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今があってよかった。そう思える日が必ずやってくるから。

※この記事はセンシティブな内容を含みます。心が元気なときに読むことを推奨します。































この記事を、2019年夏〜冬の私へ、2021年夏の私へ、2022年秋の私へ、そして未来でしんどい思いをしている私自身へ捧げます。













2019年


初めて本気で死にたいと思ったのは2019年、高校一年生のときだった。
中学生の頃から死にたいとは思っていた。
だけど、実行に移すまでではなくて、過呼吸になるくらいでなんとか抑えられていた。
でも、高校一年生のある日、勉強が頭に入らなくなった。
死にたいしか考えられなくなった。
夜眠れなくなった。
ご飯がおいしく感じなくなった。

必死の思いで書いた私の手紙を読んだ両親は、私を病院へ連れて行ってくれた。そこで告げられた診断名は「適応障害」だった。
薬をもらって、きちんと休むことをアドバイスされた。

でも、これを読む私は知っていると思うけど、このとき既に私は壊れていた。限界を迎えた心は毎日悲鳴を上げていた。





私はついに、アームカットを親に隠れてするようになった。
痛いのが苦手だったはずの私が、自分の身体を痛めつけることで、心の痛みを忘れようと必死だった。
四六時中死にたいと言ってくる心と、生きたいと言ってくる身体のチグハグさに私は翻弄された。
腕には赤い線が並ぶようになっていた。
死にたい死にたい死にたい。助けて助けて助けてって。

ドライヤーのコードで首を吊ろうとしたこともなんどもあったし、高い建物に入るたびにどこからか飛び降りできないか考えたし、駅のホームに立つとホームに吸い込まれそうになる感覚を覚えた。

「先生、私、腕を切ってしまっているんです」
主治医の先生は私をじっと見つめた。

「教えてくれてありがとう。」
先生は私にこう言った。
少しだけ、心が軽くなった。
診断名が「うつ病」に変わった。





あの日のこと、まだ覚えてるかな?
たしか2020年の一月だったと思う。
あなたはその日、飛び降りて死んで終わりにしようと思っていたよね?
最後の悪あがきとして、図書館で精神医学の書棚を見て、気になった本を読んで、それでもダメだったらふっと消息を絶って、死のうとしていたよね?
でも、そんな私に奇跡みたいなことが起こった。
書棚に差されていた一冊のエッセイ。タイトルに惹きつけられた私は、その本を読むことにした。

共感できることばかりだった。
著者と私の経験したことは違う。だけど、読んでいるうちにどんどんそのエッセイに引き込まれていった。
気がついたら、家族が迎えに来てくれる時間になっていた。
私は死ななかった自分に驚きつつも、その本を借りて家に帰ったね。
そして、その本を読みながらたくさん泣いたね。
その本の著者が精神的不調を抱えて苦しんでいたところから、自分らしく生きられるようになるまでをつづったそのエッセイに、私は生きたいと思えるようになるきっかけをもらった。
そこからは調子が悪くなったり、よくなったりを繰り返しながら、最終的には寛解して通院を止めることができた。
めでたしめでたし。
……とはならなかったよね。





2021年

高校3年になった私は、再び不安定になることが多くなっていた。
自分でもそのことに気づいていたけれど、進路のこともあるしそんなこと言ってられないって思っていた。
だけど、六月。ついに耐えきれなくなって、死にたいって思ってしまったよね。
不幸なのか、幸いなのか、私は家でひとりでいることが多かった。
オンラインでの校外活動のときだけ、元気な自分を演じて、あとの時間は「死にたい」と検索して時間を潰す日々がやってきた。
今思えば完全に再発してたんだと思う。でも、家族にそんなこと言えなかったよね。


あの日々のことも、忘れたわけじゃないよね?
家にある薬と楽に死ねるように用意した睡眠薬を大量に震える手のひらに乗せて、口元に運ぶところまではできるのに、どうやっても飲めなかった日々のこと。
気づいたら私は泣いていて、もう頑張れない、どうして死ねないの?って絶望していた。
過去から逃げるには死ぬしかないのに、どう頑張っても死ねない、その事実に打ちのめされていた。

でも、そんな私の考え方を変えたのが、ゲーム実況の動画だった。
あんなに落ち込んでいたのに、なぜかゲーム実況の動画だけは私、頑張らなくても見れたよね。
そして、それを見るうちにまだ体験していないことを体験してから死にたいと思うようになった。例えば、私はまだ渋谷の109に行ったことがないし、髪を染めたこともなかった。まだやってみたいことたくさんあるのに、それをやらずに死ぬのは気が早いかもしれないって考えが変わった。
それに、もう頑張れないと思うのなら頑張らなくても生きていける方法で生きていけばいいと思った。

これからの人生は余生だと思って、もう好きなことしかしない!

そう決めたから今の大学を選ぶことができて、最高な日々を過ごすことができているよね。だから2021年のあなたには本当に感謝しています。


でも、まだ私の死にたい体験は終わらなかった。


2022年


5月。私は再診にかかることになるよね。
今度はうつじゃなかった。だけど、別の病気にかかってしまったよね。
この時、結構落ち込んだ。今度の病気は周りにも迷惑をかけるスーパー厄介なものだったから、余計にしんどかった。
入って4ヶ月のバイトを病気のことを考えてやめた。
でもこの時はまだ、死にたいとは思ってなかったよね。それより、不安で押しつぶされそうで、毎日息苦しかった。

11月。その不調はやってきた。
突然の希死念慮に襲われたときは、久しぶりの感覚に驚いた。
こんなにしんどかったけ、死にたくなるって。
私は再び自傷を始めるようになっていったし、今度は眠る時間が異様に長くなっていった。
そして、12月17日。私は致死量のODをしようか考えてネットで「○○ 致死量」と調べていた。結果、全く致死量に届かないことが分かり、それだったら結局依存が始まるだけだと思ってやめることにした。

この時は、自分の死にたいが幻想だって気づいて、死にたいの沼から離れることができた。






過去の私へ。


とても今辛いと思います。布団の中で何度泣いたか数えきれないし、どんどん普通でなくなっていく自分が嫌いで仕方がなくなっているよね。でもね、ちょっとだけ2023の私から話をさせてほしい。

2019年、あのとき自殺しなかったから、今の私がいます。
だから、2019年の私には生きてくれてありがとうと伝えたい。

2021年、あのとき、もう好きなことしかしないって一見わがままに思える決断をしたから、今の大学でウルトラハッピーな学生生活を送ることができているよ。
2021年の私の英断に感謝してる。

そして2022年。
この時が一番精神的には自立していましたね。このときの私は自分で日記をつけることで自己治療的に自分を見つめ直して、死にたさと向き合うことができたのだと思う。その途方もなかったであろう努力に、私は今とても感謝しているよ。

ここからは過去を生きる自分、そして未来を生きる自分に向けて書こうと思う。
まず、生きていると信じられないくらい優しい人たちと出会うことがあるんだ。今、私の大学の先輩たちはみんなほんとうに優しい。後輩の私に、たくさんの言葉を下さった。だから、案外生きて人と出会うって悪くないよ。
信頼できると思った人には、自分のことを話してもいいかもしれないね。

味方はたくさんいるんだ。

もちろん、今だって完全に死にたくなくなったわけじゃない。
大切な友達や先輩と過ごした夜は、好かれたままでいたくて、突発的に死にたくなることだってある。
だけど、あなたが抱えているその問題や病気は、あなたが思っているほど大きくないし、重くもないよ。これは決して軽んじているわけではなくて、ただ、あなたの思い込みが激しい悪い癖が出ているだけなんだ。
だから、絶対に大丈夫。今死ぬほど苦しくても、辛くても、涙が止まらなくても、私は絶対に大丈夫になれる。どんなに辛いことにも、しんどいことにも終わりが必ずあるから。




今、私が一番思うことは、
「あの時死ななくてよかった。今があってよかった。」
っていうこと。

これは2023の私が保証する。絶対にこれからも、こう思える瞬間に何度も立ち会うってことを。

だから、これは2023の私のエゴになっちゃうけど、

どうか過去の私にも、未来の私にも生きていてほしいんだ。



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