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【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】 きっとここにしかない喫茶店で(12)

第十一話はこちらです。


第四章:秋祭り限定! 木の実のキャラメルブロンディ

第十二話

 沼田ミカは普通の女の子。特段可愛いというわけでもなければ、見るに耐えないということもない。いわば普通、というより地味な顔つきをしていた。背も高いというわけではなく、低いというわけでもない。体はやや細いけれど、人目を引くほどスタイルが良いということなんてない。

 お洒落にも興味がある。たまにちょっと高級なワンピースを着て出掛けるとウキウキするけれど、それほど流行に興味があるわけではないし、やっぱりスニーカーを履いてリュックで出かけるのが一番楽だ。美容にも気を使っているが、肌は荒れにくく、化粧もナチュラルメイクにしている。街で綺麗な女性を見るとため息が出ることもあるが、嫉妬はしない。そういった努力をしないのは自分の選択だと割り切って、背伸びせずに生きていこうと決めたばかりだった。


 夏の終わりの長い雨が終わって、気温が下がってきた。土曜日の午前中、ミカがai's cafeに着くと店は閉まっていた。

【誠に申し訳ございません。店主都合により閉店します】

 ハイキングに行くからどこかで店を長く閉めるかもしれないとミカは聞いていた。きっとこれがそうなのだろうと思って、どうしようかと扉の前で佇んだ。

 この店はマスターの性格を反映してマイペースにやっていて、あまり商売っ気がない。喫茶店にしては休みが多いし、近くのパン屋で出している高級パンを割安で提供していることがある。

 相談屋の男も「マスターは頭はいいけど、売価の設定だけはいつも間違っている」と以前言っていることがあった。慈善活動ではないのだからお金は稼いでいると思うけれど、必死さは皆無だ。もしかしたらマスターはお金持ちのお嬢様なのかもしれないけれど、それにしては逞しすぎるようにも思ってしまう。

 ai's cafeの経営状態について考えながらミカは歩き出した。ここから二十分のところにお洒落なカフェがある。ai's cafeが休みだった時、ミカはそこに行くことにしていた。そのカフェは小さな店だが、カウンターには大きなエスプレッソマシーンがあって、店主のおじさんが作ってくれる。

 ミカはいつもカプチーノとチョコチップクッキーを頼む。エスプレッソは敷居が高いし、アメリカンも手を出しにくい。コーヒーのことはよくわからないけれど、ミルクが入っていればなんとかなる。だから、カプチーノだ。チョコチップクッキーは多分手作りで、カップのソーサーくらい大きい。今日も同じものを頼もうと考えて、足取り軽く前に進んでいった。


 カフェ「ベルベットアップル」に着いた。午前中の早い時間なので先客は二人しかいない。ミカはよく座る机にトートバッグを置いて、カウンターに向かった。カウンターにはいつものおじさんがいる。ミカは大きいサイズのカプチーノとチョコチップクッキーを注文した。この店のカプチーノはやけにミルクが滑らかだけれど、それはきっとおじさんの腕がいいからだとミカは思っている。

 カップとクッキーを受け取って席に戻ると、ミカはバッグから本を取り出した。最近お気に入りの作家のエッセイだ。美味しいカプチーノを飲みながらお気に入りの本を読む。ミカは贅沢な時間を過ごしている。

 暫く読書に耽っていると、ミカは隣の席の男から視線を感じるようになった。男は煮え切らない様子でチラチラとミカを見ている。ばっと顔を上げて目を合わせると、どこかで見たことのあるような顔だと思った。

「あの、もしかして沼田さん? 俺、良永タクミだよ。高校の同級生だと思うんだけど⋯⋯」

「えっ、良永くん?」

 ミカは改めて男の顔を見た。記憶の中をたどり、彼の面影を探そうとする。よく通った鼻筋と柔和な笑顔は昔の彼そのものだ。

「沼田さんもこっちに出てきていたんだね」

「うん。短大を卒業してからね。地元で就職するよりは都会に出てみるのも良いかなって思ってさ。良永くんは大学からこっちだよね?」

「うん。随分久しぶりだね」

「そうだね。私、同窓会にも出ていないし⋯⋯。良永くんは行っている?」

「僕も就職してからは行ってないかなぁ。なんとなく足が遠のいちゃって」

 うんうん。とミカは頷いた。それからしばし話して、タクミは言った。

「また連絡しても良いかな? 連絡先って変わっていない?」

ミカは変わっていないことを伝えて、なんとなくタクミからの連絡を待つのであった。



 高校生の時、タクミはいわゆる「良いヤツ」だった。頭はちょっと良かったけれど、目立つわけでもなかったし、息を潜めているわけでもなかった。見たテレビ番組の話をして、流行りの音楽を聞いて、たまに面白いことを言う。ミカが知るタクミはそんな存在だった。

 カフェで会ったタクミも変わらずその空気感を持っていた。だけど顔つきは大人になっていたし、態度は堂々としていて頼もしさがあった。いやなところは何一つなく、タクミはしばしば連絡をくれた。そして連絡を取ってゆくうちにミカとタクミはたまにデートするくらいの仲になっていった。

 ミカとタクミが会うのはカフェが多かった。ベルベットアップルにはあれから二回行ったし、おしゃれなカフェにも何軒か行った。だけどai's cafeにはまだ行けていない。

 最初にai's cafeに行こうとしたとき、タクミが風邪を引いてしまったので会う予定自体がなくなった。二回目は、カフェの方が急遽閉店になったようだった。前日の夜にミカは一人で行ったのだが、マスターは閉店に関して何も言っていなかった。三回目は、ミカの会社でトラブルがあってai's cafeが閉まってから会うことになった。

 ここまでくると呪われているような気分になる。いつのまにか二人ともai's cafeの話を出さなくなり、別の場所でデートを楽しむようになった。


 ある日のデートの時、突然タクミが言ったことがあった。

「ミカちゃんって変わったよね」

「え? そう?」

「うん。いまは自分の気持ちとか感情をすごく率直に話してくれるよね。高校生の頃はそういうイメージはなかったから」

 確かにそうかもしれなかった。ミカはちょっと前まで自分の趣味や心情を外に出すのが怖くて仕方がなかった。けれど、あの恥ずかしい状況を乗り越えた今、気持ちを話すことくらいはミカにとってなんでもないことになっていた。

「そういうところがすごく魅力的だなって思っているよ」

 ちょっとだけ目を逸らしながらタクミはそう言った。そんなタクミの姿がミカには印象的だった。



 沼田ミカはもう大人だ。だから当然体の関係を持ったことだってある。

 だけど、そういう意味でタクミは踏み込んでこなかった。三回目のデートの時、ミカはタクミと手を繋いだ。大きくてしっかりとしたタクミの手にミカの胸は高鳴った。タクミのことは嫌いじゃなかったので、そのまま迫られたら先に進んでいたかもしれない。だが、手を繋ぐ以上のことにはならなかった。

 タクミは何度も言ってくれている。

「ミカちゃんと会うと元気をもらえる」
「肌のツヤが良いね」
「気持ちの良い性格だね」
「ミカちゃんのこと好きだよ」
「一緒にいて楽しい」

 ミカも同じ気持ちだった。タクミといると楽しいし、何度も気分が高揚した。だけどタクミに対して物足りない気持ちを抱くこともあった。

 タクミはミカを好いていると言ってくれて、デートの時も大切にしてくれる。彼が心や体を求めてきたらミカは受け入れるつもりだったけれど、そういう状況になることはなかった。

 なぜタクミが迫ってこないのかと考えるとミカは極寒の地に投げ捨てられたような気持ちになった。自分の体が魅力的じゃないからタクミは手を出して来ないんだと思い込んで、また自分から不快の海に飛び込んで行きそうになった。

「もうそういう世界はこりごりだよ」

 だけどミカはここまでの学びを活かしてそう口に出した。タクミが本当にミカの体に魅力を感じていないのだとしたら、そもそもタクミとは深い関係になれない。今の時点でそんなことばかり考えても仕方がないので、ミカはもっと健全なことに考えを集中しようと思った。


 思い返せば、いままでミカはただ男性を受け入れていれば良かった。深い関係になることを早く求める男性に合わせて、拒むか受け入れるかを消極的に選んでいれば良いだけだった。だけど、タクミは違った。タクミがそういうことに興味がない人なのかもしれないと思ったこともある。極端に考えて「いくじなし」と思ったこともある。

 もしかしたらミカの考える通り、タクミは本当に奥手で、一歩踏みだす勇気がない人間なのかもしれない。だけど、改めて考えるとミカも人のことを言えないのだと気がついた。自分の大切な体を明け渡す選択を他人に任せて平気でいたし、自分から勇気を出すことなんてなかった。そんな自分のことを今では怖く感じるし、よっぽど「いくじなし」なんじゃないかと思った。

 そう思ううちにミカは、いま選択を迫られているのは自分の方なのかもしれないと考えるようになった。


 タクミは率直に気持ちを話してくれる。付き合いたいとサラッと言ってくれたこともある。そのことを念頭に置くと、もしかしたらタクミはミカが決めるのを待っているのかもしれないとミカは思い始めた。

 ミカはもう一度まっさらな気持ちで考えることにした。自分はタクミを選びたいのだろうか、と。

 ミカはタクミといる時間をとても楽しく感じていた。だけど、やっぱり恋に落ちたという実感が薄いようにも思ってしまった。タクミといると穏やかな気持ちが湧いて来て、じんわりと暖かいのだが、恋に落ちるとき特有の激しい感情が湧いてこないように思うのだ。

「これが恋なんだっけ⋯⋯?」

 あの日間違ったミカには、よく分からなくなってしまった。



 とある日、ミカは一人でai's cafeに来ていた。最近は暇さえあればタクミのことを考えているけれど、考えるほどに分からなくなってしまい、身動きが取れなくなってしまっていた。ちなみに今日はタクミの仕事が忙しいことが分かっていたので誘ってはいない。

 答えの出ない気持ちに焦れながら何をするわけでもなくうなだれていると突然声が聞こえて来た。

「お客様、ぼーっとしておられますが、何か不都合でもありましたでしょうか?」

 びくっとして声の方を見ると、慇懃な様子のマスターがお盆を持って立っていた。目が合った瞬間、マスターの顔がくしゃっと緩んで笑顔になる。

「ミカちゃん。お茶が冷めているまで考え込んでいたみたいだけど大丈夫?」

 そう言われて見てみると、カップにたっぷり入ったお茶が常温近くになっていることにミカは気がついた。マスターに運んでもらってから、一回は口をつけたものの、それ以降は飲んでいなかったかもしれない。付け合わせの水羊羹にも手をつけていない。

 ふと周囲を見渡すと、いつの間にか他の客もいなくなっていた。マスターが見るに見かねて話しかけてきてくれたのだろう。

 ミカはゆっくり考えた。その間、マスターは黙ってミカのことを待っていたが、あまりにも長く考えるのでちょっと心配な表情になってしまった。

「マスター、申し訳ないのですが私の相談に乗ってもらえないでしょうか? どうしても話したいことがあるんです」

 マスターは一瞬考えた。

「いいよ。今日のお店が閉店したあとか、来週の日曜日だったら空けられると思うけれど、ミカちゃんの予定はどうかな?」

「今日の閉店後でも良いですか? 出直してからまたきます」

「うん。分かった。お店でも良いかな? 明日はお休みだし、ゆっくり話せると思うよ」

「分かりました。不躾なお願いですいません」

 そういうと、ミカはお茶を飲んで、水羊羹を食べた。そして「よし!」と気合を入れてからお金を払い、店を出て行った。



次話はこちらです。


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