All Day Happy Days

君の前で薄っぺらい人間になるのが嫌です。あー私今、とてつもない薄っぺらい返しをしてる。一般的な当たり障りのないありふれた言葉しか言えなくなる。
私の感情で君の感情を動かすのが怖いから。触れたいのに触れたくない。愛も憎しみも、すべての感情に向き合って君のすべてになりたいのに。私はもっともっと君と真剣に向き合いたい。

私は今日数え切れないほど死にたいと思った。大丈夫かもしれない、とも思った。死ぬのはとても怖い。本気で自死について考えだしてから、私の場合はもう"衝動"でしか死ねないなと諦めた。酔った勢いで○○があるなら「酔った勢いで自殺」もあっていいと思う。でもあたしはそれができない。酔った勢いで人を殺しても、酔った勢いで自分を殺すことは難しい。あと、酔った勢いで死ぬなんてなんだか可愛らしくてとてつもなくさびしい。

そうして私は毎日何度も何度も死にたいと思っては、もしかしたら大丈夫かも、の繰り返しで日々をなんとか生き伸ばしていて、「死にたい」と「大丈夫かも」の繰り返しが続いた結果、その感情が一体化する感覚が目覚めてきて、長い長い曖昧な地獄を味わってる。
私はADHDの先延ばし癖を死にすら落とし込んで、死ぬことすら後回しにしてしまっている。もう限界だと思って何年経ったんだろう。

本当は私のまま幸せになれるなら、それが1番いい。
「幸せになりたい」と言おうとしたら口を塞がれる、なにか喉につっかえてうまく言えない。私は私が幸せになることを許してない。私は幸せになっちゃいけない人間なんだ、と完全に脳に刷り込まれてしまった。私の考え方は間違っていると分かっていても、一生この考え方は直らないし、一生直らないなら一生不幸で悲しくてやりきれない。
来世は幸せになりたいなんていらない。私は私だから幸せになりたいとも思うし、それを終わらせることもできる。だからこそ、私の知らないところにある私には興味がない。

自分を生きやすくするために私は毎日毎日必死で、同じリズムで息をするのも、ふいに空を見上げるのも、肩の力を抜くのも、何もかもがあたしにとっては難しい。
どうやったらよかった?こうなってしまった。
どうしてこうなったんだろう。でも、どうせこうなっていた。

でも卑屈にはなりたくない。
もう私の人生、ごめん、愛してる、とかって愛しか語りたくない。

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