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誠樹ナオ『薬膳の料理人〜桃源探奇譚〜』後編

前編はこちらから

「先ほど矢を射かけてきたのはコアン様に敵対する者たちだ」

 チャーハンを食べる手を止めて、ジアン様は静かに言葉を紡いだ。

「コアン新帝の……政敵と言うことですか」
「そうだ。だから、俺が来た。無事に蟠桃を其方が都に届けるまで、護ってやる」

(私の……と言うか、蟠桃の警護……)

 とんでもない事態に、くらくらと眩暈がした。

(桃を見つけるだけだって大変なことなのに、命まで狙われてるって……!?)

「なぜ、こんなところにまでそんな者たちが?」
「蟠桃を取りに行くのを邪魔したいのだろう」
「はあ?」
「即位式を邪魔するためだ」

 蟠桃が新帝の即位にあたって重要なものだとは分かっているけれど、そこまでするほどのことだろうか。

「……其方、知らないのか?」
「何をです?」
「蟠桃を三年連続で献上された帝は、徳が高いと言う言い伝えがあるのだぞ」
「そりゃ、知ってますけど」

 そのせいで、特別に所望される羽目になったのだから当然知っている。
 特別に所望されたからには、失敗したらかなりやばいという事も。

「即位にケチをつけるには、最上の手段であろう」
「まあ、そうかもしれませんけど」
「しかも、蟠桃は薬効灼か(あらたか)だと聞く。帝の御代が末長く続くためにも必要な物だ」
「まあ、そう言われてはいますけど」

 私をじっと見つめるジアン様の瞳が、胡乱に細められた。

「なんだ、それほどでもないとでも言いたげだな」
「……薬効というなら、どんな食べ物にもあるんですけどね」

(それなのに、手に入りにくいからといって、殊更に何かを珍重するだなんて馬鹿げている)

 そして、そのために人の命までもが左右されるなんて。

「蟠桃が貴重なのも、今のうちだけかもしれませんよ」
「……どういう意味だ」

 さすがにそれ以上を帝に仕える高官に言い募るのは、よろしくないとハタと気付く

「いえ、なんでもありません」

 話を打ち切るように、茶を飲んだ杯を持って立ち上がった。

「それより、早く寝ましょう」
「……それは誘っているのか」
「はあ?」
「俺は、外ではヤったことはないが……まあ一度くらい試してもいいとは思うぞ」
「……」
「冗談だ」

 軽蔑を隠しもしない視線を送ると、ジアン様は可笑しそうにクスクスと笑った。

「日が昇ったら、すぐに出立したく思います」
「そうさな。添い寝して、子守唄でも歌ってやろうか」
「寝付きはすこぶる良いので、お気遣いなく」

 綺羅綺羅しい笑顔の彼をその場に残して、川辺に向かう。
 もちろん、杯を洗って、歯を磨いて早く寝て、明日に備えるためだ。

 今、取るべき行動としては、それ一択に限る。


 それから、追っ手の気配が感じられないまま二日が過ぎた。

「現れませんね、あの人たち」
「そうさな」

 石の囲いで追い込んだ魚を捌き、見つけた山紫蘇と一緒に包丁で叩いて味噌と混ぜる。
 炊いた米の上に乗せると、ジアン様はあっという間に平らげた。

「それにしても、豪華な食だな」
「ありあわせですが」
「ありあわせ……」

 ジアン様はしきりに舌鼓をうつ。

「本当は山で腹を下すと厄介ですから、生魚より焼いたり煮たりしたほうがいいのですが。山紫蘇には解毒や殺菌作用がありますので」
「そうなのか」
「味噌にも同じような作用があります。山ではうってつけです」
「すべての食材には、薬効があると言ったな」

 数日前に私が話したことを覚えていたのか、ジアン様はぼそりと呟いた。

「……はい」
「例えば、羊にも?」
「羊は、お太りになっている方に効果的です。体の脂を取って、力になる筋を養ってくれます」
「では、米は?」
「米こそ、人の生きる源ですよ。薬効をあげたらきりがないです。頭の栄養にもなりますし。糠も含めたら、それこそ薬のようなものです」
「そうか……」

 ジアン様の、昼餉に注ぐ眼差しが優しくなる。

「ありがたく、なんでも食べねばなるまいな」
「そういうことです」

 大華帝国は長く平和な世が続いているが、富める者と貧しい者はいる。貧しい者は飢えて死ぬこともある。
 飢饉が国を襲うことも、これから未だあるかもしれない。

「其方が食材に貴賎がないと思っているのは理解できるが、コアン帝の御代が和やかであるように蟠桃を探すのも、意義あることだと思わないか」
「……私は別に、探すことに不満はありませんが」
「そうか?」

 私の考えなどお見通しかのように、ジアン様がクスクスと笑う。

「……コアン様には母君共々、随分と引き立ててもらったのでな」

 ふと、ジアン様の声音が真摯なものに変わる。

「俺の母は身分の低い庶出だが、皇后様とコアン様が何くれとなく手を差し伸べてくれた。だから俺は期待に応えて、将来、コアン様の助けになるべく励んできたのだ」

 いつも軽口を叩く彼の声が紡ぐ静かな色に、胸を突かれた。

(幼馴染ってことかな?)

「即位を賀ぐ(ことほぐ)のに、蟠桃を献上する以上の方法はちょっと思い付かない」
「承知しております」
「だったら、いい」
「……ここを超えれば桃源です」

 昼餉の後付けを終えると、再び出立する。
 切り立った岩壁同士が、不埒者の侵入を拒むかのように鋭く屹立している。
 岩壁と岩壁の間に、人が一人やっと通れるかどうかという狭溢から細く光が漏れていた。
 ──いくら蟠桃を殊更に特別だと思っていない私でも、この瞬間はさすがに緊張する。

「ジアン様、通れそうですか?」
「ああ……なんとかな」

 窮屈そうに身を縮こませて、ジアン様が私の後をついてくる。

「なるほど……これは、そう簡単には見つけられない筈だな」
「でも、香りがします」
「香り……」

 ……クンと、ジアン様が鼻を鳴らす。
 岩棚を通り抜けると、目の前が桃色に染まった。

「これは……」

 見渡す限りの桃の花の雲海に、ジアン様も言葉を失っている。

(他人と連れ立ってこの場を訪れる のは初めてだ)

 桃の花は……この桃源の主だという西王母様は、侵入者に怒りはしないだろうか?

 そんな私の思いに応えるように、風に揺れる桃花たちが騒ぎ出す。
 桃は神の樹。
 不老長寿や……破邪を司る。

「見事な実だな」

 たわわに実る蟠桃をもぐ と、ジアン様の目の前に翳して見せた。

「……どうやら、桃花に愛でられているようですね」
「は?」

 当の本人にこの喧騒は少しも聞こえないようで、戸惑う様子が可笑しい。

 本来ならば 、帝の命を受けた高官が私の考えを慮る必要はない。

 ただ命ずれば良いだけで、そこに否やはない。背けば罰すればいいだけのことだ。

 ……けれど、この人は私の話に耳を傾け、私の矜持を尊重してくれる。

 ほんの数日の道中だったけれど、この人が桃花に愛でられる理由が少しずつ分かるような気がしていた。


 無事に蟠桃を籠いっぱいに収穫し、あとは都に届けるだけ。
 任務の半分は終えたも同然で、山を降りると野営を張った。あと半日もあれば到着するだろう。
 ジアン様が火の番をしてくれて寝入っていると、小さな物音に気づいて目が覚めた。

(何……?)

 目を開けると、私の体に乗り上げるようにしてジアン様が手で私の口をふさいでいる。

「しっ、声を出すな……!」
「……っ!?」

 ドカッ!

「いてっ」

 声を出すことができず、気付けば私はジアン様の足を蹴り上げていた。

「んー!!」
「いいから、声を出すなって! ……囲まれている」

(え……?)

 耳をすますと、確かに静寂の中に小さく足音が聞こえた。

「……!」
「状況、分かったか?」

 コクコクと首を縦に動かすと、ジアン様はそっと私の口元から手を外した。

「なかなか、いい蹴りだったな」
「すみません……」

 笑ったのは一瞬で、ジアン様がすぐに真顔になる。

「よく聞けよ。今すぐ蟠桃を持って、あの洞窟に隠れるんだ。さっき狼煙を上げたから、追加の兵と帰路のどこかで合流できるはずだ」
「はい」
「敵の狙いは蟠桃を持った其方だ」

 ジアン様は空の籠に布を詰めて、背中に背負った。

「ここは敵の目をあざむくためにも、バラバラに行動する。俺が目を引いている間に逃げろ」
「私だけ……?」

 緊張に身体がこわばる。

「其方と俺の役目は、蟠桃を都に届けることだ」
「……」
「そうだろう?」

 ジアン様の役目は、都に蟠桃を届ける私の護衛。
 頭では分かっていたつもりだったけれど、こうなって初めて、本当に理解したのかもしれない。
 戸惑いが伝わったのか、ジアン様は安心させるように不適に微笑んだ。

「其方のフリをして奴らの目を引きつけたら、俺も適当に逃げる。追っ手を撒いたら再び其方の警護に戻るから、案ずるな」

 不意に、ジアン様が真顔になる。

「万が一、隠れている間や逃げている間に俺の声が聞こえても、絶対に、戻ったり足を止めたりするなよ」
「……っ」

(それは……ジアン様の身に何かあったとしても、振り返るなってこと?)

「一番大切なのは、蟠桃だ。分かるな」
「分かりません。たかが桃でしょう」

 どれほど珍重されているか、即位を賀ぐのにどれだけ求められているか、分かってはいる。
 だからといって、人の命と桃の実を天秤にかけるなんて──
 ……けれど、鶴翼館の料理人の立場ではそうは言えない。

 心の内でそう思いながら、態度では鶴翼館の料理人足らんとする。
 こんな危機の最中にあって、ようやく自分の本音と態度が矛盾しているのが分かる。

「蟠桃は、必ず私が届けます。でも……ジアン様も無事でいてください」
「……!」
「お願いだから、死んだりしないで下さい。両方で都にたどり着かなければ、意味がない」
「其方は本当に……」

 困ったように、でも桃の花の香りのように優しく、ジアン様が笑った。

「そんな風に言われたら、淫心を起こしそうになる」
「こ、こんな時にふざけないで下さい」

 ジアン様は私の前髪をかきあげると、そっと額に口付ける。

「……っ!?」
「必ず戻る」

 咄嗟のこととはいえ、誓いの仕草のような気がして、避けることができなかった。


 洞窟の隙間から外をうかがうと、ジアン様の思った通り、追っ手の何人かがまっすぐに私が寝ていた茂みを目指してきた。

 ポツンと洞窟の天井から滴る雫にビクッと身が竦んだ。私の押し殺した呼吸の音だけが、やけに大きく響いている。

 それからしばらくの後……

「違う!こいつ、あの小娘じゃないぞ!?」
「まったく、人の寝所にドカドカと……無粋だねぇ」

 小競り合いの音が聞こえ、私は洞窟から飛び出した。

「おい、あっちから音がしたぞ、追え!!」

 蟠桃の入った籠を抱えて、全速力で山道を走った。


 真っ暗な森の中をひたすら走り続ける。

「あ!!」

 突然、木の上から黒い影が飛び降りてきた。

 咄嗟に茂みに飛び込むと、男は槍のようなもので周囲の茂みをザクザクと突いてくる。

「ふん、やはり別行動をとったか」

(読まれてる……)

「出てこい。すぐに俺たちの仲間もここに来る。隠れても時間の無駄だぞ」

(ジアン様は、再び合流すると言ってくれた)

それとも、ジアン様が呼び寄せた武官たちとどこかで合流できるかもしれない。

(時間を稼がないと……!)

「……」
「観念したか」

 茂みの中に籠を置き、匍匐で少し進んだところでそろりと立ち上がった。

「蟠桃はどうした」
「……私の手元にはもうない」
「なんだと?」
「気づかなかったの?先ほど、禁軍の密使に渡した。蟠桃はもう、密使の手によって都に運ばれている」
「な……っ」
「残念だったね」

 体を翻して走り出そうとすると、男は素早く駆け寄ってきて私の腕を掴んだ。

「そんなはずはない。さすがにそんなに早く合流できるものか」
「だから……元々この辺りで落ち合う手はずになっていたんだってば!」
「いや……お前、この付近に桃を隠したな?」
「隠してなんか……っ」

 私の視線の動きを読んだかのように、男が茂みの向こうを見晴るかす。

「なるほど、あの辺りか」
「ダメ……!」

 男に体当たりすると、その体がぐらりと傾いた。

「クソッ!」
「行かせない!」

(今ここで蟠桃を守れれば、後で誰かが回収してくれるはず……!)

 男の足に必死にしがみ付くと、男は槍を頭上に振り上げた。

「しつこい女だな……離せと言っている!」

(やられる……!)

 ぎゅっと強く目を閉じたその時……

 ガン……ッ!!

 鈍い音がして、男の槍が宙を舞って飛んだ。

「ロエン!」
「ジアン様……」

 男たちから馬を奪ったのか、蹄の音と共に現れたジアン様が男の槍を弾き飛ばしていた。

(よかった……。無事だったんだ!)

 けれど、男は一瞬怯んだだけで、ジアン様に向かって矢を番える。

「ジアン様、後ろ!!」
「くっ……!」

 矢がジアン様の右腕を掠めて、剣を取り落とす。

「ジアン様!」

 私は咄嗟に、荷の中から取り出した包丁をジアン様に向かって投げた。

「よくやった!」

 空中で包丁を掴んだジアン様は、鮮やかな手さばきで男に切りつける。

「ぐあっ……」

 すぐに茂みにとって返すと、蟠桃の入った籠を背負った。

「ロエン、乗れ!」

 ジアン様に手を掴まれ馬上に引き上げられると、馬は転がるように山道を駆け下りて行った。


 湖の側で馬が歩足を緩めると、私を背にして手綱を握っていたジアン様の体がぐらりと揺れた。

「……うっ」
「ジアン様!?」

 馬から降りて駆け寄ると、自力では起こすことが難しいその背中を支えた。

「何、これ……」

 掌に生暖かいものが触れる。矢傷は僅かに腕の肉をえぐって、その周囲が黒ずんだように変色していた。

「触れる……な。おそらく、毒矢……だ」
「毒……」

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