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【第三話】 不安な心に忍び寄る陰〜ネットワークビジネスをスタートした私〜

2人の息子が大学を目指していた頃、膨大な学費のことで私は頭を悩ましていました。

いつもブティックに来られるお客様の中に、ネットワークビジネスをやられていて、4年間も私を誘い続けていた人が居たのです。

4年間もw

その方がお越しになられたある日、彼女は私に言ったのです。

「ネットワークビジネスを一緒にやろう」

今の、そしてこれからの時を、乗り越えるには既存の事にしがみ付いていては大波にさらわれると思った私。

ネットワークビジネスという、今まで聞いた事もない知らない世界にフックを掛けました。

しかし、ネットワークが大嫌いだった主人にはどうしても伝える事が出来ませんでした。

私はやるしかなかった。
【選択肢がなかった】のだから。

登録してクレジットを組んだ私。
こんな勝手な行動は初めての事でした。

翌日になって主人に打ち明けると
「世の中、君が考えている程甘く無いぞ辞めなさい。」

「もう、登録したし、やるつもりです。」と答えた私。

私の気持ちが変わらないのを悟った主人は、
「やるなら1つだけ条件が有る。ブティックのお客様には、1人として手をだすな。」

お先真っ暗になりました。
あの人にもこの人にもと私のリストアップは全てブティックのお客様だったのです。
伝える人ならいくらでもいるとさえ思っていました。

条件を出されたわたしは、
いきなり【リストがゼロ。。。】

ある日の朝、洗濯好きの私に、掃除好きの隣のおじさんが玄関脇で
「おはようございます」
と声をかけて来たのです。

なんのご縁か話が盛り上がり、仲良くなっていきました。
そして何と、その後お誘いしてビジネスの登録になったのでした。

後から聞きましたらその方は何と幾つものネットワーク経験者だったのです。
さすが経験者、あっと言う間に数字を作ってランクアップして行ったのです。

商材は《下着がメイン》
布物は私のオハコです。
任せてとばかりに売りまくりました。

物の良ささえ私自身が実感すれば、私は物を売るのは得意です。


ブティックで良い物をお客様に勧める事で事業を継続しておりましたから、何せ物は売れたのです。

しかし、【ネットワークビジネス】という業界は物がいくら売れても、収入が上がって行く仕組みではありませんでした。


また、人を介して販売していくこのビジネスのスタイルは、
・顧客を獲得するまでのコスト
・獲得した顧客がさらにリピーターとして多くの製品を購入してくれたり
・顧客から顧客へ伝わって広がる(C2C)
にはなり得なかったのです。

つまり売上を上げて利益を確保するには非常に非効率だったのです。

そしてアップラインと言われる上のリーダーからは、
「売る仕事では無いよ」
と、後にセミナーで散々聞かされたのです。

そうは言われても商人の家で育った私はガンガン売って歩いたのでした。

難しい事はさておいて、自分のやり方で数字をあげそのコミッションが月額100万円を超えたのです。

段々と組織を意識するようになり、
全く心の通じないUPとのやり取りに疲弊しながらお金や気力を失っていきました。


売上が増え、コミッションが増えても経費も増えていく、決して利益が増えて生活が楽になる事もなかったのです。

そして権利収入になって自由になれると聞いてはいましたが一向にそんな事はなく、私の時間はどんどん無くなって行ったのです。

50-60歳、私は全てを賭けてネットワークビジネスに取り組みました。その中で私が後悔している事があります。

主人にそれまで一度もと言う程、逆らったこともない私が、そのネットワークビジネスの東京や大阪で開催されるイベントや大会(ラリーやコンベンション、パーティー)に主人の反対を押し切り、主人が嫌な顔をするのを顧みずに行っていたのです。


このネットワークビジネスにおいてイベントに行くのはあたりまえだったのです。

【集めると言う事は自分が集まる事】


私もリーダーの一人でした。
私は行かざるを得ない状況にあったのです。
自由だと言われて参加したビジネスだったはずなのにそこには自由というものは存在しなかったのです。

主人と一緒にいたかったけどいられなかった。死期の迫っていて、体調の悪かった主人を置いて行かざるをえなかったのです。

私と一緒にいたかったはずの主人。


ギリギリまで内緒で【今日行くから】と言い残して、寂しそうな顔の主人を家に置いて出掛けていたのです。


頻繁に。

大切な時期を一緒にいられなかったのです。

後悔先に立たずとはこの事です。


後悔しても主人も時間も帰ってくる事はありません。
私は申し訳ない気持ちで今でも考えると辛くなります。

よくネットワークビジネスでは、家族や子供とは成功したらいつでも居れると子供の学校行事があってもビジネスを優先してしまう方々を目の当たりにして来ました。

しかし、子供の成長などあっと言う間なのです。その成長の瞬間には二度と立ち会えないのです。

そして夫婦として二人でゆっくりと出来る時間など子育てなども考えるとそれもまた一瞬。


この世で一緒に過ごせる、様々な体験を出来る事など殆ど残されていない事を後で知ったのです。

お金を稼いでもいくらタイトルを取ってチヤホヤされても、煌びやかな姿でステージに立っても、その後の思い出も創るパートナーが居なければそれは色褪せた物になるでしょう。


ビジネスの目的は家族の幸せ、家族の笑顔で有り、ビジネスは手段であり、目的ではないのです。

その時はわからなくなるのです。
手段が目的に変わって行くのです。

気付けばセミナー付けの毎日がやって来るのです。

私の家からセミナーが開催される札幌まで約6時間、経費削減の為に車に何人も乗せて夜中の2時に起きて出発。

昼のセミナーに間に合うために早朝に出発して日帰りで往復、帰りはいつも夜。
それが頻繁になっていくのです。

主人の
【またか?】という寂しそうな言葉。

さぞかし不快だっただろう主人。
彼はとても寂しがりやでした。
そしてとても優しい主人だったのです。

1人取り残された病気がちの主人。そんな彼を家において、後ろ髪ひかれる思いでハンドルを握って札幌に向かったのです。

10年経った頃、私が行なっていたネットワークビジネスが、業界では頻繁に起こる業務停止になってしまったのです。

期間は半年間。

仕事が完全にストップしました。
権利収入と言いながら実態は愛用者は殆どいず、売上の殆どは新規の獲得だったのです。
つまり収入は殆どなくなるか、激減するかのどちらにしても最悪な状況に向かっていくのです。


その時ふと冷静になり収支を見ていて衝撃を受けた私がそこにいたのです。


経費と収入を見れば明らかなのに、なぜかネットワークビジネスにハマっている時にはこの経費から目を背けてしまうのです。


これは私だけではありません。
殆どの人がそこから目を背けてしまうのです。


私の収支は赤字だったのです。
毎年、帝国ホテルで表彰されるイベントに3000人以上の人が集まるのです。

そこへ着飾りステージに立ち、多くの人から称賛されるのです。


その様なものは最初は嫌いだった私、しかしそこにハマって行くとステージに立つその高揚感。達成感に手段だったはずのビジネスが目的とどんどん変化をしていく。


そしてその煌びやかな世界でステージに立つための衣装代、食事やパーティー、イベント費用に、交通費、時には宿泊代まで。。。


そこへの大きな出費が待ち構えているのです。


大会のたびに新製品が発表されます。会社側も売れるのがわかるので大きな大会では新製品を必ず仕掛けて来るのです。


そして新製品は自分が買わなければ下は当然、買わない。
そして、私たちが買う様に、買わざるをえない様に会社もトップリーダーも自然な圧力をかけてきます。


何十万円もの製品を毎年。


600万の売り上げでも100万以上の赤字だったのです。
タイトルとっても表彰されても。。。


それにかける経費だけではなく時間も含めると膨大な損失が出ていたのです。
これがわかっていたらパートで近所に働きでて、株式投資など堅実に運用した方がはるかにお金は残っていたでしょう。


しかし中に入り気付けばまさに洗脳状態になっていくのです。
この状況についてはまたの機会に詳しく書こうと思います。


これが実態なのです。
私は洗脳されていたのかも知れません。


私何やってるの⁇



ふと我に返ったのです。置かれた状況や業界の実態に気付きスパッとビジネスを辞めました。


既に10年近い時が経っていたのです。
失った物は大きいのです。
お金を時間も。。。


そんな折、主人の病気が悪化し緊急入院して手術になったのです。


それからは全てがあっと言う間でした。
多くの出来事が一度に私の肩にのしかかって来たのです。


一年後、主人はあっけなく亡くなってしまいました。


61歳で同級生の主人。
まるで吉本の芸人の様に楽しい人だった。
寂しがりで優しかった主人はもう、一緒に過ごす事も一緒に笑う事も出来なくなってしまったのです。


主人が病院でICUに入っていた時に、主人には内緒で決断した事があります。


いつも相談に乗ってくれる主人はICU。誰にも相談出来ない状況の中、弁護士を探して家も売ったのです。


私は自分の人生をうらみました。


かつてパン屋を去って一銭も無くなり、ネットワークビジネスでも赤字。



ステージで表彰されていた私。煌びやかな格好で、リーダーして称賛されていた私。

しかし実態はどうだろう?

ブティックも斜陽でジリ貧続き。


これが私に与えられた人生なのか?

そうであれば今決断するのは、私しか居ない。


店を閉めました。。。


自分で設計して建てた気に入ってた、そして家族の思い出が詰まった家も売りました。


全てをゼロにしたのです。


いつの頃だったか母が、ポツンと言ったことを思い出すのです。


「人生はね、幸せと不幸せが 皆んな平等に半分ずつ与えられているんだよ。前半が幸せ半分なら後半が不幸せの人もいればジグザグに経験する人もいるんだよ」


今、何故そんな昔に聞いた事を思い出したのだろう?

1年後主人が他界しました。

途方にくれている訳にはいきません。私は主人の分も幸せにならないといけないのです。

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◆ エピローグ
◆【第一話】私とは?
◆【第二話】結婚と新たな人生の出発~商売修行時代~
◆【第四話】ネットワークビジネスの問題点とは?~誰も気付けない真実~
◆【第五話】これからを生きる~インターネットを活用して生涯現役~

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