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柳田知雪『たい焼き屋のベテランバイトは神様です』第三話 曲げない流儀

<前回までのあらすじ>
 祖父にたい焼き屋・こちょうの代理店長を頼まれるも悩む結貴。
 ベテランバイトの和泉はなぜか自身の家である神社に帰ろうとしない。
 その理由を教えてくれたのは、彼の友人である宇迦だった。

 第二話はこちらになります!
 最初から読みたい!という方はこちらから

「正確には、戻れないんだ。今の術を解いてしまえば、きっと和泉にはもう、あの姿に変化する力は残っていないから」
 狭く湿っぽい路地裏で、宇迦さんの声が静かに響く。壁に埋め込まれた小さな社を、伏しめがちに静かに見つめていた。
 そんな静寂を打ち破るように、店から派手な音が起こる。ただならぬ音に駆けていくと、店の中で和泉さんが倒れ込んでいた。
「和泉さん!?」
 倒れる時に掴んだのか、周りにはボウルや泡立て器が転がっていた。荒い呼吸を繰り返す和泉さんは、震える腕でどうにか立ち上がろうとしていた。手助けしようと傍に膝を折るも、彼が私を認識している様子はない。サングラス越しに見える瞳はぼんやりとして、焦点があっていないようにすら見える。
「和泉さん!」
 再び名前を呼んで彼の肩に触れる。シャツ越しにも分かる彼の身体の熱さにはっとした。
「体調悪いんですよね? 今日は休んだ方がいいんじゃ……」
 話しかけるも、そんな私の声は果たして届いているのだろうか。不安になりかけた時、ふっと彼の瞳がこちらへと向けられる。
「み、すず……?」
 ふやけそうな瞳の輪郭が一瞬、驚いたように丸く開いた。両肩を痛いくらいに掴まれて、あまりの力強さに尻もちをつく。
「い、和泉さん……!?」
「おやおや、これは重症だね」
 それまで隣で様子を見ていた宇迦さんがぽつりと零す。和泉さんのうなじを指先でつんと軽く突くと、和泉さんの身体は糸が切れた人形のように私へと崩れ落ちていった。
「何、したんですか?」
「ちょっと眠らせただけだよ。目覚めた頃には楽になってるんじゃないかな」
 私にもたれかかるように倒れてきた彼の様子を窺う。確かに先ほどよりも呼吸は楽そうで、表情も幾分穏やかになっていた。

 宇迦さんに手伝ってもらい、長身の和泉さんの身体をどうにか二階の祖父の家へと運び込んだ。規則正しい寝息を立てる和泉さんの横で、六畳一間に正座する宇迦さんと向かい合う。和泉さんが散らかし、混沌とした部屋の中に凛と佇む宇迦さんは明らかに部屋から浮いていた。
「すみません、私もあまりこの家の勝手が分からないのでお茶も出せず……」
「気にしてないよ。君が鍵を持っていてくれて助かった」
 ふんわりと彼が微笑むと、火の粉のように輝く毛先がちりっと揺れた。その美しさはずっと見ても飽きず、気を抜けばすぐに見惚れてしまいそうになる。そんな誘惑を振り切るように、気になっていた疑問を口にした。
「和泉さんは大丈夫なんでしょうか? まさか、何か病気とか?」
 そもそも神様は病にかかるのだろうか、と分からないことだらけだ。そんな私の疑問を察してか、宇迦さんは丁寧に説明してくれる。
「これも信仰が薄れてる影響のひとつだよ。特に和泉は変化の術を使い続けて無理してるからね。おそらく、自浄がうまくいってないんだ」
「じじょう?」
「こう見えても一応、土地神だからね。その土地の穢れを引き受けて、清らかなものに還すのも仕事のうちなんだよ。それを自浄って呼んでるんだけど、力が弱まるとこうして穢れが身の内に溜まって稀に体調を崩すんだけど……まぁ、人間で言う風邪みたいなものかな」
 眉をハの字にしながら、宇迦さんは苦笑混じりに言った。相変わらず、どこか他人事のような淡々とした口調で。
「治す方法はあるんですか?」
「ひとまずは自浄に専念するための休息かな」
「ひとまず?」
「信仰が回復しない限り、根本的な解決にはならないからね」
──信仰も、畏怖もなくていい。
 和泉さんは倒れる前にそう言っていた。どこかその言葉の響きが投げやりだったのは、彼自身も解決にはならないことを悟っているからかもしれない。
「じゃあ、僕はこれで」
 すっと腰を上げた宇迦さんに、つい心細さを覚えてしまう。そんな気持ちが顔に出たのか、彼は白くほっそりとした手で私の頭を撫でた。まるで子供をあやすような手つきは、随分と懐かしい心地がする。
「寝かせていれば大丈夫だから。あとは美味しいものでも食べさせてあげて。綺麗な水で炊いたお米とか、瑞々しい野菜とか」
「本当に風邪ひいた時の看病みたいですね」
「うん。だから和泉のこと、よろしく頼むよ」
 そんなことを言われてしまえば引き留めることはできなかった。宇迦さんが帰って静かになった部屋の中で、眠ったままの和泉さんを見つめる。
 神様は、もっと優雅に暮らしているだけのものかと思っていたけれど、和泉さんを見ているとその姿は程遠い。
「……私、何してるんだろう」
 私も生活を維持するために、自立するために働いていた。体も心もボロボロになりながら、なんで働かないといけないんだろう、なんて考え始めると底なし沼に落ちていくようで、必死に手足を動かしていた。やがて力尽き、動くことをやめた身体はずぶずぶと何もない沼の底へと落ちていくだけなのだ。
 でも、和泉さんと比べたら私は随分恵まれているらしい。休職中で、無為に一日を過ごしても体調が崩れることはない。貯金とちょっとの給付金で今のところ食い繋いでいる。そんな私が、和泉さんから住処まで奪おうとしていたなんて……
 ぐぎゅるるる~……
 突然、特大のお腹の虫が鳴いた。私ではなく、眠っている和泉さんのお腹から。
「ご飯、作りますね……」
 まだ眠ったままの和泉さんに言い残して、静かに家を出た。スーパーは目の前だ。

 ◆◆◆

 トントン、と包丁が食材を刻む音。香ってくる米の炊ける少し甘い匂い。そんな懐かしささえ覚える空気に、ゆっくりと意識が浮上していった。
「ここは……」
「あ、和泉さん。目が覚めました?」
 聞こえてきた声にゆっくりと重い身体を起こす。黒髪を後ろで束ね、台所に向かう姿に胸の奥から熱いものが込み上げて、視界がぼやけた。
「みすず……」
「……和泉さん?」
 余韻を打ち破るように名前を呼ばれ、瞬きを繰り返せば幻影は消えていく。くっきりと浮き出てくる光景は見慣れた尭の家の中で、包丁を手にしているのは尭の孫だった。
「お前、料理できんのか?」
「一応できますよ、簡単なものだけですけど。というか、さっきから呼んでるみすずさんって誰ですか?」
「お前には関係ねーよ……」
 意識が曖昧としていたとは言え、まさかみすずの名前まで口に出すとは思わなかった。自分でも思っている以上に、身体は悲鳴をあげ始めているのかもしれない。孫にみすずを重ねてしまった自分が少し悔しかった。
「あ! ってか、店! 今、何時?」
「店より、今はとにかくご飯を食べてください」
 それは質素な膳だった。白米に鮭の塩焼き、たくあんと野菜がたっぷり入った味噌汁。本当に簡単なものだけであったが、身体は正直だ。それまで店のことしかなかった頭が、一気に食欲に支配されてしまう。神の姿である時は、食欲なんてほとんど感じなかったのに。
「食べ物を粗末にするのは気が引けるからな……」
「はい、どうぞ。召し上がれ」
 皿に盛られた料理はどれも貧相な見た目ではあったが、恐る恐る口に運んだ味は悪くない。特に味噌汁は尭が作るものより出汁のうまみが強く、味噌は少なめと優しい味がした。
「今朝は俺の世話なんて御免だ! って感じだったのに、どういう風の吹き回しだよ」
「さすがに目の前で倒れた人を放っておけませんから」
「人じゃなくて神だけどな」
 冗談めかして言えば、孫はまた困ったように微妙な笑みを浮かべる。そんな反応が楽しくて、つい神アピールをしてしまうのだけれど。
 よほどお腹が空いていたのか、あっという間に皿は空になった。気力も湧いてきたし、宇迦が何かしてくれたのか身体も幾分軽くなった気がする。
「ごちそうさま。意外と美味かった」
「それはどうも。和泉さんもさっきよりだいぶ顔色がいいですね」
 少し遅れて食べ終わった孫が気遣わし気にこちらを窺う。そして視線が交わりそうになると、ぱっとずらして食器を片付け始めた。
 心配はしてくれているのだろう。そういうことを素直に言えない感じは、尭と似ている。
「あ! そういえば昨日給料日だった。通りで身体が重いはずだ」
 尭が入院をしてしまったせいで今月分の給料をもらい損ねている。俺のことを全く孫に伝えていなかった尭が、給料日のことを伝えているとも思えなかった。自分から言うべきだったかもしれないが、すっかり日付のことも頭から抜けていた。
 頭を抱える俺に、孫は食器を水につけながら不思議そうに尋ねてくる。
「給料と体調って関係があるんですか?」
「お前も見てただろ。この賽銭箱にお金が入ってくところ。給料もさ、ここに入れてもらってんだよ」
 首から提げた手作り賽銭箱を掲げてみせると、点と点が繋がったのか閃いたように孫の目が開かれる。宇迦と何やら喋っていたようだが、一体どこまで何を吹き込まれたのやら。
「呼び名は何でもいい。お供えだろうと給料だろうとお駄賃だろうと。信仰なんて概念のふわっとしたものじゃなくて、金は見えて数えられるし、分かりやすくていいだろ?」
「……ごめんなさい」
「何だよ、急に」
 目が覚めてから、孫はどこかしおらしかった。今朝はあんなに喧々していたというのに。
「あんなしょぼい社を見て、哀れみでも覚えたか?」
「違います! そうじゃなくて……」
 口籠りながら、孫は洗い物の手を止める。そして改まるように、俺の前にちょこんと座り直した。
「神社に戻ればいいのにとか、事情を知らずにいろいろ言ってごめんなさい。和泉さんとは全然理由は違うんですけど、私も自分の家に帰りたくなかったんです。だから、おじいちゃんに代理店長をすれば、この家を貸してもらえると聞いて喜んだんですけど、和泉さんが居候してるって知って当てが外れて……八つ当たりみたいなことしてしまいました。本当、最低です。ごめんなさい……」
 喋れば喋るほどに、孫は身体を縮こまらせていく。このまま喋らせれば、道端の小石くらいになってしまうのではないだろうか。しかし、貴重なこちょうでの働き手になる可能性のあるこいつを、小石にさせてしまうのは惜しい。
「おい、孫」
 謝り倒すのを遮るように声をかければ、弾かれたように顔を上げる。
「なんでそんなに謝るんだよ」
「え、だって……」
「俺の事情を知らなかったのは、俺が話そうとしなかったからなんだよ。大体、事情を知って、謝って、お前はどうすんだ。帰りたくもない自分の家におめおめと帰るのか?」
「そうするしか、ないじゃないですか……」
 もごもごと口籠りながら、明らかに不本意そうに呟く。昨日、生き生きと店番をしていたやつと同じ人間とは思えないくらいの覇気のなさだ。
「いいか、孫! 一度決めたんなら、欲しいものは何が何でも手に入れるんだよ!」
 呆然とする孫を前に、ぐっと拳を握りしめる。
「俺はそうやって土地も酒も女も、欲しいものは全部掴んできた。確かに昔ほどの力はなくなったけどな、それでも今も亡くしたくねーこの命に必死にしがみついてんだよ。絶対に離してなんかやらねーって決めたからな」
 それまで沼のように沈んでいた孫の瞳の中に、小さな光がぽっと灯る。
「じゃあ……私がこの家にひとりで住みたいから出ていってくださいって言ったら、和泉さんはどうするんですか?」
「いやだ、って言う」
 当然とばかりに言ってのけると、なぜか孫は笑い始めた。口を開いて可笑しそうに笑う顔を、ようやくちゃんと見られた気がする。
「そんなの、話し合いが平行線のままじゃないですか」
「しょうがねーだろ、この姿で野宿はいろいろとまずいからな。そもそも、尭は一緒に住んでたんだ。なんでお前は嫌がるんだよ」
「なんでって、寝る場所とかいろいろその、今のところ予定はありませんけど、嫁入り前ですので……」
「安心しろ。俺は一応、妻帯者だ」
「え?」
「まぁ、嫁さんはもう死んだけどな。俺からしたらお前は孫以上でも以下でもないというか……あぁ、そうだな。俺がお前の保護者代理ってのはどうだ?」
「保護者代理って、もういい大人なんですけど……」
「俺から見たらガキみたいなもんだよ。あと寝る場所なら問題ねーから。俺、いつも風呂で水に浸かったまま寝てるし、この部屋は孫がひとりで使えるからな」
「え、いや、え……?」
 ぱくぱくと口の開閉を繰り返し、何も言葉にできないのか、手だけが宙を彷徨っている。何か戸惑っているようだが、尭が療養中の今、働き手と自分の世話係を一気に手に入れられるまたとない機会だ。多少の良心は痛むが、俺に隙を見せたお前が悪い。
「どうだ? 他に理由がないなら、今日からここがお前の家だな」
 目的のためなら、こちらは遠慮なくいかせてもらう。それが、昔からの流儀だからな。
「私の、家……?」
 噛みしめるように孫が呟き、それに頷き返す。はにかむように口元を緩ませた孫の表情が、全ての答えのようだった。
「ってわけで、代理店長さま? 早速ですがお給金くれると助かるんだけどなぁ」
 賽銭箱をずいっと差し出す。角のよれた段ボールの箱の中に投じられたそれは、ゆっくりと身体の深い部分まで染み込んでいくようだった。


 続きもお楽しみに!

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