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理系大学生の10日間瞑想合宿体験記 vol.3


▶ここまでのあらすじ

10日間の瞑想合宿に参加した私は、1,2日目を通してあまり瞑想に集中できなかった。自分が想像していたよりも、思考を鎮めてただ観察するという事は難しかったのだ。3日目からは、さらに感覚を集中する部位を小さくしていく。また、4日目の午後からはいよいよ本題「ヴィパッサナー瞑想」の実践に入っていく。

瞑想合宿体験記vol.2はこちら


▶3日目・さらに観察する範囲を狭めていく

2日目までは鼻腔の入り口で出入りする空気を観察したが、3日目に入ったあたりから「上唇を底辺とした、鼻腔を含む三角形の部分」、そして「上唇の上から鼻腔の入り口の下までの部分」へと、段階的に観察する場所を小さくしていくように指導された。

指導者であるゴエンカ氏(の日本語訳)によると、集中する部位が小さければ小さいほど、こころは鋭敏に研ぎ澄まされるらしい。

たしかに範囲が小さいほど集中することは容易ではあったが、それでも過去の事や特に現在と関係がないことについて思いを馳せる時間が大部分を占めていた。

●見上げれば満天の星空

今回の瞑想施設は千葉の人里離れた奥地にある。

1,2日目は曇天だったために星空を拝むことが出来なかったが、3日目は快晴だったので、講話後の休憩時間には満天の星空を見ることが出来た。

普段の10倍くらいの数、星を見ることが出来た。本物の北斗七星を見たのは、生まれてはじめてだと思う。ぜひとも写真に収めたかったところだが、スマホは没収されているので叶わなかった。

星を見ることは、コース期間中、シャワーを浴びる事とならんでとても良い気分転換になった。皆さんも、コースに参加した際には天を仰いでみてほしい。きっと感嘆の息をもらすことと思う。

●明日からはヴィパッサナー瞑想と決意の瞑想(アディッターナ)が始まる

講話の時間中に、4日目からはヴィパッサナー瞑想および決意の瞑想(アディッターナ)が始まることが予告された。ヴィパッサナーのほうは後述するとして、決意の瞑想について軽くご説明しよう。

決意の瞑想は、一日に三回実施されるグループ瞑想の時間に適用されるルールである。各回1時間のグループ瞑想中には、瞑想者は目を開ける事と手や足を組みなおすことが禁止される(もちろん、体が痛すぎたりして我慢できない場合は仕方なくこのルールを破ることになる)。

講話後約30分の瞑想時間に、私は先んじて決意の瞑想を体験したいと思い一人で勝手に決意の瞑想をやってみた。

●決意の瞑想≒拷問

この時まで、瞑想中は何度も足を組み替えたりしていたが、正直、30分なら姿勢を変えない事など余裕だと思っていた。

決意の瞑想を始めてから約10分後、両脚(特に膝の部分)が鈍く痛くなってきた。そこからが、拷問の時間の始まりだった。時が過ぎるほどに痛みは強くなっていく。下半身が燃えるように熱く痛かった。指導者からは、瞑想中は冷静さを保つように言われていたが、この時ばかりは表情は鬼のようにゆがみ、顔からは大量の汗が出てきた。

コース参加前に「進撃の巨人」を読んでいたからか、中央憲兵がハンジとリヴァイに爪をはがされるシーンがやたらと頭に浮かんだ。
ああ、あの中央憲兵はこんな気持ちだったんだ…。

1秒1秒をかみしめて消費していった。まだか、まだかとばかり考えていた。途中で足を組みなおそうかとも思ったが、たかが30分で音を上げていたら翌日からの1時間の瞑想は出来ないと考え、本当に死ぬのも覚悟で不動の姿勢を保ち、何とかやり切った。

30分が経ち、瞑想ホールから出ようとしたが、脚が痛すぎてすぐには立ち上がることが出来なかった。「いたたた…」と心の中で言いながら、足を引きずり何とか宿舎まで帰っていったのであった。
明日から大丈夫かな、コースが終わるころには脚が破壊されているのではないか、と本気で思った。

▶4~6日目・脚の痛みに耐えきれないまま時は過ぎる

●ヴィパッサナー瞑想と決意の瞑想(アディッターナ)のポイント

ヴィパッサナーは、頭のてっぺんから足の先までの、体の部位感覚を観察していく瞑想法である。順番としては、

頭のてっぺん→頭皮→顔→肩→上腕→肘→前腕→手指→喉→胸→腹→首→背中→腰→太もも→膝→すねとふくらはぎ→足

といった具合である。(なお、この順番ではなくとも構わないし、上記の順番とは逆の向きで行う事もある。ただ、全身をくまなく観察することが重要らしい)

全身の感覚に気づくと共に、冷静さを保つことが大切なのだと指導された。時には強烈な痛みが襲ってくることもあるし、時には何とも心地の良い感覚が生じることもある。だが、それにいちいち反応することなく、淡々と観察を続けていく。

何度か書いてはいるが、改めて決意の瞑想の内容についても簡潔に記す。
決意の瞑想は、一日3回行われる1時間のグループ瞑想の時間に行われる。この時間中、瞑想者は目を開けたり、手や足を動かしたりすることを禁じられる。おそらく、これは痛みなどに反応して態勢を変えようとしたり、時間を確認したりすることをむやみにさせないための手法なのだろう。

ヴィパッサナーは4日目の午後から、決意の瞑想は夜から始まった。

●6日目まで決意の瞑想を達成できず

最初のうちは、決意の瞑想は拷問に等しく、1時間も姿勢を変えないでいることは出来なかった。だがしかし、やっていく中で次第に姿勢を変える回数は着実に減っていった。

5日目になるころには、自分はどうしてこんな山奥で拷問のようなことをやっているのだろうか、という心境になった。自分から進んで参加したコースなので、リタイアしようという考えは毛頭浮かばなかったが、何してるんだろう私、という感情は滲み出してきた。

●痛いのは自分だけではなかった

5日目の講話での事。次のような内容が話された。

ヴィパッサナーを始めた最初のころは、1時間姿勢を変えない事は、地獄のように思えるでしょう。「何なんだこの瞑想は」「まるで拷問じゃないか」と思う人が、多いはずです。30分くらいは、まあ大丈夫でしょう。しかし、45分を超えたあたりから、冷静に痛みを観察することは難しくなります。1分が、1時間にも感じられます。指導者は1時間経ったことに気づいていないのではないか、まだ終わらないのか、と、心は乱れます。他のみんなもさぞ痛がっているだろうと思ってそっと目を開けて横を見ると、横の人は仏像のような顔をして、まるで何の痛みも感じないかのように座っています。
決意の瞑想を嫌がる人は、たくさんいます。私はよくこう聞かれます。
「このコースは素晴らしいです。瞑想によって心も体も軽くなり、講話も非常に感動的です。しかし、あの1時間の決意の瞑想だけは何とかなりませんか?体が痛くて痛くてたまらないのです」
私だって、皆さんを痛がらせようとしてやっているわけではなく、出来る事なら決意の瞑想をやらずに済むようにしたいのですが、この瞑想を実践してこそ得られるものがあるのです。痛みをはじめとした体の感覚を、真正面から観察する事を実践する必要があるのです。

このお話を聞いて、私はとてもうれしくなった。 何故か?
私の当時の心境を、ほとんどすべて語ってくれたからである。決意の瞑想が拷問のように思え、それをやる必要性をあまり感じなかった私に、答えをくれたからである。また、自分のように周りのみんなも脚や体が痛い中瞑想をしている事が分かり、自分が感じていた猛烈な痛みや不快感は先人たちも感じていたことがわかって嬉しかった。

この講話のおかげで、また心機一転して瞑想に励もうと自分を奮い立たせることが出来た。


瞑想合宿は佳境に入っていく。

瞑想合宿体験記vol.4(最終回)はこちら


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