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#032そばと丼は一緒に食べるのか、あるいは関西と関東の風習の違いのことなどー食と歴史にまつわる、あれこれ

 今回は、東京で経験した昼食の話などを。

 今から20年近く前でしょうか、史料調査のために東京大学法学部の明治新聞雑誌文庫に新聞の閲覧に行った際のお話です。確か時期は3月の末あたりだったことと記憶しています。筆者は既に30代で、歴史の本の出版の仕事の関係で、新聞資料で原稿の原本校正をするために出張で東京に来ていました。当日は、どうやら法学部の健康診断か何かで新入生が登校してきていたようですが、赤門をくぐった時に、30代の筆者にもサークル勧誘のチラシが渡され、面食らうということがありました。これは「長年浪人して、苦労して法学部に入った人」というように、きっと思われたのでしょう(笑)。

 明治新聞雑誌文庫は、ご存じの方も居られるかも知れませんが、東京大学法学部に所属する施設で、初代主任の宮武骸骨の努力によって、さまざまな新聞、雑誌が収集されたことにより、現在、明治時代の日本各地で発刊された貴重な新聞や雑誌が閲覧出来る、近現代史を研究する者にとっては非常にありがたい施設です。明治新聞雑誌文庫に奉職されていた西田長壽という方が書かれた回顧録が、現在岩波書店でオンデマンド販売されています。『明治新聞雑誌文庫の思い出』という本です。当時の雰囲気なども知れる、なかなか興味深い本ですので、ご興味のある方はご一読いただければと思います。

https://www.amazon.co.jp/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E6%96%B0%E8%81%9E%E9%9B%91%E8%AA%8C%E6%96%87%E5%BA%AB%E3%81%AE%E6%80%9D%E3%81%84%E5%87%BA-%E8%A5%BF%E7%94%B0-%E9%95%B7%E5%AF%BF/dp/4887521499

※補足:先ほど確認しましたところ、リキエスタの会発刊のオンデマンドのサイトが無くなっており、現在は古書でしか入手出来ないようです。

 明治新聞雑誌文庫に到着後、まずは午前中に一仕事して、昼には一旦休憩として、昼食を食べに赤門付近で何か店が無いかと探しました。これまで東京へは国立国会図書館や国立公文書館へ何度か調査に来たことはありましたが、学生だった頃には貧乏調査旅行ということで、大体は夜行バスで往復していたものですから、近場で安く食べることが出来ればそれでいい、と殆どこだわりなく食事をしてました。就職してからは、仕事で東京に来ていますので、旅費は自弁ではないので、仕事の後は手持ちで満喫出来ることを順に試していっておりました。筆者自身が大阪生まれ、大阪育ちの、思いっきりの関西人ですので、東京の蕎麦って食べたことがない、ということで、今回はそれを試してみようという気持ちでいておりました。折角なので関東の蕎麦も食べてみたいと思って、どこかで蕎麦と丼物でも食べることが出来ないかと思って、近隣の店を物色したところ、現在の赤門前のナチュラルローソンのあたりでしょうか、とある飲食店を発見し、そこで昼食をとることにしました。店は間口が狭く、奥行きの長い、京都風に言うと「うなぎの寝床」と通称される形式の建物であったと記憶しています。

 店に入って、何を食べようかと、お品書きを物色していて、蕎麦は食べるとして、丼は何にしようか、と考えている時にふと気づいたのですが、この店には昼定食的な麺類と丼物のセットがない。メニューの端から端まで再度確認してみたんですが、ない。そういえば、大学時代に関東の人から、関西人がお好み焼きとご飯を昼食に食べることや、お好み焼きと焼きそばを一緒に食べることを、でんぷんででんぷんを食べている、両方とも主食じゃないか、と言われたことが脳裏に記憶によみがえりました。そうか、関東は主食のでんぷんと副食のでんぷんを分けて考えて食べるということをしないのか、と、そこで初めて気付き、その場では止むを得ず、少々散財ではありましたが、蕎麦と親子丼をそれぞれ単品で注文をして、お目当てのものを食べることが出来ました。

 関西では、うどんと丼、そばと丼のセットが当たり前に店にあるので、この関西と関東の風習の違いになかなか気付きませんでした。そういえば、飯野亮一『天丼、かつ丼、牛丼、うな丼、親子丼』にも、セットについての記述はなかったように記憶しています。

 異なる食品同士の出会いということについては、蕎麦屋の屋台の隣に天ぷら屋の屋台があったことで、蕎麦に天ぷらを乗せるという、利用者側の独自の工夫によって天ぷらそばが誕生した、ということが、同じく飯野亮一『すし、天ぷら、蕎麦、うなぎ』には記されていました。定食という概念については、恐らく洋食の普及に伴って出てきた考え方で、とんかつが誕生した当初から現在のとんかつ定食のスタイル(ご飯、味噌汁、とんかつ、千切りキャベツ)であったことや、大正期以降にデパートでのレストランの食事の際などに発展していったのではないか推測されます。下記の3書あたりが参考になるかと思います。

 もはや今では全国画一的に麺類と丼を提供するようになっているかも知れないので、隔世の感がある方もいるかもしれませんし、チェーン店系の飲食店ですとこの時期でもセットで提供していたかも知れませんが、当時は関東の方に「関西人はでんぷんを主食に、副菜もでんぷんを食べている」と非難(?)されたこともあり、東西の文化の違いに随分とカルチャーショックを受けた記憶があります。あくまで個人的な体験ですので異論もあるかも知れません。ただ、この話を関西人の複数に話したところ、同世代の関西人には結構共感を得られたので、一定層の関西人には同じような経験をされた方もいたようです。現在では通信などのメディアが普及しているために、関西と関東の違いというものもなかなか感じる機会が少ないかも知れませんが、こういう形でも関東と関西の文化や風習の違いというのを感じることも、一つの文化、歴史を考える契機になるのではないか、とも思っております。





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