文学フリマ特別号・柳田知雪『隣人は推し』
11月23日開催予定の文学フリマに再び
Sugomori文芸誌として出店いたします!
そこで今月号も、文フリにて刊行する小説を無料公開でチラ見せ!
各作家が【隣人】をテーマに執筆いたします。
文芸誌には他にも、作家たちによる企画ものなど掲載予定です。
詳細はまた後日お知らせいたしますので、ぜひお楽しみに!
〇月×日七時ちょうど。今日も隣の部屋から目覚まし時計が鳴り響いた。
朝に弱い彼はアラームを止めて二度寝してしまったらしい。低血圧なの可愛い。しかし五分後、スヌーズを設定していたのか再びアラームが鳴る。偉い!
どうやら今度こそ起きられたらしい。とぼとぼと控えめな足音がして玄関の開く音がした。
今日は燃えるゴミの日なので、一昨日ファン感謝祭でもらったプレゼントの包装用紙たちを捨てにいくに違いない。ゴミ袋の中には、私が彼にあげた包装紙も詰められているはずだ。捨てたものとは言え、私が買ったものならば回収してもいいのではないだろうか?
「……いや、さすがに犯罪だよ。落ち着け、私」
長く息を吐きだしながら、衝動のまま書き込んでいた日記帳から窓へと視線を移す。がさごそと収集所でゴミ袋の擦れる音がして、昨夜、彼が自宅配信の時と同様、紺色のスウェットを着ているのでは、と想像を膨らませた。
このマンションに私が引っ越してきたのは一ヵ月前。私の推し──連城乃維(れんじょう のい)くんが隣に住んでいるのは偶然ではない。某有名私立大学を卒業している彼なので頭は悪くないはずなのだが、時折お茶目というか抜けているところがあるのだ。
乃維くんはインステのアカウントを持っていて、新しい服や家具を買うとよく写真をアップしている。彼なりに映えるように家の中で試行錯誤しているのか、毎度背景が変わっていた。そのため、複数枚の写真の背景から家の間取りを把握できてしまったのである。
男性らしいシンプルなインテリアと、親近感を覚える六畳の1K。そんなことが分かるだけで良かった。良かったはずなのだが、インステでの動画配信中に一度選挙カーの音が入ってしまったことがあった。おかげで彼の住んでる区が特定されるも、良識的なファンたちはそっと箝口令を敷いたのだ。
もちろん、私も口外はしていない。ただ個人的に間取りや投稿の時間と写真から分かる部屋への日の差し方で想定される建物の向き、そしてインタビュー記事などの端々から拾える情報からついに、彼の住むマンションまで辿り着いてしまった。
世間一般に言えば、もう立派なネットストーキングという行為であることは分かっている。しかし、つい乃維くんのことばかり考えていると、どんな生活をしているのか、オフは何してるんだろう、など妄想を膨らませる時にそういうディティールが物凄く私を捗らせてくれるのでやめられなかった。
通勤中に物件情報を毎日見ていたのも、その延長線である。とある日、仕事で疲れて帰っていると、ちょうど乃維くんの隣が空き家になることを知った。ほぼ無意識に、即入居の連絡を入れてしまったのは仕方のないことだと許してほしい。若干通勤時間は増えることになったが、そこは常に推しを感じられる環境を得たことに対する代償として甘んじて受け入れよう。
とはいえ、さすがにゴミ捨てに行くタイミングなどに合わせて挨拶するほどの勇気はない。それだけは越えてはいけない一線のはずだ。いちファンとして。
彼にはあくまで偶像でいてほしい。たとえ、どこぞのアイドルくずれと結婚しようと、それはそれで構わない。が、美しい嘘というベールで生々しさを覆い隠して、みんなの乃維くんのままでいてほしい。
つまり、まさに今この瞬間、マンションという壁に隔たれ、かすかに乃維くんが立てる音で妄想を蔓延らせるくらいが適正距離なのだ。
「そのはず、だったのに……」
テーブルの上で、一際存在感を放つ封筒を見下ろす。シンプルな白い封筒の宛先は『猪城蓮(いのしろ れん)』。乃維くんの本名である。
郵便受けはマンションのオートロック扉の前にあるため、住人のすべての郵便受けがそこに集結している。そのため、部屋番号を間違えたのか私のポストに隣人である乃維くん宛ての手紙が投函されてしまったらしい。
そうとは気付かず、こうして持ち帰ってしまった。印字された宛名を見た瞬間、自分の指紋がついてしまったことに慄きすぎて封筒を取り落とした。ハンカチでそっと拾い上げて、今はテーブルの上に置いたままだ。
普通に考えるなら、彼のポストに何事もなかったかのように戻せばいい。そうできないのは、ちょっとだけ……本当にちょっとだけ、中身が気になっているからだ。
送り主の書かれていない、宛名に推しの本名だけが書かれた封筒。控えめな大きさの宛名は、気付かないうちに開けちゃいました。と言えば誤魔化せるような気もする。だが、そのためには直接開けてしまった旨を、彼に謝罪しなければならない。
「いや、ダメだろ……! さすがにアウト!」
ただ、気になったのは封筒を持ち上げた時に感じた紙以外の重さだろうか。さらに言えば、郵便局で何日に受け取った、と分かるように捺されるはずの印鑑もない。
例えば、自分のように彼の家を特定したファンが直接彼に封筒を送っていたとしたら? 持ち上げた時の重さの正体が、もし相手をケガさせる刃物だったら? あれだけファンに誠実な乃維くんに限ってアンチがいるとは思えない。いやでも万が一、億が一ということもありえるのだろうか。
「これは、乃維くんを守るための、緊急手段……!」
自分に都合のいい御託を並べ、ぴりぴりと糊の甘い封を開いていく。幸いカッターの刃などはなかったが、するんと家の鍵が落ちてきた。不思議に思いつつも、続けて取り出した紙を開く。
『やっぱり、見ましたね?』
それだけの文字に思わず、ひゅっと喉が鳴る。少し角の丸い文字は、間違いなく乃維くんの文字だった。そして、その文章から察するに私のポストにこの封筒が入れられたのは間違いではなく、故意……なのでは?
ものすごく自惚れた推測を立てるなら、この封筒は乃維くんが私に送ったもの、ということになる。できるだけ彼に存在がバレないように生きてきたつもりだったが、どういうわけかストーカーとして認知されてしまっていたらしい。
「はぁぁぁ……頭の良い乃維くん、好き……」
いや、今はそこじゃない。
この手紙を書いたのが乃維くんだとすれば、一緒に入っていた鍵は乃維くんが入れたということになる。まさかとは思うが、ストーカー相手に自宅の合鍵を送ってきたのだろうか。
「誘われてる……?」
直接対決でもしようというのか。
今後一切近付くな、と引導を渡されてしまうかもしれない。何なら家に入った瞬間、待ち伏せていた警察官のお縄になるのかも。
でも、乃維くんの一人暮らしの部屋……見たくない?
そんな悪魔の囁きが耳の中でこだまする。画像越しに雰囲気は分かっているし、何ならほぼ同じ間取りで生活しているから動線まで把握している。それでも、この鍵に導かれた先に濃縮された彼の生活臭が待ち構えているのかと思うと、その乃維くん臭を浴びてみたくはある。
「よし、自首しよう」
そもそも、乃維くんは人生なのだ。ここで彼に引導を渡されるなら、それはそれで潔く散ろうではないか。あ、でも、ヤバイファンがいる人として乃維くんが全国放映されるのはちょっと嫌かも。
頭の片隅でそんなことを考えている間にも、手は隣の家の扉に鍵を差し込んでいた。施錠された扉に、ちゃんと鍵を閉められるの偉い、と内なる自分は乃維くんへの賞賛を忘れない。
心臓は肋骨を突き破りそうな勢いで跳ね続け、ドアノブを引く扉は自分の家と同じはずなのにひどく重い気がした。じりじりと中の光景が目の前に広がっていき、そしてふわりと花の香りが漂ってくる。
「え……」
なぜか廊下の両端を彩るように庭園のごとく深紅のバラが並んでいた。乃維くんは特にバラ愛好家、というわけではない。想像と違う家の中の光景に、恐る恐る足を踏み入れる。そこで回れ右をしなかったのは、乃維くんが住んでいるはずなのに乃維くんらしくない様相の真相を確かめたい一心だった。
廊下を進み、その突き当りのリビングへ続く扉を開く。
「なに、これ……」
リビングはさらに少女漫画のごとくバラが散っていた。その一角を形成していたバラの塊がふわりと浮かび、その向こうから親の顔より見た乃維くんの美しい顔が現れる。
「俺と、結婚してください!」
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