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ペーパー・ムーン【♯2】


翔から電話があったのは昨夜の事だった。翔は中学と高校の同級生で、初めて一緒にバンドを組んだ仲間だ。僕はストレートで教師になる事を決めて大学に入ったので高校卒業と共に解散したのだが、翔が進んだ音楽の専門学校での新しいバンドに度々応援で呼ばれていた。それも翔の就職を期に解散となり、翔は音楽系の企業の勤め先の近くで一人暮らしをしている。


中高では僕と一緒に、近所の進学校のママさん達から「バンドなんか組んで」と言われていた翔だが、誰もが知る大手の音楽系企業に就職した途端にチヤホヤされ出し、「まったく、ゲンキンなもんだよなぁ」と言いながらもさほど気にする様子もなく、笑顔で上手にかわしているかっこいい奴だ。

「正月に2日間だけ休みを取ったから初詣でも行こうぜ。」という誘いだった。せっかく実家に帰ってるならゆっくりすればいいと思うだが、わざわざ僕に声を掛けてくれるのは非常に翔らしくて嬉しかった。冬休み中に卒論を仕上げてしまいたかったが、1日位良いだろうと、会うことにした。

翔と初詣に行くのは4年ぶりだ。中学2年から高校卒業するまでは毎年恒例になっていた。割ときちっと色々決めていきたい僕と、その場の雰囲気で臨機応変に対応出来る翔は正反対なのになぜか気が合って、バンドを組んでいる間も1度も喧嘩をしたことがない。それは何となく気まずい雰囲気になりそうな時、さり気なく翔が折れたり譲ったりしてくれていたのだと、翔と離れてから痛い程分かった。なぜ僕は大切な事に気付くのがいつだって遅いのだろう。

「おう。」
「あけおめ。」
「あけおめ。久しぶり。」

昔から行っていた神社の前で待ち合わせた。今日は昨日の元旦程じゃないにしても混み合っていて、お参りまで2、30分は並ぶ覚悟が必要そうだった。

 並んでいる間にお互いの近況を話した。たまに連絡は取り合ってるから、翔の最近の仕事の事とか僕の卒業までの過ごし方とかなんかだ。そこから何となく色んな思い出話とかも混ぜながらお参りが済むと、中学の時から初詣の後に必ず行っていた蕎麦屋で昼食を取ることにした。

「またさ、バンドやろうと思うんだ。」

蕎麦を啜りながら、あたかも普通の事かのように翔が言った。

「おお、え、仕事は?」
「もちろんやりながら。まあ、趣味で?出れるライブとかには出てさ。SNSとかにアップしてもいいしな。仕事だけしてると息詰まるんだよなぁ。嫌いじゃないから続けたいとは思ってるけど、続けるためにも息抜きが必要かなって。」
「凄いな。会社はそういうの平気なんだ?」
「まぁ、一応音楽の会社だし、趣味でやる分には緩いみたい。先輩でもやってる人いるし。」

翔は昔からエネルギーに溢れた奴だった。高校時代に僕らとバンドをしながらバイトにも励み、専門学校の入学金を貯めて両親を説得し、在学中に学費を返して今の会社に就職した。大学進学と共に音楽を辞めた僕とは、音楽に対する熱意が比ではなかった。絶対に敵わないこの男を心から尊敬していた。

「蒼もやらない?」

コンビニ行かない?みたいな感じで軽く言う。

「え、何言ってんだよ、春から教師になるって知ってるだろ。」
「知ってるけど、教師だって趣味を持ったって良いじゃん。」
「無理だよ。僕はそんなに器用じゃないし、翔は仕事に慣れて来た頃かもしれないけど、僕はこれから始まるんだ。」
「そうだ…前から言おうかと思ってたんだけどさ。蒼、うちの会社で働くのはどう?」
「え?」
「蒼が教師になるために頑張ってきたのは知ってるよ。ストレートで採用試験にも合格して、親父さん孝行したのもわかる。すげえよ。おふくろさんへの想いもわかるけどさ…。蒼の気持ちは?あんなに好きだった音楽をやめて、これからもやらないつもりなのか?蒼が教師っていう仕事をどうしてもやりたいなら止めないけど…。もっと自分の為に生きても良いと思うんだよ。」

確かに、翔はそうしてきた。僕は大学受験の時に教師になる事を決めてからその目標に向けて着実に努力してきたけど、それが『やりたい事』だったかなんて考えたこともなかった。でも今更教師になることを辞めるわけにはいかないじゃないか。

「…ありがとう。僕も翔と働けたら楽しいだろうなって思うよ。バンドもやれたら良いけど…しばらくは仕事の事で手一杯だと思うんだ。」
「そっか…。そうだよな。まあでもさ、また応援とかで声かけるかもしれないからギターの腕は磨いておけよ。休みの日にチョロチョロっと弾くこと位は出来るだろ。」

実際、息抜きにギターを触ることは良くあった。好きなアーティストの曲や、翔と組んでいたときの曲をよく弾いている。ギターに触ると時間を忘れてしまうから、30分とか1時間とか決めて、必ず終わりのタイマーをかけることにしていた。楽器というのはスポーツと一緒で、1日でも触らないとすぐに衰える。だからたまにしか弾かなくなって、人前で演奏するにはかなり時間が必要だと分かっているから、翔の誘いは受けられなかった。

何事もなかったかのようにまた雑談が始まり、蕎麦を食べ終わると同時に仕事の電話がかかってきて、「なんだよ~正月だぜ?」と言いながらも仕方なく僕らは解散することにした。

「そうだ、ウィルキンスの解散ライブのチケットいる?蒼好きだったろ?」

ウィルキンスは、僕が小学校からずっと憧れているロックバンドだ。ここ最近は個々の活動がメインになっていて、遂に2月に正式に解散するらしい。最後のライブのチケットは応募していたけど当たらなかった。

「でも…。」

喉から手が出るほど欲しいチケットだったが、さっき翔の誘いを断った手前貰うわけにはいかない。そんな心中を察するように、僕のポケットにクシャッとチケットを押し込んで、「俺も仕事の関係でもらった物だから気にしないで。」と手をヒラヒラさせながら去って行った。

僕にないものを全部持っている翔に、ウィルキンスと同じくらい憧れている。でも僕は僕の選んだ道を悔いてはいない。ポケットに詰め込まれたチケットを見つめて「どうしよう…」と思わず呟いてしまったのは、あくまでこの2枚の使い道に対してだ。

            【♯3】へ続く

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