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ペーパー・ムーン【♯1】

初恋がいつだったのか、はっきりとしない。現在大学4年生の僕は、過去に告白されて3人の女性と交際をした。それなりに楽しかったし、好きだと言われれば嬉しかったけれど、正直僕には“恋愛感情”というものが良くわからなかった。わからないなりに彼女を楽しませたり喜ばせようとしてみたが、皆同じ事を言って僕の元を去っていった。

「私のこと好きじゃないんでしょ?」

好きだと思っていたし、でも友達とどう違うのかと言われればうまく説明できない。男女がする色んなことも、興味がないと言えば嘘になるが、同年代の男子に比べると関心は薄い方だと思う。別にしたくない訳じゃないけどしなくてもいい。一緒に出かけたり話したりして楽しければ良いじゃないかと思うが、彼女達はいつまでも先に進もうとしないのは僕に愛されていないからだと受け止めてしまうようだった。今はLGBTとかアセクシャルなんて言葉もよく聞くし実際友達の中にもいるが、僕が当てはまるかというとそれも違う気がする。

僕には他に興味があるものが沢山あった。それを“恋愛”が超えて来ないのだ。告白されれば嬉しいし、最初は浮かれたりもするのだけどすぐに元々自分の好きなものの方に夢中になって忘れてしまう。

特に好きなのは音楽だ。僕が子供の頃から、父さんは家にいる時や車の中で必ず音楽をかけている人で、テレビが付いているのは朝と夜のニュースの時間だけだった。だから学校で流行りのテレビ番組の話題について行けなかったが、僕は全然平気だった。家で父さんと聴く国内外のロックミュージックが大好きだった。

父さんは公務員で外では堅い人だと思われがちだけど、全然違った。マイペースではあったが僕には優しく、音楽や映画、車など父さんの趣味の物は全部教えてくれた。僕達はいつも一緒だった。

母さんは穏やかであまり怒らない人だったが、いつもそんな僕達に困っている様子だった。父さんに似てマイペースな僕は小学校高学年頃に友達にからかわれることも増えていた。僕はあまり気にしてなかったけど母さんはそうもいかないみたいだった。幼なじみの友達が皆中学受験をすると言う中、僕はそれを拒否し、塾にも行かなかった。成績はいつもそれなりに良かったし、僕に必要な事は全て父さんが教えてくれた。

子供には子供のコミュニティがあるように、母さんたちにもそれがあるのだとわかったのはそれなりに成長をしてからだった。幼なじみとは別の中学へ行き、高校受験を控えた頃、母さんは突然居なくなってしまった。幼なじみの友達のお母さんの中で気性の激しい人がいた。僕をからかっていたのもそこの子だけど僕らは小学校卒業前に和解していた。しかし母さん達はそうではなかったみたいなのだ。中学が別とはいえ近所に住むその人に、会う度にチクチクと嫌味を言われていたらしい。僕が中学受験をしなかった事、塾に通わなかった事、中学でバンドを始めた事など、それは5年程続いたのだという。その家のおじさんとおばさんは喧嘩が絶えなかったらしいから、恐らく家庭でのストレスのはけ口にされていたんだろう。しかし、母さんは我慢し続けた。僕や父さんにひと言も愚痴もこぼさず、相談もせず、ひとりで我慢して、ひとりで逃げてしまった。これらの出来事を置き手紙に記して。

父さんは自分を責めていたがそれは僕も同じだった。自分の振る舞いが母にそんな風に影響しているなんて思っていなかったのだ。だって僕がどんなふうに生きようが、その家の家族には関係ないじゃないか。母さんは被害者だけど、そんなに追い詰められる前に話してくれれば僕が直接話しに行ったのにと、怒りの矛先が母さんに向かってしまいそうな時もあった。でも、母さんが父さんや僕に話せなかったのは僕たちのせいかもしれない。僕はいつも父さんにべったりで相談があれば必ず父さんにしていたし、母さんに甘えた記憶はあまりなかった。そんな僕らを母さんはいつも少し離れたところから見ていた。学校行事も必ず来てくれるものの、いつも反応が薄くて何を考えているのかわからない母さんの事がちょっと苦手でもあった。

母さんがいなくなり、男手1つで大学まで入れてくれた父さんへの親孝行になればと、教師を目指すことにした。父さんは公務員になり教育委員会に長いこといた後、今は中学校の校長をしている。思春期の難しい時期の生徒たちにもそこそこ人気の校長らしい。父さんの顔を潰さないようにと必死で勉強してストレートで教員採用試験にも合格していて、僕は春から小学校の教師になる。

小学校の教師と言えば、1人印象深い人がいる。僕が小学校5,6年の時の担任だった女の先生だ。そのひとの第一印象は「無理してんな〜」だった。積極的に皆に声を掛けてくれる先生ではあったけど、いつも顔が引きつっていた。先生としては若い方で人気はあったと思うけど、僕はあまり好きになれなかった。

5年生の終わり頃にある感染症が流行り、世界はパニックに陥った。10年経った今では薬も開発され、その頃ほどの脅威の病では無くなったが、当時は未知の感染症と人々に恐れられていた。海外で流行が始まったその感染症を日本で有名にしたのがあるロックバンドのライブ会場での集団感染だった。僕からすれば運が悪かったとしか思えないのだが、たまたまそこにその担任がいたらしく、学校でも大騒ぎとなった。

幸い感染して居なかったものの、学校の先生や児童や親たちからさんざんバッシングを受けたのだろう。みるみる衰弱していき、最終的に僕らの卒業を見届けて、そのまま教師を辞めてしまった。

父さんの仕事の関係でその事を先に知ってしまった僕は、クラスの皆に呼びかけて最後に担任に向けて歌を贈った。担任のことは苦手だったが、その担任が聴きに行っていたアーティストを僕も好きだったのだ。辛い思いをした事で、アーティストや音楽の事を嫌いにならないで欲しかった。中学になったらバンドを組むから聴きに来てと言ったが、当然のように担任は来てはくれなかった。

母さんが出て行ったあと、そういえばここ最近の母さんの表情があの時の担任に似ていたな、と思った。心が壊れていく人を僕は身近で見て知っていたのに、まさか自分の母さんがそうなるなんて思ってもいなかった。母さんは“母さん”という生き物で、これから先もずっと母さんだと疑いもしなかったのだ。ひとりの人間として傷ついたり悩んだりしているのだと、今なら少しは分かるのに。

父さんへの孝行以外にも教師を目指す理由がある。女の人の気持ちはよくわからないが、教師になれば少しはあの時の担任の気持ちがわかるかもしれないと思った。担任の気持ちがわかれば母さんの気持ちもわかるかもしれない。今更わかったところでどうすることもできないが、知る努力をせずに生きていきたくなかったのだ。

ヒーロー気取りだと揶揄されるかもしれないが、僕が教師になるのは、僕が救えなかった先生や母さんへの贖罪なのかもしれない。

           【♯2】へ続く

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この作品は過去作『YEEL』の続編です。
今作だけでも楽しめる様に書きますが、ご興味があればぜひ。冬は春に繋がるという想いを込めました。


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