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夏になるとThe Carsを聴きたくなる

 
 猛暑が日本全体を包んでいるけど、ぼく自身は心地よい。寒いと冬季鬱でなにもしたくなくなってしまうが、暑いと気持ちが解放された感覚になる。凶暴な日差しが頭上から降り注いでいても、憂鬱にはならず、無性に外出したくなってしまう。
 
 夏の音楽というとレゲエとよく言われるが、ホントに人々は、夏だからレゲエを聴こうと思うのだろうか? 暑いとレゲエを聴きたい気持ちになるのだろうか? そんなに画一的なものなのだろうか?
 
 ぼくはレゲエではなく、カーズを聴きたくなる。ぼくにとって夏の音楽といえばどういうわけか、The Carsだ。
 
 なんでカーズを聴きたくなるのか、自分でも分からない。とても好きなアーティストで年を通して聴いているけど、夏になるとほとんど毎日聴いてしまう。なにを聴こうかなとCDラックを物色していると、自然とカーズに手が伸びてしまう。ぼくにとっては、アイスや麦茶のような感覚だ。じりじりとアスファルトが揺らめいて、身体が溶けてしまいそうな感覚になると、つい求めてしまう。
 
 理由なんてない。でも、ちょっとあるのかもしれない。5枚目のアルバム『Heartbeat City』が出た1984年の夏は、それはもう繰り返し繰り返し聴いていた。こんなに聴いて、よく飽きないなぁと自分自身で思うくらい。もちろん、当時はレコードと、それを録音したカセットでだ。カセットは聴きすぎて伸びてテープがダメになってしまい、何度か録音しなおした。家の中だけでなく、外にも持って行った。旅先や友人の家でもかけた。だから当然、その夏に行った場所、出会った人、やったことの中に、薄くカーズの音が塗りこめられている。必ずBGMがカーズだったのだから。
 
 そのひと夏の極端な聴き込みが、「夏はカーズ」というふうに刷り込まれてしまったのかもしれない。理由を敢えてさぐれば、そう言えなくもない。でもやっぱり、理由はないのかなと思う。それに、理由がない方がいいとも思う。しぜんに、なんとなく。自分一人で聴く音楽なのだから、そうあってほしい。きっとひとそれぞれに、この時期になると無性に聴きたくなる! という音楽やアーティストがあると思う。
 
 真夏にカーズを聴くと、とっても心地よい。1枚全体が1曲に聞こえるかのようにまとまったファーストとセカンドもいいし、それらに比べると厚い音作りになっている3枚目の『Panorama』も好きだし、3枚目が売れなかった反動で極端に軽くなった4枚目の『Shake It Up』も気に入っているし、シングルヒットを意識して1曲ごとの完成度が高い5枚目の『Heartbeat City』も今もって飽きていない。
 
 カーズはアメリカのバンドでは珍しく、ボーカルが絶叫しない。盛り上がるところでも、「イエーイ!」と声を張り上げない。淡々としていて、とてもクールだ。ぼくは大声を出さないボーカルが好みで、聴くと爽快感を味わう。その洋楽を聴き狂っていた当時(1980年代)は、カーズのボーカリストでリーダーのリック・オケイセック、スティーヴ・ミラー、あとアラン・パーソンズ・プロジェクトのおとなしい方のボーカリストが、ぼくの中で絶叫しない3大ボーカリストだった。その3人の中でもリック・オケイセックは自分にとって最も華があり、あこがれのアーティストだった。間もなく亡くなって1年が経つ。
 
 ぼくが残りあと何回夏を過ごせるのか分からないけど、きっと死ぬまで、夏はカーズを聴き続けると思う。飽きる兆しが、これまで一向に見えてこない。きっと聴く。

書き物が好きな人間なので、リアクションはどれも捻ったお礼文ですが、本心は素直にうれしいです。具体的に頂き物がある「サポート」だけは真面目に書こうと思いましたが、すみません、やはり捻ってあります。でも本心は、心から感謝しています。