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『メタモルフォーゼの縁側』が羨ましくて苦しい

マンガ大賞 20218 位だった『メタモルフォーゼの縁側』を読んでいると、本当に胸が締め付けられるような苦しみを感じます。それは「羨ましい」という気持ちから。

ふと立ち寄った書店で老婦人が手にしたのは1冊の BL コミックス。75 歳にして BL を知った老婦人と書店員の女子高生が織りなすのは穏やかで優しい、しかし心がさざめく日々でした。

この一年間、コロナ禍で仕事だけの関係の人たちとすら顔を合わせなくなって、「純粋な趣味で繋がる友人」が容赦なく際立ったと思いました。

学生時代は、同級生が友人関係の中心であり主であり、歳がひとつ違うだけで、後輩・先輩の関係。職場では、少しの同期が居て、後輩・先輩、部下・上司の関係。同期だって、仕事上のライバルであり、仲間であり、でもそれは友人とは違う関係。

実は、責任関係や利害関係の無い純粋な繋がりって、殆ど無いものだと痛感させられました。それこそ、「年齢を超えた絆」って、皆無に等しいです。

そんなことは、今までだって分かり切っていたことなのに、コロナ禍で誰とも現実世界で顔を合わせなくなったことで、より際立ってしまって、強烈に、「自分って孤独なんだ」って感じさせられました。

毎日の職場で、後輩や部下に、ちょっと強引に趣味の話をすることもできたし、その逆もあって、そこから新しい自分の趣味が発見できたかもしれないけれど、それが限界。そこから友人までは、普通は昇格しません。

メタモルフォーゼの縁側』は、書店員の女の子(17 歳・女子高生)と、お客さんのお婆さん(75 歳)の出会いから始まって、店員と客の、ちょっと仲の良い顔見知りなビジネスライクな関係で終わりそうなところを、お婆さんが「お茶しない?」と一歩踏み込んでくるところに、私たち現代人は、強烈に憧れがあるんじゃないかって、気づかされました。

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メタモルフォーゼの縁側 ① P.54

女の子もお婆さんのその「お茶しない?」の一歩がなければ、踏み込むことはなかったんじゃないかって思うし、実はそうしたい、そうしたかった、そういう趣味の同年代の友人が欲しかったけど、「同年代」であることが前提になっているのは、やっぱり狭い世界の学校が日常だったから。

これは社会人の私たちにも言えることで、どんどん他人との距離が遠のいていく。在宅で、リモートで仕事をすることで、ますます自分の必要最低限な環境でしか付き合いがなくなる。近所の人に挨拶すらしない「知らない人に関わってはいけない」という教えは、子供たちだけじゃなくて大人たちにも常識になってしまった感じがします。

それが常識で当たり前の世界だと、その世界で生まれたお婆さんだったなら、「お茶しない?」の一歩が、踏み込めなかったはずなのです。

だから、この『メタモルフォーゼの縁側』が、今、強烈に眩しくて、羨ましい。このお婆さんだからこその、警戒心の無かった出会いが、この友情を生んでくれた。

私は大人になってしまって、どこで、どうやって、年齢や柵を超えた友人と、出会えばいいのだろう。


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