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【無料】誠樹ナオ『薬膳の料理人〜馬鈴薯奇譚〜』第一話

中華ファンタジー「薬膳の料理人シリーズ」第二弾です!
(第一弾「桃源探奇譚」のあらすじ)
大華帝国の道灌に勤める薬膳料理人の芦燕(ロエン)は、新帝の即位にあたり蟠桃探しで手柄を立てた。その際に同行した武官、江(ジアン)の正体はなんと皇弟にして宰相。芦燕はすっかり江に気に入られて取り立てられる。こうして芦燕の波乱に満ちた料理人生活が始まった。

 しっとりとした柔らかな長雨が、我が大華帝国に秋をもたらすこの頃。 今朝収穫したばかりの馬鈴薯(バレイショ※ジャガイモ)は丸々とよく肥えている。大鍋の熱湯の中で弾けるようにコロコロと転がって、いかにも早く食べてくれとささめくかのようだ。

「あっちぃ〜!」
「こら、煮えてる鍋を覗き込むんじゃないの!」

 借りている宮廷の厨房の窯の前で、友馬(ヨーマ)が馬鈴薯を混ぜながら茹でるのを背後から手を添えて手伝う。
 友馬は宮廷の料理人、桑氏(サンシ)の息子だ。私が料理を始めたのと同じ、歳の頃は10歳くらいだろうか。

 私の本来の職場は鶴翼館(かくよくかん)という。

 道教の導師や見習いが修行をする、いわゆる道観だ。地上にあって仙界と繋がる特殊な場所で、帝や朝廷のため、市井のために道教に則った行事を行うなど、大華帝国の宗教的支柱でもある。
 鶴翼館で修行を重ねる者たちが仙界に近づく手助けをするために、料理人として薬膳を供するのが役目。

 ──なのではあるが、昨今ではこうして宮廷に招かれることが増えていた。

 いつの間にか友馬は、私が宮廷に現れるたびに顔を出しては、何くれとなく手伝いたがる。こちらとしても、邪魔をするわけではないので好きにさせていた。

「湯気の上に首を突き出したら危ないでしょ」

 こういうところは、やはり目が離せないのだけれど。
 友馬の右手首には、小さく赤い腫れができていた。鍋の上に体を傾けた拍子に、バランスが崩れて熱湯が跳ねたのだろう。

「だってえ、芦燕姐々(ロエンチエチエ)。ちゃんと煮えたか気になるじゃんか〜」
「ちゃんと煮えたかどうかは、頃合いに竹串を刺して調べるの。茹でている間は、背筋をしゃんと伸ばして腹に力を込めないとダメだ」

 不満げに口を尖らせる友馬の耳元に、忠言を吹き込む。

「お前の父上もそうするはずだよ」

 『父』の一言に友馬はしゃんと背筋を伸ばした。父親の桑氏は何やら怪我をして、ここ2週間ほど料理人の仕事を休んでいるらしい。母親も体が弱く、昔から伏せりがちだという。

(父親の代わりのようなつもりでいるのかもしれないな)

「よく冷やしな」
「はーい…」

 友馬を鍋の前から退かせ、たらいに水を張って腕を浸す。

「お前……、こっちはどうしたの?」
「え?」

 馬鈴薯を笊(ざる)に引き上げながら、反対の左腕に巻いた晒しが気になった。少し汚れたそれは、今しがた手当てしたものではない。

「あ……芦燕に教わった鍋振りを、昨日、練習してて……」
「感心だね。こっちにも軟膏を塗っておく?」
「うん……あ、ううん。後で自分でやるから」
「じゃ、火傷だけ塗るよ」
「いてて、沁みる〜」

 顔をしかめる友馬に、自身のことが懐かしくなる。痩せぎすで貧相な私の手足にも、年頃の娘らしからぬ傷や火傷の跡がある。友馬と同じように、未熟な頃に奮闘した証だ。
 自分としては誇らしいくらいだが、他人には目を背けられることも多い。

「ありがと」
「明日になってもまだ赤かったら、これを塗っておきなよ。左腕の傷もね」
「うん」

 素直に頷く友馬を横目に、いくつか馬鈴薯の皮を剥きながらこのまま出すかどうかを考える。
 無骨な丸みから、つるりと皮が剥けるのが馬鈴薯は楽しい。甘藷(カンショ※さつまいも)のようにぼさっと剥ける野暮な感じとは全く違う感触だ。なんなら皮がついたままの方が美味いし、栄養価も高い。

(野菜や果実は皮付きのまま食べるように、誰ぞに忠告したことを思い出すな)

 野菜や果実は、皮と身の間の栄養価が高く薬効も豊富だ。
 それでも、剥けた処から顔を出した優しい黄色が目に染みる。歯を立てればほくほくと優しい甘みと、しっとりとした歯ごたえが腹を満たすだろう。

(半分は、そのまま出すか)

 あと半分を、どうしようかと考える。
 此度の目的を考えれば、他の食材と混ぜるのはいただけない。あくまでも主役は馬鈴薯でなくてはならぬ。
 馬鈴薯単体で主役足り得て、その妙味を味わってもらえる献立──

 頭の中に一つの献立がパッと浮かぶ。

 鍋の中から茹でた熱々の馬鈴薯の3分の1ほど取り出す。気配を察してか、友馬が目を輝かせた。

「何作るんだ?」
「今日は、簡単なものだ」
「へえ〜」

(ガン見……)

 鶴翼館で、女の料理人は私ひとり。周りの兄弟子たちからは黙殺されている。
 友馬のこうした反応は、こそばゆくもあるが新鮮でもあった。
 取り出した芋が熱いうちに潰すと、小麦の粉と混ぜる。平たく形を整えて平鍋で焼き、塩と牛酪(バター)を落とす。
 そして最後に追加するのは……

「甘葛(あまずら)?」

 友馬の子馬のように円らな瞳が、ますます丸っこくなる。
 葛から取った甘味は、宮廷なればこそ使える贅沢品だ。

「ほれ」

 味見の分をひとつ、小さく割いて口元に運ぶと友馬の手が止まる。

「美味い〜!」
「芋餅だ。潰した芋と小麦の粉を混ぜて焼くだけ。簡単でしょ?」
「甘葛なんて、使えないよ〜」
「塩だけでも十分美味い。冷めても美味だから、後で父上に持って行ってやれば」

「本当に美味そうだな」

「──っ!?」

 小麦の粉よりも軽い声に、慌てて振り返る。
 いつの間にか背後に、影のように背の高い男が立っていた。伸びてきた腕がひょいと芋餅を一つ摘んで、そのまま口に運んでしまう。

「うん、美味い」
「江(ジアン)様……いえ、宰相殿下」
「さすが、いい腕だな。兄上もお待ちかねだ」

(……と分かっていて、先に食べちゃうっていうのはどうなんだろう)

 私の睨めつけるような視線を感じてか、江様はふふっと口元だけで笑った。

「毒味だ、毒味」
「……私は何も申しておりません」

 宰相殿下が厨房に足を運ぶなど、最初は天地がひっくり返りそうなほど驚いたものだけれど。

(宮廷に通ううちに、もう慣れたな)

 まだ現在の皇帝である広(コアン)様が即位する前、私は即位の儀に献上する蟠桃探しで手柄を立てた。
 その際に、一介の武官だと身分を偽り私の警護をしてくれたのが、広帝の弟君にして宰相である江殿下だったのだ。
 ……本人は『身分を名乗らなかっただけで偽っていない』などといけしゃあしゃあと言っていたけれど。
 あの凄まじい競争率である科挙と武科挙に最年少で両方合格し、父帝の頃から若き名宰相として名高い。広帝とも頗る仲が良く、我が大華帝国は史上稀に見る太平の世に恵まれていた。

「そろそろ準備はできたか?」

「然るべく」

 江様の指が、私が帯に履いている翡翠の珠をからかうように弄んだ。
 肌身離さず身につけているこの紋章は、蟠桃探しに出た折に、身分を明かすために道観の観主(かみ)殿に与えられたもの。本来なら正式な導師にしか与えられないのだが、褒賞として今も私の手元にある。
 以前は、卑屈なくらい鶴翼舘の末席として振舞っていたが、今では堂々とこの翡翠を身につけていられる自分がいる。

「あの……いつまでこうしているのですか?」
「おっと、すまんすまん」

 クスクスと笑って、江様は翡翠から手を離すと友馬に目を向けた。

「友馬も手伝ってくれたのだな。父御の怪我の具合はどうだ?」
「すぐに治ります……!」
「無理をしなくていいから、しっかり休め。医師や薬師が必要なら遣わそう」
「……ありがとうございます」

 父親が職を解かれることを恐れているのかもしれないが、江様の言う通りきちんと直すことの方が重要だ。
 2人の会話を横目で見ながら、私は茹でた馬鈴薯と牛酪、塩、芋餅を2人分盛り付けた。

「宰相殿下!」
「!」

 厨房の入り口で、上ずった声と共に年嵩の女性が姿を現した。

「寿明(ショウミン)」

 寿明、と呼ばれたのは侍女のお一人だろうか。歳の頃は四十路近いように見える。着ている衣を見れば、後宮に仕える方のようだ。
 どちらかというと太ましく、その豊かな肢体を支えるのが苦しそうによたよたと厨房に入ってくる。本来は明るい性格を思わせる笑い皺が目尻に刻まれているが、眉間に寄った縦皺と目の下の隈が気になった。

「どうした?」
「それが……」

 困ったように微笑んで、寿明様が江様に耳打ちをする。
 それを横目に、余った芋餅と茹でた馬鈴薯を保存庫に移そうと別の器に盛り直していると、江様がくるりと私の方に向き直った。

「もう一人前、追加してくれ」
「……どなたか客人でもいらっしゃるのですか?」
「まあな」

 珍しく、端正な口元を大袖で隠して江様が言い淀む。

 いつも人を食ったような飄々とした顔ばかりの宰相殿下が、どことなく気が重そうな顔をするのに若干の戸惑いを隠せなかった。

──────

 この日呼ばれた部屋は後宮の一室だった。
 ここは皇族の住まう場所、所謂、内廷にあたる。いつもなら官が政務を行う外廷に招かれるので、この瀟洒(しょうしゃ)な設えにどうにも落ち着かない。
 広皇帝陛下の隣には、お若い姫君がワクワクした様子を隠しもせずに座っていた。
 高く結わえられた栗色の髪に意匠の異なる凝った花の簪を数本さし、頸連(けいれん)は玻璃と真珠。大袖は季節を思わせる茜色に、金糸の刺繍がされている。

 膝の上に乗せた黒い毛並みのもふもふコロコロしたのは、彼女の愛玩犬だろうか。主と同じ茜色の披肩(ショール)を着せられている。

(犬のくせに贅沢なことだな)

「まあ、美味しそう!」

 姫君は、私が運んできた料理に目を輝かせて皇帝陛下よりも先に手を伸ばす。度肝を抜かれたが、それを咎められることはなかった。

(どっちかの寵姫か?)

 江様はどことなく呆れた空気を漂わせているが、皇帝陛下は姫君が舌鼓を打つのを見てニコニコと満足そうに微笑んでいる。

(江様は武官だと勘違いできたけれど、広帝を武官だとは思うまいな)

 異母兄弟のはずだが、皇帝と宰相のお二人はどことなく顔立ちが似ていた。江様も端正なイメージがあったけれど、広皇帝陛下の方がより繊細だ。

「ズルいわ、お兄様方は。わたくしに内緒で、2人きりでいつもこんな美味しいものを食べていたのね」

 恨みがましげな瞳で、兄と呼んだ2人を姫君が交互に見つめる。
 江様はますます呆れたように溜息を吐き出した。

「美味しいものって、お前なあ」
「これからは、この者が訪れた時はわたくしも必ず呼んでくださいませ!」
「愛芳(アイファン)」

 江様の声に、咎めるような強さが篭る。

「芦燕を呼んでいるのは、美味いものを食べたいだけでも遊びでもない。政務の場に、常にお前を呼べるわけがないだろう」
「だって……」
「まあまあ」

 叱責を重ねようとする気配の江様を、鷹揚に取り成したのは皇帝陛下だった。
 2人ともに『兄』と呼ぶからには、この無邪気な姫君は異母妹、つまり公主様ということだろうか。

「貴女は、えーと……」

 公主様のキラキラと好奇心に満ちた視線が降り注ぐ。江様をちらっと見上げると、頷いた。発言して良いということだろう。

「鶴翼館の薬膳料理人、末席に連なる惟芦燕(ユイ ロエン)と申します」
「芦燕ね。覚えたわ」

 膝の上に無邪気な眼差しを注ぐと、公主様がおもむろに芋餅を小さく千切る。

「そら、大黒(ダヘイ)、お前もお食べ」
「……!」

(い、犬に食わされた……!)

 呆然としていると、公主様はニッコリと何のてらいもなく微笑んだ。

「まあ、大黒も気に入ったみたい。後で芦燕には褒美をとらせるわ」
「お、お気遣いなく……」
「……」

 表情を隠すように拝礼すると、江様が額を抑えるようにして天を仰いだのが指の隙間からチラリと見えた。

「……飢饉対策とはいえ、これなら普通に食事として好ましいな」

 突然、飛んできた玉音に慌てて更に拝礼した。
 広皇帝陛下の声音は穏やかではあるが、どこかピリッとした緊張感が漂っている。

「栄養価も高く、備蓄にも向いております」
「相分かった」

 優雅な仕草で芋餅を摘みながら、皇帝陛下が江様に笑いかけた。

「試験栽培の件、万事、江の良いように計らえ」
「御意」

(さすがだな)

 愛芳公主のせいで緩んだ空気を、あっという間に本来の用件に戻して引き締めてしまう。

 我が大華帝国の皇帝陛下は、妹を甘やかに放牧してはいるが、だからと言ってそれに引き摺られることはなかった。

──────

 試食会が恙無く(?)終わり、江様が私を伴って部屋を出る。

「愛芳が、すまんな」

 若干疲れた顔で、江様が微笑んだ。
 この方のこんな顔は初めて見る。いつも飄々としている宰相殿下も、身内には弱いのかもしれない。

「はあ、いえ」
「気立てが悪いわけではないのだが、兄上が甘やかすものだからどうにも気儘でいけない」

 驚きはしたが、本来、高貴な方というのはああいうものなのだろう。
 後宮を出ると、外はしとしとと細く長い雨が降り続いていた。

「もっと、こちらに寄るがいい」
「あ、ど、どうも……」

 江様が傘を広げると、私を隣に収めて歩き出す。

(相合傘なんて、落ち着かない……!)

「どうした?」

 江様は、可笑しそうに至近距離で私を見下ろしている。

「もっとこっちに寄れと言うのに。濡れるだろう」
「!」

 傘を持つのと反対の手で、肩を引き寄せられる。
 二人の間の距離が殆ど零になって、ドキッと鼓動が跳ねる。

「お、お戯れを……っ」
「戯れてなどいない。これから我が国の食料政策を相談する大事な相手に、風邪でも引かれたら困るからな」

 クスクスと江様が肩を揺らす。
 この人はこういうところがタチが悪い。

「……だが、飢饉対策として馬鈴薯の栽培を推奨することに、首尾よく兄上の許可が降りて幸いであった」

 雨が傘を濡らす小さな騒めきの中で、ふと、江様の声音が真剣になる。

「今日の結果としては重畳。其方の料理が功を奏した。礼を言うぞ」
「いえ……」

 今度は真摯に労われて、違う衝動に胸を締め付けられる。

(本当にタチが悪い……)

 そもそも、私が江様に昨今こうして頻繁に宮廷に呼ばれるようになったのは、飢饉対策のためであった。
 大華帝国は概ね平和ではあるが、地震や洪水、天候不順などで作物がとれなくなる飢饉はいつ襲ってくるともしれない。どんなに栽培技術が発達したところで、程度の差はあれ、約十年に一度は不作の年が訪れると我が鶴翼館がたびたび警告を発している。

「帰る前に、芦燕に見せておきたいものがある」

 門扉へ向かうのかと思えば、江様は広い宮殿内を迷わず奥へと進んでいく。
 分かっていたつもりではあったが、さすがは宮廷。建物の数は到底、手足の数では足りない。一体、この似たような赤い瓦屋根はどこまで続くのだろうか。
 外廷は、役所が揃った官たちの職場だ。普段は、江様や広様もここで政務を行う。今日、特別に後宮に呼ばれたのは、愛芳と呼ばれた公主様のためだったのだろう。

 少し冷たさを増した湿り気が、肌を優しく濡らしていく。

「ここだ」
「畑……ですか」

 晴れていれば日当たりの良さそうな一角に、柵に囲まれた広々とした畑が広がっている。
 育てられているのは麦に、蕎麦、稗、粟、大角豆(ささげ)……それに秋が旬の根菜、馬鈴薯に甘藷、南瓜たち。どれも主食たり得るものか、冷害に強い作物ばかりだった。

(宮殿内に畑があるとは知らなかったな)

「私が宰相に就任してから拡張したものだ」
「宰相殿下が、畑作り?」
「俺が耕すわけではないが」
「……」

(宰相なんて、戦と官吏同士の腹芸ばかり考えていると思っていたのに)

 飢饉の対策に適した作物の相談を受けた時も驚いたが、まさか自ら畑を作ってまで熱心に考えているとは思いもよらなかった。

「意外そうな顔をしているな」
「い、いえ……」
「宰相なんて、民草の膳夫のようなものだぞ。戦の時なぞ、兵糧のことばかり考えている」

 どこか遠い目をして、江様は膨らみつつある麦の穂をそっと撫でた。

「ここで、馬鈴薯増産の試験栽培をしたい」
「申し分ないと思います」
「何か用意するものはあるか」
「……むしろ、環境が良すぎますね」

 さすが宮殿だけあって土は肥沃で、実に日当たりが良い。広さも十二分すぎるくらいだった。どこぞの池から、畔に組まれた木樋を通って潤沢な水が引き込まれるように設計されている。

「飢饉の対策であれば、痩せた土や好ましくない日当たり、水がない状況でもどこまで増やせるかを栽培した方が良いのでは?狭小な土地でどこまで増えるか、という点も試したいですね」

「なるほど……」

 言いながら、ふと、根菜類のあるあたりで足を止めた。

「なんだ……?」

(ここだけ、焦げている?)

「気付いたか」

 江様の目がすっと眇められる。

「実は、この畑が連日荒らされる事象が起きているのだ」

第二話は10月8日(木)に公開予定です

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