美しいゆめ⑦【創作小説】

「拝啓 柳田時生様。一人で旅に出ると決めた事。どうかお許しください。私はあなたを愛しています。愛しているからこそ、これ以上あなたとはいられないのです。この矛盾が不器用な私の最大の愛だと言う事。あなたには分かると信じています。初めて会った日からあなたは私に愛を与え続けてくれていましたね。私が背負った運命を知った時、あなたは泣いてくれました。目が覚めた時は絶対に隣に居ると言って、最後まで本当に隣にいてくれた。夢から醒めた後、あなたの前で何度も取り乱してしまってごめんない。あなたに大丈夫だよと言われながら抱きしめられると自然と大丈夫になっていく気がした。私達は過去の話や家族の話をほとんどしませんでしたね。私にはそれが心地良かった。今の私を受け入れられている気がして嬉しかったのです。あなたに最後のお願いがあります。私の遺影を決めて欲しいのです。勿論、あなたが撮った私の中で。どんなものであれ、その私がいちばん好きな私です。あなたを愛し、愛されることができて幸せでした。ありがとうさようなら。」


一緒に沖縄に行く日の朝。二通の手紙がテーブルの上にあるのを見つけた。柳田時生様。隣には門脇七瀬様という知らない名前があった。それが美月の愛する(恋しい)人だと気付いたのは、美月の葬儀が行われている最中だった。
彼女は美月の遺影をじっと見つめ、微笑んだり涙を流したりしていた。首からかけたネックレスを力強く握りしめる姿は、この中の誰よりも美月の死を悲しんでいるように見えた。
美月を失った痛みを分かり合えるのは彼女とだけだろう。母親だって例外だ。
美月の棺桶にしがみつくように泣く母親を外に連れ出したのは優しさではない。その声が煩わしかったからだ。美月は死んだ父親の話はたまにしたが、母親の話は一切しなかった。「母には愛されなかったの」いつかそんな事を美月は言った。その横顔があまりに切なくて何も言えなかった。


「お帰りください。邪魔をされては困ります」

「私は母親よ。自分の子供が死んで泣くことのなにが悪いのよ」

「別に愛していないでしょう」


別に悲しんでいないでしょう。と言おうとした言葉は、重量を増して声になった。美月の母親に対して感じるこの怒りが正しいのかは分からなかった。それでも抑えることのできない憤りを沸々と感じていた。


「あんた何様なのよ。美月の彼氏?」

「違います。でも僕らはいつだって互いを必要としていました。愛し合っていた」


美月の母親は心底おかしいと言うように笑った。目や口を大きく開けて声を高らかに笑う姿は、昔見た絵本の中の魔女のようだ。甘ったるい香水の匂いが鼻を掠めた。


「そんなのある訳ないでしょ。男と女で成立する“特別な関係“なんて恋愛以外あり得ない。あんたは美月のこと好きじゃなかったわけ?隣で寝ていても何も思わなかった?」


恋心を問われると否定出来ない。俺は美月が好きだった。それは間違いなく恋心だった。でも共に時を重ねていくうちに恋心とは別の、もっと純度が高くて確かなものに変わっていった。綺麗事かと言われたらそうなのかもしれない。
それでも、互いを傷つけずに存在し続けた愛を他の誰が否定できるというのだろう。


「ほらね、好きだったんでしょ?あの子の事抱きたかったんでしょ?あんたの我慢で成り立っていただけで、ただの恋じゃない。」


この人は恋にしか生きられない人なのだろう。愛というものが、触れ合いや安い言葉の重ね合いでしか得られない。
美月は母には愛されなかったと言った。それでも愛を知り、愛に生きた。目の前にいるこの人には理解できない。恋を超えた愛があること。我慢ではなく方法だったこと。
ただの恋では決してなかったこと。


「どうしてそんなこと美月を愛していなかったあんたに言われなきゃいけないんだよ恋か恋じゃないかで愛が本物か決まんのか。そんな狭い世界で生きてんなら子供なんか産むんじゃねえよ」


そのまま背を向け会場に戻った。美月の母親は戻ってはこなかった。
葬儀を終えて門脇さんに美月の手紙を渡したことで、美月に関してしなければいけないことは終わった。美月は自分が死んだ後の色々を用意周到に準備していたため、そのほとんどが滞りなく流れるように進んだ。こうやって美月のために出来ることが一つまた一つとなくなっていく度に喪失感が広がっていく。俺は美月を本当に失ってしまった。


これからどうやって生きて行けばいいのだろう。



今は分からない。それでもきっと生きてゆくのだろう。美月がいないことが日常になっていく日々が必ず来る。それはひどく悲しいことであり、何よりもの救いだ。家に帰れば彼女の痕跡が所々に散らばっている。毛先の広がった歯ブラシや寝室に掛けられたお気に入りのワンピース。美月が暖かい場所に行きたいと言ったその時の表情がどうしても思い出せない。
捨てたり、遺したり、思い出したり、忘れたり、そうやって整理していくしかない。
家に帰ったらまずあの歯ブラシを捨てよう。ワンピースは暫くあのままで。一緒に観ようと話していたあの映画はいつかひとりで観よう。
頬に感じたあたたかい感触に気づかないふりをして呟いた。彼女にだけ届きますように。



「美月、愛してる。さようなら」














































































































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