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【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】 きっとここにしかない喫茶店で(5)

第四話はこちらです。


第五話

 試食会が始まって二十分ほどが経ち、いまは三人で話し合っている。議題は「それぞれの春のイメージ」で、すごく抽象的だ。

 これまでの話し合いを見ていると、議論をまとめているのは男の方だった。マスターの意見を汲み取って整理し、話し合いを進行している。相談屋をしているだけあってか、意をキャッチアップするのが早い。

 男が話を聞いて、違う言葉で言い換えながらまとめて、また意見を聞く。それを繰り返すことで議論がテンポよく進んでいく。男はミカに分かりやすいように言葉を選んでくれているので、とても答えやすい。それに男だけなくマスターも話を聞くのが上手いので、ミカは久しぶりに楽しい会議に参加していると感じた。

 マスターは意外にも頭の回転が早い。表情はころころとしていて漫画にでも出てきそうなのだが、話し合いとなれば真剣そのものだ。

 ミカはマスターの知らない顔を何度も見たけれど、「でも、これだったら作るのは私じゃなくていいんだよね」と言った時の表情がとても印象的だった。

 マスターはやはりプロなので、たくさんのレシピストックがあってアイデアも豊富だった。意見を出し合う中で、マスターが去年行ったお店のスイーツセットの話が出て来た。それは桜味の飲み物に桜のお菓子を組み合わせたありきたりのものだったらしい。一通りそれについて説明したあと、マスターは言った。

「すっごい美味しかったんだけどね。バランスも良かったし、とても丁寧に作られたメニューだったよ。でも、これだったら作るのは私じゃなくていいんだよね。桜に桜を合わせるのは私らしくないからこの店ではやりたくないなぁ」

 マスターの言葉に確固たる覚悟を感じ、ミカは新しい一面を見たように思った。

 いつもはカラッとしているマスターだが、こんな一面もあるのだ。ai's cafeには柔らかくて軽い空気が流れているが、同時に落ち着きも漂っている。それはきっとマスターのこういう部分によるのだろうとミカは改めてこの店が好きになった。

 軽やかだけど揺るがない、暖かいけど浮いていない。そんな相反する性質を持つのがマスターだ。男とミカがお菓子を美味しいと言ったときには、思いの外へらへらうねうねしていたが、それでもやっぱりすごい人なのだとミカは感じていた。

 ミカが半ば自分に言い聞かせるように思いを巡らせている頃、男が口を開いた。

「俺は結局、春って桜とかが咲く前なんだよなぁ。少しずつ暖かくなって来て、梅が咲き始めて、枯れ木のようだった植物たちが葉をつけて景色に緑が差してゆく⋯⋯そんな光景を見ると『あぁ春だなぁ』って実感していくんだよね。そのあとに桜が咲いて、なんか騒がしい感じになる」

「なるほどぉ」「なるほど!」

 ミカとマスターの声が重なる。最初はお花畑にチューリップが並んでいるのを思い浮かべていたミカは自分の短絡さに恥ずかしさを感じながらも同意した。

 マスターが口を開く。

「桜ってとってもきれいなんだけど、お花見だーってみんなが騒ぐのは私そんなに好きじゃないかもなぁ。それよりは道を歩いていて、すっとお花が咲いている方が落ち着くし、『春やなぁ』ってお茶で一服したくなる」

 ミカはうんうんと頷いた。

「私もそうですねぇ。桜は好きなんですけど、途端に広がる騒がしい空気には馴染めないです⋯⋯。春と言ったら桜とかチューリップをみんなで見ているイメージが湧いたのですが、私はそんな春を過ごしたことがない気がします」

 ミカの言葉を聞いて、目を三割増しで輝かせたマスターが机に身を乗り出しながら言う。

「それだ! それにしよう!」

「え?」

 ミカは何のことだか分からなかったが、横を見ると男は冷静に頷いている。

「うん⋯⋯。今年の春のメニューのテーマは『私たちらしい春』にしよう!」

 マスターは真っ直ぐな瞳をミカに向けた。ミカは眩して直視できないように思ったけれど、逸らさずにいると胸が温かくなってきた。

「いいんじゃないかな。頑張って華やかにしようとしていたのが、行き詰まりの原因のようにも思ったし、自分たちの春を表現するつもりで行こうか」

 男は指を口元に当てて考え始めた。

「で、ですけど、もうコーヒーは決まっちゃってますよね? 桜って、世の中の春のイメージど真ん中だと思うんですが⋯⋯」

 ミカは男とマスターの勢いに気圧され、慌てた気持ちになった。

「そだねぇ⋯⋯。でも名前がサクラってだけだよね。味のことを考えたら、むしろ控えめで美味しかったなぁ。それこそ私が好きな春みたいで⋯⋯」

 マスターの言葉を聞いて、ミカもイメージを捉え直してみる。

「確かにコーヒー自体はすっと香ってくる感じでしたよね? 野山を歩いていたら野生の桜が偶然生えていたみたいな。サクラ違いかもしれませんが、サクラソウがひっそりと並んでいたみたいな⋯⋯。桜に香りはないですけど⋯⋯」

「そう、そういうことだよ! 私たちの春とか桜とかってさ。やっぱりミカちゃんとは波長が合う!」

 マスターはニヨニヨとした。どこか自慢気で、そろそろ「えっへん」とでも言い始めそうな様子である。

 そこに男の冷静な声が聞こえてきた。

「え⋯⋯桜の花って匂いするよね?」

「えっ? 私は嗅いだことないけど⋯⋯?」

「私もです」

 二人の言葉に男は驚いた。

「確かにソメイヨシノとかはあんまりしないけど、いろんな桜があるからさ。街歩いてるとたまに『あ、桜が香って来てるなぁ』って嬉しくなったりするんだけど、それって俺だけなの? 白い桜とかさぁ⋯⋯」

「たぶんそうだよ。聞いたことないし」

「私も初めて聞きました。そんなことありますか?」

 マスター、ミカが続けて反応する。

「ミカちゃん、この人鼻が良いんだよね。だからたまにおかしなこと言うの⋯⋯」

「俺を変な人見るような目で見ないでよ⋯⋯」

 初めてしょげた様子の男を見て、ミカはなぜだか嬉しくなった。

「まぁ、それはそうと——」

 男は一瞬で持ち直し、ついでに話の主導権も取り戻した。

「とりあえずテーマは決まったんだし、もう一度食べ直してみるか、お菓子たち」

「そうだね! コーヒー冷めちゃったし、淹れなおしてくるよ。ちょっと待っててね」

 おっとり系のマスターが今だけはとても素早い動きでカップとソーサーをまとめて、カウンターの方へ歩いて行った。


 マスターがいなくなった後、一瞬静かになったが、すぐに男が話し始めた。

「それにしても、ミカさんも楽しめているみたいで良かったですよ。あと、あれから良い生活を送れているようですね。元気そうで安心しました」

 男は突然あのときのような相談屋モードに切り替わった。それにつられてミカもあの時のことを思い出して、鼻のあたりにツンとしたものを感じた。これはやばいと思った時にはもう遅く、目から涙がこぼれ落ちた。

 そんなミカを見て男は慌てたようだったが、別に辛いわけではないミカが笑いかけると、すぐに落ち着きを取り戻した。そして一言だけ、まるでこの空間自体に囁きかけるように静かな声で言った。

「大丈夫ですよ」

 ミカはただゆっくりと頷いた。恥ずかしくて仕方なかったが、なぜか居心地の良い気持ちもあって、胸が張り裂けそうに感じた。

 マスターがコーヒーを淹れに行ってから時間が経ったはずである。ミカは居た堪れなくて、『マスター早く!』と思っていた。

 そんなとき、まるで見計らったかのようなタイミングでマスターの声がした。

「コーヒーが入りましたぁ」

 ナイスタイミング過ぎるので、見られていたのかもしれないと思ったが、空気を変えるなら今しかないと思い、ミカは元気な声を出した。

「あ、ありがとうございます! 早速食べましょう!」

 ミカはそう言って淹れたてのコーヒーとともに、シフォンケーキ、スコーン、パウンドケーキ、タルトを勢いよく食べ始めた。


 温かいコーヒーを飲んでミカがほっと息をつくと、マスターが口を開いた。

「自分らしい春という意味では、私はこのドライフルーツのタルトが一番近いかなぁ。中身の配分はもうちょっと考える必要があると思うけどさぁ。ベリー系多めにしてお茶目な色合いにできそうだし、カボチャの種で緑も表現できるかもしれないなぁ」

「たしかに美味しいけど、ドライフルーツもタルトもなんか冬っぽくない? ドライフルーツ自体の味のバランスは俺も春っぽいと思うけど⋯⋯」

 男はそう言いながらまた一口、タルトを食べる。実は男はタルトが好物だ。

 つられてミカもタルトを頬張る。どれも美味しすぎて止まらないが、食べてるだけでは意味がないので強い意志を持って手を下ろす。フォークを置いたミカに気づいて、マスターも男も注目する。

「私もタルトは冬って感じがします。でもこのタルトの味はすごく私の春っぽいんですよねぇ。ドライフルーツの濃厚さがコーヒーのスッキリさと出会うと意外にバランスが取れるような気がします」

「おぉ⋯⋯」

ミカの言葉を聞いた二人は嘆息している。

「え、私なにか変なこと言いましたか?」

「いえ、鋭い発言だったので驚いてしまっただけですよ。まさにその通りだと思います。さすがですね」

 男にそう言われて、ミカはまんざらでもない気持ちになった。男が続ける。

「適当なこと言うけど、ケーキの方が春っぽくないかな? パウンドケーキとかでもいいんだけどさ。そしたら味変わっちゃうかなぁ?」

「むーん⋯⋯。ケーキもいいと思うけれど、タルトって生地がビスケットとかパイだからアクセントになるんだよね。ただケーキにしただけだと、雰囲気がさっぱりしすぎちゃうかなぁ。慎ましやかなのは私の春って感じではあるのだけれど、軽妙さが欲しいかなぁ」

 マスターが脳を高速回転させながら答える。そして、タルトを見ながら「ナルホド、ナルホド」と小声で呟いているような気もするが気にしない。いや、やっぱりちょっぴり怖い。

 そして「うん。うん」と納得したように頷いたマスターはミカの方を向いて喋りかけた。

「ミカちゃんはどれがよかった? 他のお菓子はどうだった?」

 ミカの顔を覗き込むように見てくるマスター。ミカよりも年上のはずなのに愛らしい。

「そうですね。どれも本当に美味しかったです。さっきも言いましたが、パウンドケーキのふわふわ感としっとり具合が絶妙ですっごく美味しかったです。あと——」

 マスターも男も真剣に、でも力を抜いてミカの意見を聞いている。

「あと、スコーンもすごく好きです。こちらもしっとりなんですけど食べ心地はしっかりあって、ちょっとだけぽろっとするんですよね。パウンドケーキの食感と比べながら食べるとリズム感があって余計に楽しめました」

「面白いこと言いますね。スコーンとケーキの食感の違いに目をつけるなんて」

 男がそう言った瞬間、今日一番の早さでマスターが動き、声を出した。

「あー!!!」

 頭の上に電球でも光っていそうな顔で、マスターは男の方に向き直った。

「出来るかもしれないよ。スコーンっぽい食感を持たせつつも、しっとりしたケーキを作ること。そのケーキをドライフルーツ入りにして見た目と味をちょっとだけ春っぽくするの。調整がすごく難しいけど、やる価値あるかもしれない! 季節が変わっても、この食感を作るレシピは活かせると思うし!」

「えっ、一つの品でそんなことが出来るんですか?」

 マスターのテンションにつられてミカも声が大きくなっている。

「うんっ。昔、外国でそういうのを食べたことがあるんだ。記憶を探りながら試行錯誤してみるよ! ミカちゃんありがとう。やっとこの店らしいもの、私たちらしいお菓子が作れそうだよ」

 マスターはもう新しいお菓子を作ることで頭がいっぱいになっていた。そしてそんなマスターの姿を見て、ミカも胸がいっぱいになった。

「ミカちゃんにはすごく良いイメージをもらえたよ、やっぱり私が見込んだだけのことはあるね」

 マスターは胸を張って、自慢気に立っている。

「なにかお礼をしないとね。何がいいかな? なんでもいいから言ってごらーん」

 畳み掛けるように話を進めるマスターに押されて若干頭が追いつかなくなっていたミカは、先ほどから静かにしている男の方を見た。

 男は落ち着いた目をミカに向けて、ただ頷いた。その瞳に「好きにしていいんだよ」と言われた気がして、ミカは心を決めた。

 ミカは体をマスターの方にまっすぐ向けて、大きく息を吸い込み、強大な決意の元、言い放った。

「今日食べたピクルスの作り方教えてください!!」

「!!!」

 ミカがあんまりにも決死の思いで話そうとするものだから、身構えていた二人は逆の意味で面食らってしまっていた。男もマスターも突然笑い出す。マスターに至っては笑いながら涙を出し始めた。

「ミカちゃん。面白すぎるよ! そんなことでいいならいつでも教えてあげる。なんでもいいとか言っちゃったからすごく身構えたのに、まさかピクルスの作り方だなんてー」

 ミカは、自分としては必死に勇気を振り絞って話したことなのに、尊敬する二人にそんなことを言われて気恥ずかしくなってしまっていた。でも、なんだか自分がこの場の中心になれた気がして、この店のあったかさの一部にもなれた気がして、体が軽くなった。

「分かった、いいよ。そしたらマスター直々に絶品ピクルスの作り方教えてあげる! 再来週、次の次の日曜日のお昼頃って空いてるかな? お店は休みだから、自由に出来るの」

 マスターは目の端から溢れる涙をぬぐいながら話した。

「え、本当にいいんですか? 私は大丈夫ですが、休みの日なのに⋯⋯」

「大丈夫だよ! 平日にはできないことをするために日曜のおやすみも作っているんだから。お昼ご飯も作ってあげるから楽しみにしていてね」

 ミカはそれを聞いて、今晩から眠れなくなりそうなくらいうれしい気持ちになった。

「ミカちゃん。今日は本当にありがとうね。すごく助かったよ。こっからが私の腕の見せ所だね!」

 そう言うマスターの顔は、ミカがこれまでの人生で見てきた表情の中で、誰のどの笑顔よりも喜びに満ちているようだった。あまりにも混じり気がなくて、この世のものではない神聖さを帯びているようにも見えた。

 マスターとミカが二人の世界を作ろうとしているのに気づいて、なんとなしに気配を絶っていた男が並々ならない生々しさで途端に存在感を発して出で立った。そして自分のコートを掴みながら聞いた。

「マスター、これから作るお菓子の名前は何?」

 それを聞いて、マスターはさっきとはまた違う新しい笑顔になりながら、はっきりとした口調で言った。

「クラムケーキ!」

 どんなお菓子なのか知らなかったけれど、マスターの様子から美味しいものになるとミカは確信した。



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