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【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】 きっとここにしかない喫茶店で(11)

第十話はこちらです。


第十一話

 三日前に梅雨が明け、夏がやってきた。七夕には間に合わず、二人の高貴な者たちの逢瀬も叶うことなく過ぎ去って行った。

 ある男は「水無月というのは、天から水がなくなるからそう呼ぶのだという説があるくらいなのだから、問答無用で毎年二人を会わせたっていいんじゃないかなぁ」と言った。

 それを聞いたある女は「ねぇ、水無月って和菓子のこと知っている? ういろうの上に小豆が乗っていてすごく美味しいんだよ!」と言った。

 そしてもう一人の女は「あ、私ういろうによく合う紅茶を知っているよ。『七夕』っていう名前なの」と話の流れが分かっているのか、分かっていないのか、よく分からない返答をした。

 とにかく、夏がやってきた。そしてai's cafeでは新しいメニューが始まった。


 今日は土曜日、あれから時間をかけて立ち直ったミカは久しぶりにai's cafeに行くことにした。

 店に着くと珍しくあの男がいた。ミカはかなり気まずく思ったけれど、その気持ちに耐えることができた。ほんの少しずつだが、男に対する気持ちが変わって来たのだ。熱望するでもなく、拒否するでもなく顔を向けることができる。

 今すぐにでもこの場所から逃げ出したくなったミカだったが、もう手遅れである。目がばっちり合ってしまったので、覚悟を決めて男の方に居直った。

「お久しぶりです。今日は珍しいですね⋯⋯?」

 そう声をかけると、目をそらし気味だった男の方もしっかりとこちらに顔を向けてきた。同じ机にあの和の香りのする女の人がいる。

「あ、お久しぶりです。今日はこのカフェの夏期限定メニューが解禁になったので、味わいに来たんですよ。僕とこちらの女性も色々と試行錯誤をしたので、出来栄えを確認しようかと。朝一番だったので、あまり人はいないかと思いましたけど、今日は早いのですね。良かったらミカさんも夏期限定メニューを試してみてください」

 男と一緒に隣の女性も頭を下げて挨拶してくれる。こうやって近くで見ると、とてもたおやかな女の人だ。唇の紅色が綺麗で花の様に見える。

 男と女性は、ミカが来てからすぐに帰ってしまった。言葉の通り、ただ試食に来ただけなのだろう。


 それからお茶を飲んでゆっくりし、お昼が近くなってきたころ、ミカはマスターを呼んで注文をした。

「夏期限定スリランカ式スパイスカレーと紅茶のセットをお願いします!」

「はい! かしこまりました!」

「スリランカカレーと紅茶のセット、お待たせしました! 少しずつ混ぜながら好みの味を探してください。それではごゆっくりぃー」

 テンションの高いマスターにちょっと面食らいながらも、ミカは机の上に置かれた大皿に目を奪われた。

 皿の真ん中にはお米が盛られている。それを囲む様に黄色の豆カレー、茶色のチキンカレー、ナスの炒め物、水菜とカイワレのサラダ⋯⋯。横には小皿に赤いものが二つ、ココナッツのからいふりかけと玉ねぎのからい和え物。メニューによると好みに合わせてかけると良いらしい。

 ミカは「ふぅー」とゆっくり息を吐いてから、まずは豆カレーをスプーンにとって口に運んだ。

「おいしい⋯⋯。でも、なんかすごくささやか⋯⋯」

 どことなく香るスパイス、薄味のスープ。一口食べただけで心に染み渡るようないつもの美味しさはない。

 異国の優しいお母さんが病気をした時に作ってくれるような素朴な味だ。まずくはないが、ちょっと期待と違うように思った。しかし、和のエッセンスを感じ、どこか懐かしいような気もする。

 次に、ミカはナスの炒め物を口にした。「あ、美味しい」と言いながら隅々まで味わう。スパイスの香りがする酸味のある炒め物だ。初めて食べる味だが、マスターが作るピクルスとどこか似ている。

 もう一口、ナスを食べながらもぐもぐしていると、ミカの歯に少し硬いものが当たった。

「なんだろうこれ」

 噛み締めると口に魚の香りが広がってゆく。ミカはすぐに気がついた。これは鰹節を細かく砕いたものだ。

「あ!」と声を上げながら先ほどの豆カレーをもう一度味わってみる。すると、このカレーからも鰹の風味が漂ってくる。

 その後、全てのものを味見してみたミカは、チキンカレーと水菜のサラダ以外の全てのおかずから鰹のにおいを感じた。やたら辛いココナッツのふりかけからもだ。

「これがスリランカなの⋯⋯?」

 疑問に思いながらも、ミカはカレーをどんどん平らげた。二種類のカレーとサラダ、そして玉ねぎの和え物を一緒に食べるとすごく美味しいということに気づいてからは手が止まらなくなった。

 メインのチキンカレーに玉ねぎの和え物をいれると、辛さと酸味が足されてパンチのある味になってくるが、それだけでは味も濃くて重さが出てくる。

 だが、そこに豆カレーとサラダが加わるとコクが増し、サラサラ感のある味になる。特に水菜とカイワレのシャキシャキが良い。アクセントにもなるし、野菜の瑞々しさが口に広がり、食材たちを喉まで運びやすくしてくれる。おかげで次のスプーンの受け入れ態勢ができる。

 口を一旦リセットしたい時にはナスの炒めものを食べる。味わったことのない酢が使われているようだが、嫌な感じは全くない。ミカは南国版ピクルスと勝手に名付けて、心のノートにメモしている。

 カレーを続けて食べていると、口の中がどんどん辛くなってくるが、そういうときにはアイスティーを飲めば良い。この店独特のまろみは健在で、フルーツで香り付けされているように思ってしまうほど、芳醇だ。「一点の曇りもないアイスティー」、そんな言葉が浮かんできて、ミカは自然と笑顔になった。

 カレー、ナス、カレー、ナス、サラダ、カレー、アイスティー⋯⋯。

 あぁ、何という組み合わせ、これがハーモニーというものなのだろうか? ミカは手が止まらなくなった。そしてあっという間に全てを綺麗さっぱり食べてしまった。

 一息ついて、ミカはアイスティーのおかわりを貰うことにした。

「すいませーん」

「はいはーい」

 気の抜ける声が遠くから聞こえてくる。マスターは機敏にのそのそと歩くという器用な所作でミカのテーブルにやってきた。

「カレーもお茶もすごく美味しかったです!」

「ありがとうございます! この季節は毎年スパイス系の特別料理が出るから、それを楽しみにしてくれてる人も多いんだぁ。夏しか来ないっていうお客さんもいるんだよ」

「そうなんですね! はじめは不思議な味だと思っていたんですけど、いつのまにか夢中になっていました」

「うんうん。分かるよ、その気持ち。私も外のお店で初めてスリランカカレーを食べた時はそうだったからね!」

 マスターは腕を組みながら目をつむり、何度も頷いている。

「あと、このお茶もすごく美味しくて。おかわりしたいんです」

「これもすごく美味しいよね!」

 そう言ったあと、マスターは少し居住まいを立て直し、すました顔になってから続けた。

「おかわりは同じものにしますか? スパイスティーに変えることもできますが」

 突然店員モードになったマスターにミカは面食らうが「あ、これはお遊びだなぁ」と気づいてからは、こちらもお客モードに徹しようと決めた。

「それではスパイスティーをください」

「かしこまりました! いま淹れてくるねー」

 そう言ってマスターはカウンターの方へと歩いていった。

 しばしの時間の後、マスターが持ってきてくれたスパイスティーを飲み、まったりとした時間をミカは過ごしたのだった。



とある日の夜、誰もいないカフェでお茶を飲む男と女がいた。

「今回も色々と大変だったね」

「だねぇー。さすがに焦ることが多かったよ」

「そうなんだ。珍しいね」

「うーん。まぁ、そう珍しくはないけどね。俺なんて焦ってばっかりだよ」

「えっ、そうなの? ってそうだよね」

「うん。一歩間違えば、心に大きな傷をつけてしまうことになるからね。みんな、自分にとって一番大切で繊細なところを開いているわけだからさ」

「うん、そうだよね。そこを開くからこそ効果も大きいのだろうけど、その分、気をつけなくちゃいけないことは多くなってくるよね」

「うん。昔はうまくいかないことも多かったよ。表にある気持ちと、心の奥底にある気持ちが違うことも多いしさ。でも、そうも言っていられないよね」

「そうだね。だけど、最近すこしがんばりすぎじゃない? 夏のメニューもできたことだし、セーブしないとまた疲れちゃうよ」

「そだねぇ。どっかのカフェのマスターのわがままに付き合わなきゃいけないしね!」

「あぁ! それハイキングのことでしょ! ハイキングに行きたいってわがままが言った件はもういいってことになったでしょ!」

「おっと、そうだったねぇ。まぁとにかく色々と穏便に済んでよかったよ」

「うんうん。スパイスカレーも人気だよぉ」

「お、それはよかった!」

「いろんな人にお礼いわないとね」

「そうだねぇ。とりあえずラマさんにはまた何か持っていくことにしよう」

「それがいいね。カレーリーフにランペに、お米の茹で方まで教えてもらっちゃったもんね」

「うん。あとトゥナパハに関してもかなり細かくアドバイスもらったし、ココナッツビネガーの情報もありがたかったなぁ⋯⋯。そう考えると、スリランカカレーに関してはほとんどラマさんのおかげだなぁ。まぁタイのときも、インドのときも、普段のカレーのことも、スパイスに関しては大体ラマさんのおかげだけど」

「そだねぇ。紅茶に関してはほとんどあやめちゃんだし」

「そうだよね。あれ、俺らは?」

「⋯⋯」

「おい、目をそらすなよ」

「あ、最近もミカちゃん来てるけど、すごく元気そうだよ」

「話もそらしたな。まぁ、いいけど。そっか。元気そうならよかった」

「うん。何か言付けはある?」

「ううん。特にはないかなー」

「おっけー」

「よろしく。あ、そういえばあやめがハイキングの服とか買いに行きたいって言ってたよ」

「行く! 行く! いつ? すぐ?」

「興奮するなよ。多分あとで話せるから待ってて」

「はぁい」

「なぁ、緑川」

「ん?」

「最初は二人だったけど、今は協力してくれる人がたくさんいてくれて助かるな」

「突然どしたの?」

「いやぁ、なんかそう思ってさ。俺ら、昔はあんなに人に頼れない人間だったのに、今は人を信じて、託すことができるようになったなぁって」

「そだねぇ⋯⋯。昔は一人でもなんでもできる気がしていたし、それが二人ならもっともっと! って思っていたからね。凪はもっとひどかったでしょ?」

「うん。身体を壊すまではね」

「うん⋯⋯」

「緑川もそうだと思うけど、ずっと『自分の足で前に進んでいかなきゃ』って思っていた気がするんだ。でもさ、それだけじゃないよね。お互いがお互いを運んで行くっていうかさ。そういう感覚がやっとやっと分かるようになってきたのかもしれない」

「うん。長くかかっちゃったね」

「そだね。というか傲慢だったんだよ。ずっとお客さん達からたくさん学んでいたはずなのに、自分だけで進んでいる気になっていた」

「私もいつのまにかそう思っちゃっていたなぁ」

「まぁ、何はともあれ、夏メニューの成功を祝って、ダージリンのセカンドフラッシュ開けようぜ! タルボのやつ」

「え、それあやめちゃんのやつだよね? さすがに怒られるよ!」

「やっぱまずいかな?」

「まずいよ。怒ったらこわいよぉ⋯⋯」

「そうかな? 今日あたりここに来るような——」

 店の入り口から声が聞こえてくる。

「やほー! 沙絵ちゃん、凪も! 今日は来ちゃったよ」

「お、いいところに」

「あやめちゃん、やほー! 聞いてよ、凪が勝手にあやめちゃんのダージリン飲もうとしてたよ! タルボ茶園のやつ!」

「馬鹿! 言うなよ」

「凪? あれは三人で一緒に飲もうって約束したよね? 覚えていないわけないもんね?」

「はわわ⋯⋯。やっぱり怒った⋯⋯」

「そろそろあやめが来る頃と思ってたんだよ」

「あら、なんでわかったの?」

「予定的にそろそろハイキングのこと詰めないとだから」

「そうだよね。今日のところはその読みを信じてあげる。⋯⋯沙絵ちゃん、私、怒ってないよ?」

「すー、はー、ふぅ⋯⋯よかった。そしたら改めて、夏メニューの成功を祝ってダージリンの紅茶、淹れてこよっか?」

「うん! お願いします!」

「かしこまりました! めでたしめでたし」

「うん。めでたしめでたし」

「ほら、あやめちゃんも」

「え? ⋯⋯めでたしめでたし」

 そんなこんなで、このカフェに関わる風変わりな人たちはまた仲良く自分たちの人生を進めて行くことにしたのでした。

 そして、自分の心の中に眠る恐れと真正面から向き合う決心をしたミカは、これから思いも寄らない人生の道を歩いて行くことになるのですが、それはほんのちょっとだけ先のお話です。



次話はこちらです。


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