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#093それを入れるのには訳がある―歴史と調理科学を考える

 最近、『調理科学でもっとおいしく定番料理』(1)(朝日新聞社、2021年10月)という本を読みました。これは朝日新聞に連載されていた「ごはんラボ」というコーナーをまとめたもので、なぜこの順番で調理するのか、野菜を下茹でする理由は何か、魚を調理する前に塩をふるのはどうしてか、など、調理するに当たってのコツをきちんと科学した「調理科学」について記した本で、日頃の料理に活用できるレシピと共に紹介されています。

 2年ほどこの企画を担当されていた長沢記者の調理科学についてのお話も「朝日新聞Podcast」でお話されておりますので、なかなか面白かったので、そのリンク先も記載しておきます。

 何となく調理科学といわれてもなかなかイメージしがたいと思います。野菜を下茹でするのは、細胞壁を熱で破壊して柔らかくし、中まで味が浸透するようにしている、というのですが、細胞壁といわれても目に見えるものではないので、あまりピンとはきません。しかし何らかの化学変化を促す行為を調理の途中で行っているということが言えるでしょう。
 そのような化学変化を伴う調理を必須としている例として、例えば日本酒やこんにゃくが挙げられるでしょう。
 日本酒は古くは濁り酒、どぶろくと呼ばれるもので、白濁した酒でした。17世紀ごろ、大阪の鴻池家で酒造りをしていましたが、金を使い込んで追い出されることになった手代がおり、腹いせに酒の中に灰を入れて出ていくということがありました。残された酒を家の者がその被害にあった酒を確認したところ、上澄みが透明に澄んでいて、味もまろやかになっていたということです。このことが事実かどうかは明らかではありませんが、これが清酒の誕生と言われています。飲み物の中に灰という飲食物でないものを混入させることで、化学変化を起こして別な飲料へと進化したと言える出来事で、飲食物でないものを混ぜ合わせるという発想はなかなか思い浮かばないでしょう。
 伏見の酒造業者「富翁」のHPに伏見の酒造業の歴史や日本酒の歴史などがまとまって掲載されていますので、ご興味のある方は下記リンクからどうぞご覧ください。

 また、こんにゃくも製造過程で石灰を入れるという、食べ物にとても入れるものではないものを投入します。これも人の口にするものでないものを投入するので、聞くと一瞬ぎょっとします。日本こんにゃく協会のHPによると、昔は草木灰(草木を燃やした際に出来る灰)から灰汁(あく)を作り、それをゆでてすりおろしたこんにゃく芋に投入していたそうです。こんにゃく芋は焼いても煮ても、口の中に入れただけでピリピリするほどのえぐ味があるそうで、そのままでは食べることが出来ない食物でしたが、そのえぐ味を除去して、なおかつ凝固作用のある灰汁を入れることで、現在のような食品となったそうです。日本こんにゃく協会のHPに作り方や歴史についての記載があるので、リンクを下記に記載します。また日本石灰協会のHPにも同様のことが記載されておりますので、こちらも併せてリンクを記載いたします。

 現在では、このような化学反応が起こるから、ということで理解できますが、当時としては作ったものが全部だめになる可能性も孕まれていたので、想像を絶することを積み重ねての日本酒やこんにゃくの製造の歴史だったのではないでしょうか。
 この調理科学の本を読んでみて、筆者自身もいくつか普段の生活の中で試すことが出来ることをやってみました。例えば、調理前の魚に塩を振るタイミングや待つ時間を本にしたがって行ってみましたが、塩を振ることで魚の中にある水分を塩の浸透圧で外に出し、そのことで魚独特の臭み成分も一緒に外に出す、という効果があるという理由から、以前よりも生臭さが減り、より美味しく食べることが出来ました。また、ひき肉を使ってミートソースのパスタを作る際に、ひき肉を炒めるのではなく、先に野菜を炒めて、コンソメスープでひき肉を煮詰めるようにすると、直接焼くと固くなる肉が、煮ることによっていつもより瑞々しくて柔らかいミートソースが出来上がりました。
 このように経験則を科学的に分析することで、誰でも失敗することなく調理が出来るという「調理科学」ですが、歴史的に多くの失敗を元に経験則で積み上げられてきたことにも訳があることを、科学的に証明してくれるものと言えるのではないでしょうか。

 これと関連してPodcastで放談しておりますので、ご興味のある方は下記リンクからお聞きください。


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