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ぼっち理系大学生の活動記録(12日目)「5万円の卵かけご飯」

13:36

課題提出のため、図書館でせっせとペンを走らせる。

私が今握っているのはただのペンではない。私は今、人生を握っているのだ。

という言葉、私は好きだ。受験期の頃はこの言葉で自分を奮い立たせていた。

18:37

思っていたよりあっさり課題が終わった。

少し時間と心に余裕ができたので、最近行った思考実験的なのをまとめてみる。下の画像は思考の途中段階。これで何を言いたいか分かる人はほぼいないだろう。

しっかりした図はこの記事の最後に載せることにする。

画像1

これを書いたのは数日前である。私はよく勉強に集中できなくなったら何かしらの考え事をする癖がある。

今回はタイトルにも書いたが「5万円の卵かけご飯」だ。

正確に言うと、「5万円の価値がある卵かけご飯」である。

別記事でまとめ直して投稿するかもしれないから一応切り取り線

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今回の思考実験では、二人の人物を用意する。それぞれをAさん、Bさんと名付ける。

今回、彼らの目的は「美味しいものを食べて満足する」である。

初期条件として、彼らの味覚は同じで、財産は多くないとする。

~日曜日 朝6:00~

Aさんは思った。

「とびきり美味しいものを食べたいから、5万円のディナーに行こう」

Bさんは思った。

「とびきり美味しいものを食べたいから、断食しよう」

この場合、幸せになれるのはどちらだろうか。

まずAさんがディナーを食べれるようになるまでの過程を見てみる。

Aさんは言った。

「高級ディナーを食べるためにまずはお金を稼ごう。」

起きてすぐにタウンワークでバイトを探し始めた。さすがタウンワーク。家から近くて時給1000円のコンビニの求人がすぐに見つかった。Aさんは家を出た。

初日から勤務開始だ。1日8時間、フルで労働をした。陳列、接客、先輩に言われた通りにこなした。

そして1日で8000円を稼いだ。もちろん彼は次の日もバイトだ。なぜなら早く美味しいディナーを食べて幸せを感じたいからだ。

2日目。また8000円を稼いだ。次の日も、次の日も、そのまた次の日も。日々のご飯代はなるべく節約した。全ては高級ディナーのためだ。

6連勤目。彼はヘトヘトになっていた。しかし今日の仕事が終われば、自分の貯金と合わせて50000円に到達する。最後の力を振り絞り必死に働いた。

そしてとうとう目標の50000円に到達した。

次の日の夜、稼いだ50000円を握りしめて高級ディナーを堪能し、これ以上ないほどの幸せを感じましたとさ。

次に、Bさんの過程を見てみる。

Bさんは言った。

「空腹は最高の調味料だ。」

Bさんはお腹がすいている時なら何でも美味しく感じることを知っていた。

朝6時にパン1枚の朝食を済ませた。

「今日は夜の12時まで何も食べないぞ」

それは、Aさんの習慣である昼食、おやつ、晩ご飯を抜いて夜食の時間まで断食することを意味していた。

午前中はベッドに寝転がりながらLINEマンガを読んだ。

昼になり、ネットフリックスで映画を二本見た。お腹がすいてきた。

そのあと、21時までは、PCゲームのフォートナイトに夢中になった。オンラインで通話をしながらずっとやっている楽しそうだ。もちろんお腹は空きまくっている。

22時に月曜日提出の課題を思い出し、必死にとりかかる。

終わらせて時計を見ると24時だ。お腹のすき具合は異常だった。

彼はすぐに冷凍庫からご飯を取り出し、温めた。

電磁レンジでご飯のタッパーが回転している間、彼はまだかまだかとレンジの中を覗く。

3分が経ち、「チン!」という音が鳴った瞬間、ご飯を取り出し、どんぶりに移し、卵を割り、醤油を垂らす。

卵かけご飯だ。贅沢はできない。

そして一気に口の中にかきこんだ。彼はこれ以上ないほどの幸せを感じましたとさ。

さて、彼ら二人にとって夕食が非常においしく感じたことは言うまでもないだろう。

しかし、その「美味しい」に差はあるだろうか。

少なくともBさんにとっては、Aさんが食べた5万円分の夜ご飯に相当するほどの幸福感はもたらされただろう。

つまり、Aさんの幸福度≒Bさんの幸福度

また、卵かけご飯の値段<<50000円より、

Aさんの夕食=0円 の近似を用いる。

つまりBさんは、一切働くことなく「18時間何も食べない」という行為だけで、50000円分の幸福感を手に入れたのである。

一方Bさんは、一回の夕食のために50時間の労働を必要とした。コンビニの経験値が今後の人生に活かされて…という議論はやめておくとすると、両者の「美味しいものを食べて満足する」という目的を満たすためなら、Bさんの方がコストパフォーマンス的に正しい選択と言えそうだ。

この記事を書いて、高級ディナーを否定しているわけではない。

今回、幸せの対価として払ったものはBさんは「空腹感」、Aさんは「50時間の労働時間と体力」だ。どちらが良いかは人によって異なるかもしれない。

ただ、「美味しいものが必ず高級とは限らない」という点と、少し広げて「お金が無くても工夫次第で幸せを感じて生きることはできる」という事をこの記事を通して伝えたい。

少し立ち止まり考えてみることで、身近なところで幸せを発見できるかもしれない。

私は、生きている「時間」を出来るだけ楽しく幸せなことに当てたいと考えているので、今回のBさんのような生き方が向いているようだ。

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