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【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】 きっとここにしかない喫茶店で(4)

第三話はこちらです。


第二章:春期限定! サクラコーヒー&ケーキセット

第四話

 沼田ミカは自称一般人の会社員。今日は手早く仕事を終え、夜の道を歩いていた。最近は気温の高い日が増えてきているが、まだ冬だ。ミカは昼の暖かさに気を取られて薄着にしてしまったため、徐々に体が冷え始めていた。

「今週は忙しかったなぁ」

 今日は金曜日。ミカは久しぶりにai's cafeで夕飯を食べて、すっきりとした気持ちで休日を迎えるつもりでいた。退勤後、普段とは違う電車に乗ってカフェに向かっている。

 早梅が咲き始めた今、年度末に向けてミカの会社もエンジンをかけ始めた。最繁忙期まではまだ時間があるのだが、新しい上司の方針で早めに仕事を詰めることになっていた。そのためミカは最近忙しい日々を過ごしていたが、その仕事にもやっと終わりが見えてきた。

 おかげで随分とai's cafeから足が遠のいてしまっていた。ai's cafeの食事メニューはおよそ週替わりのため、できればミカは週に一回は通いたいと思っていた。特にこの寒い時期には暖かい煮込み系のメニューが並んでいて、心も体も温まるため、ミカは食べたくて仕方がなかった。

 ミカが初めてai's cafeを訪れてから四ヶ月ほどが経った。ミカは何度もai's cafeに足を運び、さわやかな空気を体と心に取り込んでいた。基本的には土日を利用することが多かったが、今日のように仕事が大変だったときは平日の夜にも通っていた。

 あるとき気まぐれに平日の夜と休日の昼に続けて行ってみて気づいたことだが、ai's cafeの食事メニューは昼と夜で微妙に違いがある。メニュー自体が違うこともあるし、同じメニューでも具材や付け合わせの種類が違う。マスターの気まぐれなのか、仕入れの問題なのか、はたまた作為的なものなのか、ミカには知る由もない。

 とにかく今日ミカは夜の食事メニューを食べることができる。ミカの印象では夜メニューは昼よりも重めの組み合わせになっていることが多く、品もどこか豪華だ。店に行くとマスターが「おつかれさま」と声をかけてくれるのもあって、落ち着いた気分になることができそうだ。

 頻繁に通っていることもあってか、マスターはミカのことを認識しているようである。そのため、来店の際や注文の時に軽く言葉を交わし、人がいない時には砕けた口調で会話をする仲になっている。店の人と仲良くしすぎている客がいると気を使わせてしまうかもしれないので、他に人がいる時はあまり話さないようにしている。だが、それだけでも心のつながりを深めていくのだから、やっぱりマスターはすごいとミカは思っている。

 ミカはマスターとあの相談屋の男に救われた。もしあのときai's cafeに辿りついていなかったら、ミカはいまだに立ち直れていなかったかもしれない。ミカは二人を恩人だと思い、感謝していた。


 いつもの駅に着いたので、改札を出て商店街を進んで行く。人通りが少なくなった頃、一本奥の道に入ると右側に公園が見えてくる。その公園の向かい側にある木造の家がai's cafeだ。

「いらっしゃいませぇー。今日もおつかれさまですぅ」

 ミカが入るとやや間延びした声でマスターが迎えてくれた。ミカを見て少し悪い顔になったような気がしたが気のせいだろう。ミカは挨拶を返して席に向かった。

 奥の席に座ろうとした時、隣のテーブルで読書をしている男と目があった。

「あれ?」

 そこにいたのは、数ヶ月前ミカの相談を受けたエキゾチックな空気のある相談屋、いや占い師? ミカの恩人となった男だった。

「どうも。今日は客として来ているんですよ」

 そう言って男は一瞬だけ微笑み、すぐに手元の本に目を戻した。

「あ、どうもです。お久しぶりです⋯⋯」

 ミカも軽く返し、会釈をしながら席についた。男はもうミカの方を気にしてはいないようだ。本を読むのに集中している。

 ミカは見ない振りをしているが、内心ではすごく気になっていた。どんな様子なのか、何をしているのか。何の本を読んでいるのか。何を飲んでいるのか。何を食べているのか。気になって仕方がない。

 テーブルを見てみると、大きめのカップと皿が置いてあった。皿の上には乾パンが何枚か乗っている。ミカは店のカウンターに乾パンが置いてあって不思議に思ったことがあったのだが、この男用だったのかもしれない。乾パンを食べている人をミカはほとんど見たことがなかったが、これが好物なのだろうかと思った。注文してみようかと考え始めている。

 そんな思考にミカが没頭しているとき、のっそりとマスターが現れ、声をかけてきた。

「ミカちゃん、今日もおつかれさまです。あのぉ、今日このあと予定はありますか? もし空いているようだったら閉店後に一時間ほど時間をもらいたいのですけど⋯⋯」

 マスターは小声だったが、しっかりと聞き取れたのでミカは答える。

「はい。今日も明日も特に予定はないので少しくらい遅くなっても大丈夫です。何かあるのですか?」

「あー、そうですか。今日このあとお店のお菓子の試食をしようと思っているのです。ミカちゃんさえ良ければ食べてもらって感想を聞きたいのです。もちろん、他の人には内緒ですよー」

 マスターはいたずらっ子のようなあどけない笑みを浮かべて、ミカの方を見た。

「え、本当ですか? それはうれしいですが、私でいいんですか?」

 ミカもマスターにつられて少しだけいたずらっぽい、でも明るい笑顔で答えた。

「はい。もしタイミングが良かったら一度お願いしたいと思っていたところなのですよ。なので、今回だけでもお願いします!」

「分かりました。大丈夫なので、お願いします」

「あー、よかったぁ。今回はミカちゃんのような若い女の子が喜ぶお菓子を作りたかったんですよ。そこの彼もいるので時間が来たら声をかけに来ますねー」

 そう言ったマスターは、ミカの隣にいる男に目をやってから楽しそうにスキップしてカウンターの方に戻っていった。

 男は「そういうわけで今日はここにいるんです。まぁ今は他のお客さんもいますし、詳しくは後で話しましょう」と言い、すぐにまた本に目を落とした。ミカは期待に胸を膨らませながら頷き、まずは食事だとメニューを手に取った。


 さて、ミカが今日の夕食に選んだのは『たっぷり野菜のポトフ&キッシュセット』だ。夕食メニューの中で一番体があたたまりそうで、何より一番興味を引かれた。最近覚え始めた感覚、体が欲しているような感覚を信じて注文したのだ。これがぴったりきているときに摂取したものはとてもおいしい。

 注文する時にポトフにパスタを入れるかどうか聞かれた。量が少なめのメニューであるため、オプションとして無料でつけているらしい。せっかくなのでミカは「少しだけ⋯⋯」と言ってお願いした。

「おまたせしました。たっぷり野菜のポトフとキッシュのセットです」

 注文してから五分ほど後、いつものふんわりとした笑顔と共にマスターが今日の晩御飯を持って来てくれた。大きめの深皿にたっぷりと野菜の入ったポトフが入っており、平皿にキッシュ、小鉢にレタスサラダとピクルスが入っていた。

 ミカはまずサラダとピクルスを食べてみることにした。ピクルスの具は大根、人参、玉ねぎ、きゅうり、蓮根で、具がごろごろとしていて美味しそうだった。ミカは箸をのばして人参を口に運ぶ。しゃくっ。人参は生ではなく少し火が通っているようで、味は酸っぱすぎずまろやかな風味だった。野菜の甘みが引き出されている。

 ピクルスというだけあって確かに洋風の味なのだが、どこかに和の風を感じさせる。さわやかな風味がとても美味しくて、ミカは胃腸が整えられていくように思った。

 ミカは次にポトフに手を伸ばした。白菜、ジャガイモ、人参、玉ねぎ、ソーセージ、そしてペンネが見える。まずスープを一口飲んでみると⋯⋯すごく美味しかった。具のエッセンスが凝縮されていて、うっすらとハーブの香りがある。ピクルスは和風テイストの洋風だったが、ポトフは真正面から洋風だった。

 このスープの栄養は舌から入って心の方に吸収されているのではないか。そう思えてしまうほど優しさに包まれる味だった。仕事で疲れたミカにぴったりの一品で、ミカは『仕事頑張って良かった』と思った。さすがマスターだ。

 そして最後にミカはキッシュを食べることにした。メニュー表によると具材はブロッコリーとかぼちゃがメインのようだ。『軽い料理をたのんだはずだったのに意外と重いセットじゃない?』という考えがミカの脳裏に浮かんだが、ひとまずはナイフとフォークでキッシュを切り取り、口に入れた。

「見た目に反してすごく軽く食べられる!」

 そんなことを呟きながらミカはパクパクとキッシュを食べた。キッシュはポトフとも相性がよく、さっくりと食べられる。あとから聞いた話だが、このキッシュは豆乳とモッツァレラチーズを使って作られているようで、口当たりもカロリーも軽めになるように作られているマスター自慢の逸品らしい。

 ポトフ、キッシュ、ポトフ、ピクルスでさっぱり。キッシュ、ポトフ、ポトフ⋯⋯。組合わせの妙によりあっという間にミカは平らげてしまった。しっかりお腹は膨れたが、ほとんどが野菜だ。なんて罪悪感の少ないメニューだろう。

 ミカは心も体も軽くなったように感じた。実際には食事の分だけ確実に体は重くなっているはずなのだが、そんな細かいことを気にしていたら生きていけない。そう思い込んで、ミカは背もたれに体を預け、思いっきり背伸びをしてから「ごちそうさま」と手を合わせた。



 閉店時間が近づき、ミカと男以外に客がいなくなった時、マスターがやって来た。

「ミカちゃん本当にありがとう。ポトフとキッシュはおいしかった?」

 一日働いた後だからかマスターの顔には少し疲れが見えるものの、声にはエネルギーが詰まっている。

「はい! すごく美味しかったです。ボリュームしっかりなのにほとんど野菜なので気持ちが軽いです!」

「うふふ。そうだよね。マスターは女の子の味方なのです!」

 楽しそうな女性二人を横目に、男は「また始まったか」とでも言いたそうな顔で本を閉じた。相談部屋で会った時、男はもっと丁寧な人のように見えたが、今はもっと砕けた雰囲気を出しているようにミカは感じた。

「さて、今日なのですがai's cafeの春メニューに合うお菓子を作るための試食会をします!」

 マスターはぱちぱちと手を叩きながら楽しそうに話を始めた。マスターのところにだけ一足先に桜が咲いたかのようで、見ているミカも楽しくなってきた。

「まずはこちらを飲んでください。知り合いのロースターで作られた豆で淹れました。『サクラコーヒー』という名前なので、今回は春に向けてこれに合うスイーツを作りたいと思っています。いまお菓子を持ってくるので味わってみてくださいね。コーヒー豆に桜の花を粉状にしたものが混ぜられているみたいです」

 そう言いながらマスターは花柄のカップとソーサーをテーブルに置き、またカウンターの奥に入って行ってしまった。

 ミカと男はカップを手に取ってコーヒーをゆっくりと口に含ませた。

「おいしい⋯⋯」

 ミカの声が店内に響く。香ばしいにおいが鼻に抜けていき、華やかさを感じた。だけど味はさっぱりしていて、ささっと飲めてしまいそうな春らしいコーヒーだ。また、飲み口はとてもまろやかだった。以前この店でお茶やコーヒーを頼んだときもそうだったが、この店の飲み物には特有のまろみがあるのだ。水が違うのか、それともマスターの技術がすごいのか⋯⋯。

「どうー?」

 トレーに何種類ものお菓子を携えて、マスターがやってきた。男が話す。

「おいしいよ。思ったより軽いんだね、雑味も少ないし。酸味が強い系かと思ってたからびっくりした」

「そうだよね。私もなんか春爛漫って感じの味かと思っていたから意外だった。春の中でも涼しい晴れた日って感じかなぁ」

 男はうんうんと頷きながらコーヒーをすすっている。

「ミカちゃんはどうだった?」

「すごく飲みやすくて美味しいです。すーっと入って来てそのまま一気に飲んでしまいそうになりました。なんだか不思議な味ですね」

 マスターも男も柔らかな表情をしている。もう一度コーヒーを飲み込んだ男が口を開く。

「普通にドリップしているだけなんだろうけど、なんだかさっぱり水出しコーヒーでも飲んでるみたいだねぇ。前に水出しをあっためて飲んだことがあったけど、テイストは似ているかもなぁ」

 男がどんどん話すので、ミカは少し驚いていた。やはりこの前小部屋であった時とは雰囲気がかなり違うようだ。

「あ、ミカちゃん、もしかして驚いたかな? この人普通によく喋る人だからね。相談屋していないときは言葉遣いもそんなに丁寧じゃないし、突然雰囲気変わったと思うかもしれないけど、すぐ慣れると思うから」

「あ⋯⋯すいません。確かに仕事中とは違いますよね⋯⋯」

 ミカはまだ少し呆然としている。

「あぁ、そうでしたよね、すいません。こんな感じの人間なのでよろしくお願いしますー」

 男は一瞬バツの悪そうな顔をしたけど、すぐに戻った。確かにこの前よりは適当な感じがしているが、根底にある空気感と当たりのやわらかさは変わらないとミカは思った。むしろマスターの空気と合わさることで独特のエネルギーが生まれ、リズミックな雰囲気が出て来ている。

「そのあたりは初めての三人組だし、ゆっくり慣れていくとして——これが今回のための試作品で、こっちは去年の春メニューだった桜のシフォンケーキね。参考までにどうぞぉー」

 マスターが持って来た大皿にはいくつものお菓子が乗っている。シフォンケーキに、緑色のスコーン、あずきの入ったパウンドケーキ、ドライフルーツのタルトなどで、どれも美味しそうだ。

「こりゃまただいぶ袋小路っぽいな」

「そうなんよー」

 マスターと男が顔を見合わせながら話している。なんだか分からずミカはぽかんとしたが、すぐに脳を始動させて聞いた。

「えーっと、どういうことですか?」

「あー、これはですね⋯⋯。いつも試食会をするときはもうちょっとテーマや方向性が決まっているんですよ。マスターがある程度考えた上で、どれが飲み物に合ってるかとか、どの味がバランスが良いかとか、もっと細かいことを検討する場合が多いんです。ですが、今回は見た目も食材もみんなバラバラですよね。だからアイデアが全然煮詰まっていなくて、どうしたらいいか分からなくなっているってことなんですよねー」

 男が流暢に説明してくれた。ミカは頷きながら運ばれて来たお菓子をもう一度見た。みんな美味しそうではあるが確かに統一感はない。

「そうなの。本当に迷っちゃってさぁ。サクラコーヒーだけでも完結できそうなくらいの味だから選択肢が広くて⋯⋯。あと、コーヒーが桜だから、お菓子の方は違うものにしたいなぁって思っているんだけど、なかなかしっくりこないんだぁ。だから試食した上で、今日はどういう方向性でいくのが良いか話したいと思っててさぁ」

「うひー。難題だなぁ」

 二人とも真剣なのだがどこかコミカルな空気が漂ってきているように感じる。

「俺ら突然意味わからないこととか、小難しいこと言い始めるかもしれないですけど、いつものことなので流して大丈夫です。ミカさんは感じたことを率直に話してくれればこっちとしてはとても助かるので、何でも話したり、聞いたりしてください」

「あ、はい。分かりました。お力になれるか分かりませんが頑張ります!」

 マスターと男の空気にあてられてミカのテンションも上がってきた。二人ともミカを内に入れて、注視してくれているのが分かる。大事にされている気がしてミカはとても嬉しかった。



次話はこちらです。


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