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イギリス素描#2

もう暫し 

夜に越されじと飛ぶ鳥の

窓に映るは 暮れの空際


私を乗せるベトナム航空VN303便は、成田国際空港を出発し、ベトナム第二の都市ホーチミンにあるタンソンニャット国際空港へと向かった。
Tan Son Nhat————なんとも可愛らしい名前である。語感もすこぶる良く、一瞬で覚えてしまった。
だが、元はといえば約100年前、ベトナムがまだフランスの植民地であった頃に建設された飛行場に端を発しており、日本軍の仏印進駐後は海軍航空基地へ切り替わり、挙げ句の果てにはベトナム戦争勃発後もアメリカ率いる南ベトナムの軍事施設へと変容したという悲劇の空港であり、それを思えば、この猫の鳴き声のような響きすら、虐げられてきた民たちの慟哭に聞こえてならない。
私は、この「曰く付き」の場所でトランジットを行い、倫敦へと向かうのであった。

この便にしたのには、二つ理由があったといえば後付けのように聞こえるが、事実そうである。
一つは、何を隠そう、値段である。
片道6万4000円。これを言うと、あまりの安さに驚く者もいた。
無論、成田・ホーチミンではなく、成田・ロンドン間でこの値段である。渡英間近ですら、全財産が20万もなかった私にとってこの航空券は、勝利を意味した。
もう一つは、先にも述べたような、歴史的関心である。トランジット先は他にもあった。台湾や香港経由、中東、もしくはギリシア経由。同じベトナムでもハノイもあった。だが、私はこちらを選んだ。ホーチミンは旧名をサイゴンといい、サイゴンといえば陥落という言葉がついて回る。つまりそこは、資本主義が屈した唯一の場所であり、圧倒的に惹きつけられるものがあったのだ。


37G席は、通路側だった。私は追加料金を払っていないため、直前になるまでどこになるのか分からなかった。だが結果として、好都合だった。私は機内持ち込み荷物から本を出したり、エアー枕を出したりと、その都度、頭上の棚を何の気兼ねなく開け締め出来たからだ。
離陸してから静かに本を読んでいると、シャ、や、シュといった、空気を食むような響きが横から聞こえてきた。私は、一人笑みを浮かべて、この因果を思わずにはいられなかった。隣席に座っていたのは、フランス人夫婦だったのだ(フランス語は、日本語の拗音「しゃ」「しゅ」「しょ」に近い気がするのだがこれは気のせいだろうか)。

数時間すると、機内食が出てきた。格安だからとLCCのような待遇を予想していたが良い意味で裏切られた。ジンジャーポークの味は普通だった。定食屋を営む私の母がお送りする生姜焼きの足元にも及ばなかった。もっと言えば、足裏にも及んでいなかった。機内が暗くなり、皆、眠りにつく。それから何時間経っただろうか、ふと光が差し、目が覚めた。見ると、仏婦人が、身を乗り出して窓の外を眺めている。
美しい夕暮れだ————————。
その時に私は、ノートを開き、殴り書いた。

窓映る

青白黄赤の空際に

マドモアゼルは首ったけ

もしくは

昼過ぎて

夜に越されじと西向かう

鳥の古巣は西貢にあり

だが、これらはボツにして、先のものを書いた。というのも、マドモアゼルとは未婚の女性のことを言うらしく、既婚の女性はマダムだった。どんなに語感が良くとも、間違いと知ってしまったからには使うわけにはいかない。

これらを混ぜ合わせて、

窓映る 青白黄赤の空際よ

鳥の古巣は西貢にあり


というのを今思いついた。こっちの方が断然いい。

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