリカ好きになり、「英語」に好意を抱いた。

原体験②父親

同時に、振り返ってみると、父親の影響も大きい。私と同じ慶應義塾大学卒の父は、私同様に生まれも育ちも日本。海外出張こそ行っていたが、今や人生の半分以上が海外暮らしとなった私とは異なり、海外に住んだことはない。

しかし、そんなドメドメな父親だが、勉強熱心であり、普段からTIMEやNewsweekを購読して、CNNなど英語ニュース番組を観ていた。また、帰省時に道すがらヒッチハイクする外国人を車に乗せたりもあり、一般日本人家庭よりは「英語」が、日常にある環境であった。

そんな訳で、アメリカや「英語」に興味を持っていたが、英語を勉強したりとかいったことはなかった。

それが劇的に変わったのが、大学受験である!

原体験③大学受験の英語

有名大学卒で大企業に勤める真面目なサラリーマンである父親に反抗して生きていた私は、高校2年の冬学期に、頭を悩ませていた。

父親に反抗して、大学に行かないという手を真剣に考えていた。しかし、手に職もなくまともな職には就けないし、土方労働者などになって青春おさらばもいやだった。

父親を見返すという意味で東大受験も考えた。しかし、高校時代ろくすっぽ勉強しておらず、おそらく偏差値30や40くらいであったであろう私が、1年猛烈勉強して東大合格も、現実的に思えなかった。

大学行きたくないが、就職もしたくない、どうしよう…状態だったのだ。

そんな時に、「人生を変える5つの魔法①」である「人」が人生を変えた!

高校サッカー部のエースストライカーであった尊敬する先輩が、慶應に受かったのだ。しかも、慶應サッカー部(慶應義塾体育会ソッカー部)に入るたみに、受験を頑張ったと言う。

反抗してきた父親の大学だったので、どちらかと言うと、慶應は嫌いだった。しかし、尊敬する先輩が熱く説いていた慶應ソッカー部を調べてみて驚いた。日本サッカー史上に輝く文武両道の名門チーム。当時、日本で一番強かった関東大学サッカー1部リーグで、スポーツ推薦入学制度なしで戦える唯一の大学サッカー部だったのだ。

しかも、先輩が、「英語ができれば慶應に入れる」と言う。知らなかったのだが、サッカーはうまいが馬鹿だと思っていた先輩(笑)は、実は、帰国子女だったのだ。

がぜん、慶應ソッカー部への興味が湧いた私に、さらに運命的な出会いが…

サッカー部で仲の良かった友人の家に遊びに行った際に、

偏差値50から早慶を突破する法(和田春樹)

という「人生を変える5つの魔法②」である「本」を見せられたのだ。

しかも、尊敬する先輩と同じく、「英語ができれば慶應に入れる*」と言っている!

先輩の慶應ソッカー部入部で盛り上がっていた私の脳天に、響きまくった。

「英語ができれば慶應に入れる」

今思うと、上記の先輩とこの本こそが、その後の私の人生を変える味方となった「英語」を勉強するはじめの一歩だった。

この本に従って徹底的に勉強した「受験英語」が、その後の私の英語のベースになった。

「受験英語」以降に関しては、次のお楽しみ!

(注*:慶應は英語の点数傾斜配分が高く、SFCなら試験は英語と小論文だけ。数学か社会の試験がある学部も、400満点中の200点を英語が占める)

つづく


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