#158戦争と食事-銃後の生活で食べられていたもの
「#129戦時下の生活と”普通の人々”」において、こうの史代「この世界の片隅で」を見たという話を書きました。普段から史料を見ている者としては、劇的な出来事などない「普通の人々」のことを史料で読むことの方が多いため、いわゆる戦争ものの映画のような劇的な出来事が起こるようなことより、こうの史代の描いた世界観の方がむしろ当たり前であるので、特に目立った感動は覚えなかった旨を記しました。この漫画原作および映画を見て以降、世の中の大半の「普通の人」の生活をより多く見る方法がないものかということを気にしていました。今回はそのような資料を読んでのお話です。
以前に、斎藤美奈子『戦下のレシピー太平洋戦争下の食を知る』(岩波書店、二〇〇二年八月)という本を読みました。戦時下の日本でどのような食生活が送られていたのかが記された本で、戦前に発行されていた婦人雑誌に掲載されていたレシピを元に、具体的に当時の料理が再現出来るといった本です。当時のレシピは、米をどのように節約しながら満腹感を得るか、どのようにコメの代替食を作るかといった観点や、数少ない食材をいかにアレンジして飽きの来ない食生活にするかなどに焦点を合わせたものとなっており、当時の食生活でどのようなところに重点が置かれていたかが良く判る本となっています。少し例を挙げると、「里芋おはぎ」では、もち米の代わりに里芋を用いるというもので、米と一緒に里芋を炊き、炊きあがったらすりこ木で潰して、きなこやごま、青のりなどをまぶすというもの(一一九頁)で、今食べても美味しそうに思えますが、「ぬか入りビスケット」となると、小麦粉とぬかを一対一で混ぜ、砂糖、卵、バター、ベーキングパウダーを入れて混ぜ、好みの大きさ、厚さにしてフライパンで焼く(一二二頁)、となっており、想像しても奈良公園の鹿せんべいのような感じなのでは?と思わせるような材料になっています。実際に再現出来るように材料の分量も書いているので、ご興味のある方は再現してみてはいかがでしょうか。(上記掲載頁は岩波アクティブ新書版によります。現在は文庫化されていますので、そちらを参照される場合には掲載頁が異なるのでご注意ください。)
斎藤美奈子『戦下のレシピー太平洋戦争下の食を知る』では個別の料理について記されていますが、暮しの手帖編『戦争中の暮しの記録』(暮しの手帖社、一九六九年八月)は直接戦争体験された人々の体験記を集めた本なので、さらに実際の具体的な食生活ついても書かれています。米や麦の配給が戦争末期になると滞りがちになることや、配給される予定の食品が届かずに別なものに突然変わったり、といった当時の様子が描かれているのも興味深いです。直接食品以外にも、塩や醤油、味噌も配給が滞りがちで、塩が無くて海水でおかゆを作る話なども出てきます。
特に興味深かったのは、日々の配給の記録を記した箇所です。これを記した人物は、当時京都在住の方で、京都で昭和一九年(一九四四)一月から同年九月に実際に配給されていたものの内容が克明に記録されています。一月八日では、大根、砂糖、醤油、味噌、などとなっており、ある程度の食材のバラエティーに富んでいますが、同一四日は白菜、みかん、同二六日はかぶ、同二七日は無し、同二八日は大根、同二九日は牡蠣、と一品目だけの配給が続いたりしており、当時は日々の献立の立てようもなかった様子が見て取れます。
戦地では兵士が当然苦労をしていたかと思いますが、銃後において、全国どこででもこの程度の生活を強いられていたというのは、なかなか戦時下を描いたドラマなどでも描かれてはないかと思います。その中で、婦人雑誌などの上で代用食品を用いたレシピが掲載されて、何とか普段の生活に潤いとまでは言えないまでも、空腹感を紛らわせるような工夫をして乗り切ろうという一般民衆の知恵が感じられます。
再び戦時下になってこれらの書籍に掲載されているような食生活になるのはまっぴらごめんですが、このようなことを知っておくと、災害時などにあるもので工夫するというような知恵として、普段はなかなか活用することはないかと思いますが、役に立つこともあるかも知れません。