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    心にひびいたことばをのこします

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10年前、今、10年後

私は10年前 仕事の長いキャリアと新しい副業を幾つか並行して転職した。 本業と副業2つかけもちしていた時は毎日自分と闘っているように学び、我慢して努力し、たまに報われて成長も出来たと思う。あの頃には戻りたいとは思えないぐらい綱渡りのような生活を1年〜2年続けた。 転職前1年はインターンやボランティアをしつ貯蓄で生活し副業して学び、いずれはUターンする覚悟だったタイミングで結婚する事になる。 結果、今、天職と副業2つが残り、すぐ生活に困る訳ではないのかもしれないが、人生は

    • 書きたい

      心のうちを 掻き出す作業 書くこと 悪い気持ちが浮かんでくる いくらでも浮かぶ 嫉妬、不安、焦燥感、慢心、否定感、悲観、、 いくらでも出てくる 周囲の誰かに漏らしても 捨て去られたり 迷惑をかける心理だ だから 誰にも言わないが きっとバレてる 自分に似た感性の人と出会うときよくわかる 本人は気づいていないが、周囲には何を感じ取っているかバレバレだ だから 私も溜め込んだネガティブな思いが バレているのを承知で 耐える姿を見せるしかない。 文章にすることで 頭の中

      • 希望とは

        魯迅の故郷を久々に読むと 希望とは 自分の後に誰かが続いて、やがて沢山の人の足跡が付いてこそ道ができることであると書いてあり。 つまり 1人では何事も 大業は成せないらしい。

        • あの時の選択

          「あの時の選択」? 数ヶ月前 タイトルだけ付けて 下書き保存していたのを見つけたため 当時何がいいたかったか 自答自問してみた。 あの時、とは いつ、何があったのだろうか。 少なくとも半年程経った自分は 全く違った心境と苦痛を抱えている。 あの時、を想定しても 今の一瞬一瞬の選択自体が とても か細く、か弱い気がする。 選択のできる数が少ない、ほぼ無いような気分なのだ。 あの時、、とは 今より 意識がはっきり自分らしく生きようとしていた。その証に 選択する、したくない、

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          書きたい事が溢れてくる

          母が逝くまでは 私は生きねばと これまでの生きる理由だった 辛い事があっても使命感が救ってくれた。 それが母が旅立ってからは すっかり自分の生きるモチベーションが下がったのも確かだ。 その気持ちを吐露できず 年齢の脆さに鞭を打って1年生きてきた。 周りには自分より若くて ごくノーマルな家族の愛に支えられている友人知人しか居なくなった。 同じ境遇の友人は 同じ問題を抱えて 今がまさに多忙を極めている時期で、尚更 こちらの愚痴など聞いている 余裕がない それで社会的には弱

          書きたい事が溢れてくる

          人の振りみて

          昔の自分みたいな人と会う どこか建前だけで楽しげに口先だけ 綺麗ごとをいう 心がこもってない、その場当たり的な 薄い人間関係を広げる人 当時は仕事を捌くのに必死だった。 誠実に対応してるか どうかはバレてるんだ、と つくづく思う

          人の振りみて

          自分を励ます夢

          担架で運ばれたはずの母が、救急車に乗らずに 元気に歩いてニコニコしながら復活して、 玄関を上がってくる夢 あの若々しい笑顔にまた会えるとは それでようやく知るのだ。 母が亡くなる前に お母さん、と言いながら泣いていた。祖母とは夢で再会してるはずだと。

          自分を励ます夢

          自分のユニークさを認めたい

          ユニークさが悪目立ちに思えたら 話し方をゆっくり、優しい言い回しに変え、 控えめに相手の話を聞いてから返事をする。 腹の中にはどんどんストレスが溜まるが 自分の個性を守るためには 相手の事も認めることは大事だ

          自分のユニークさを認めたい

          AIの使い方

          いつの間に AIからヒントを貰えるようになったのか? 驚いてしまうnoteだが、いくつか試している間に 今月の上限がきて、さっきまで文字の渦まいた場面から一気に白紙画面になる。 すると まるで頭の中まで消去された気がして 書く気持ちが萎えた。 明らかに 使い方がネガティブなのだ。 もう少し建設的に使いたいものだ。 頭の中にアイデアが浮かんできてから、 整理するためにA Iにどう問うか?のセンスは磨かねばならないのだ、と 覚悟できたのは良かった。 また忘れた頃に問うてみる

          AIの使い方

          越えられない壁

          あなたなら越えられる 励ましの場面でかけられる言葉だ。 ありがとうと言えば 相手の優しさに応えられる為に、ついそこから 自分の心を深掘りしないが、 私は納得した事は殆どない。 そっとこのnote にしたためようとおもう。 壁は誰かに越えて欲しくない時に自ら作るのだから、 自分から 乗り越えられる前提なのは 理解できない。 不可能に思える壁のどこかに 入り口を作ったり、 高さをカスタマイズしたり、飛び越える筋力をつける必要が生じる。 特別で創意工夫がいる。 壁にぶつかっ

          越えられない壁

          AIの醸す軽さ

          単語を入力するだけで瞬時に 筋道の立てられる世の中になった様だ。 考える葦から考える事を削り落としたら、 ただの風に吹き飛ばされる葦に進化するつもりなのか? 私は自分から搾りだされる 大して美味くも理路整然としてない言葉だけに向き合って  自分自身の心のうちを震わせたい。 わたし自身の苦しい重みに耐えかね 無骨な表現でしかSOSを送れなくても、 自分だけの言葉が沈澱するのを我慢強く待ちたい。

          AIの醸す軽さ

          心をほぐす

          久々のnote 以前の記事に記憶が薄いことに驚く。 サラサラと流れる水の様に書いていたのだろう。 それがどれだけ自分にとり 心洗われる作業だったかが感じられる。 現実を受け入れられず苦しい時、 成長が見られない自分を見つめる時、 万策尽きたかのように思える時、 諦めて相手と共存を覚悟する時の妥協や、 楽観的な自分を演じて内心違和感を感じている時、 溜め込んだ息を、言葉にだしてこそ自分を取り戻せる時間がある事を知る。 又は 間違えた加減を静かに省みたい時か? このn

          心をほぐす

          褒めて欲しい人

          褒めてほしくない人など居ないのでは? 褒めて欲しい人ばかりではないか? しかも 必要な箇所で、必要以上に そのリアクションを求めている。 与えず、求めてくる。 常に褒める事ができる人もいて、そういう無条件に与えられる存在の大切さは 居なくなってからわかったりする。 求めるだけの人よ あなたの言動は原始的で見苦しい

          褒めて欲しい人

          後悔しない

          余計な事をしでかしたか? 気にしながら暮らしてきた。 何もかも自分の発言が間違っているような恐ろしさを感じるようになっていた。 相手を思いやりからきてる言葉も、自分の拙さゆえ かえって相手に面倒を掛けてないかと 自信が持てない時が増えた。 何故か? 他人を優先しすぎるモードに変わったからだ。 時には 自分が良かれと思う善意の言動については 責任を負って突き進みたい。 敢えて後悔しない事も必要だと 思いはじめている。

          後悔しない

          気づかない人達

          子供に面倒を掛けたくない親心に気づかない人達 今日はそんな人達と話していて 胸が締め付けられた。 他人がとやかく言える筋合いではないが 勝手に涙が込み上げてくる。 あなた達の親が  どんなにあなた達を想ってるか、 痩せ我慢してるか、 おぼつかない足元に杖を使う様になったか、 何を誇って生きてきたか、 自身に不安を感じながら笑顔でいようとしてるか 遺伝子的にそっくりなあなた達は まるで自分ごととして 感じ入ってくれませんか? 目を背けてませんか?

          気づかない人達

          深く潜る事

          noteを始めて9ヶ月だそうだ。 私は当初、何かに気付きたくて書き流して頭の中を開拓していれば良かった。 そうするうちに気づきもあり、次第に自己救済する時間に変わって、ありがたかった。 一ミリでも救われたら、書く意味をまた忘れていたのだが、また今は書きたい。 今回は自分の思考に深く潜りたい。 誰にも話せない、というより 今は誰にも理解されないのだという事を知ったから。 いつまで経っても頭から離れない哀しみが出来て、いつまでも 誰かに聞いてもらえないと思うからだ。 だか

          深く潜る事