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本棚の珈琲豆


 高校時代、親元を離れて寮に入っていた。二年生からは学校近くの寮で自由なひとり部屋となるのだが、一年次の寮は四人部屋で、学校から少し離れた自然豊かな場所に建っていた。三階建ての建物で、一階のエントランス前には職員室があり、テレビや新聞の置いてあるロビーを抜けると食堂、その奥は大浴場。二階三階にそれぞれ十二部屋ほど、すべて四人部屋になっている。各階にはシャワー室と寮生それぞれのランドリーボックスと娯楽室。エントランスには寮生全員の名札がかかっていて、出かけるときは赤字にひっくり返し、帰ってきたら黒字に戻す。手紙や小包が届くと、そこには緑の札がかけられる。

 十五歳で親元を遠く離れ、知らない土地で始まった共同生活は毎日が冒険のようなものだった。ルームメイトの冷蔵庫からなんでも盗み食いするやつ、家に帰りたくてトイレで泣いてるやつ、放課後にものすごいスピードで自転車をこいで必ず一番風呂に入るやつ、初めてのお酒を飲み干して救急車で運ばれるやつ。部屋の外の廊下にいつも空になったネコ缶を出しているやつもいて、彼が自分で食べているのか、猫にあげているのかで夜通しの議論になったこともあった。毎週木曜日の夕食はカレーで、あらゆる洗濯物には寮母さんたちにより部屋番号と名前を書かれてしまう。お気に入りのTシャツに油性ペンで名前を書かれて以来、大事な服は自分で洗うようになった。

 寮の前には葡萄畑があり、後ろには大きな川が流れていた。毎朝の朝礼で点呼を終えて朝食をとったら、自転車にまたがって川沿いの土手を20分かけて学校へ通う。放課後、寮に戻るときには葡萄畑の農家さんが背中にタンクを背負って農薬のようなものを噴射していた。それを知ってか、寮生で誰ひとり葡萄をつまんだものはいない。ベランダに出れば、ここが遠くの山々にぐるりと囲まれており、盆地にいるのだということがよく分かった。


 各自の勉強机の隣には大きめの収納があり、そのすぐ横にロフトへの梯子がついていた。23時の消灯時間を過ぎると枕元のコンセント以外は使えなくなる。部屋の電気が落ちるとそれぞれにロフトに登ってカーテンを閉め、たったひとつ枕元のライトを灯し、ベッドの上で夜を過ごした。いろんな部屋の友人たちと本の貸し借りも頻繁に行われ、私が読書に夢中になったのもこの時期からだった。それからというもの、小さな明かりで本を読み続けたせいか急激に私の視力は落ち始め、眼鏡の生活が始まった。心配した母は、空いた時間にはベランダに出て、遠くの山々を眺めなさいと言った。私が山を眺めていると決まって煙草を吸いに来る友達がいた。

 二年生になり、ひとり部屋になると好きな時間まで起きていられる。それだけで嬉しかった。勉強もそこそこに、夜は良く本を読んで過ごした。友達と部屋の行き来はあったものの、実家に暮らす同世代の学生と比べるとひとりきりの時間が多かったように思う。机、ベッド、本棚、収納、そして小さいながらもキッチンのある部屋での暮らし。初めて自分で食器やカーテンを選んだことも、良く覚えている。



 寮生の出身地は本当に様々だった。国内だと北は北海道、南は沖縄まで。親が海外赴任中で、自分ひとりで来日して寮生活を送っている生徒も多かった。そういった寮生たちのほとんどは、出身地があだ名になっていて、ジャカルタ、ナイロビ、ロンドン、上海などなど、これらは全てクラスメートのあだ名だ。夏休みが終わると、それぞれに地元のお土産を配ったりする。上海にもらった乾燥梅干しはびっくりするほど酸っぱくて、もらった何人かはすぐに吐き出してしまい本気で怒られた。勉強の合間、上海は大切にその梅干しを舐めていた。育った場所の味をそれぞれに持っていたのだと思う。



 隣の部屋のナイロビから貰ったのは木彫りのヌーとケニアのコーヒーだった。彼の父親は自動車会社のエンジニアとして長くケニアに赴任しており、ナイロビも中学時代まではナイロビに住んでいた。広大なサバンナに住む動物たち、そこから望む万年雪の山脈、お手伝いさんがいっぱいの屋敷。そんな話を時々聞かせてくれた。私は喜んでその二つのお土産を受け取ったものの、当時コーヒーなどほとんど飲んだことがなく、粉砕されて袋に詰められた豆をどうしていいか分からなかった。それとなくコーヒーキャンディの香りがしたので、ひとかけらを口に入れてガリガリと噛んだが甘さなどはどこにもなく、すぐに吐き出した。だけど遠い異国のコーヒー豆のパッケージはとても綺麗で、私は封をして本棚の一番いい場所にそれを飾った。結局、高校を卒業して寮を出るまで、木彫りのヌーとコーヒー豆は本棚の一等地に陣取っていた。


 ナイロビは将来パリ・ダカールラリーに出るのが夢だといっていた。卒業してから一度も会っていないけれど、自分にとって最初のコーヒーは、味を知らないナイロビのコーヒーだ。タンザニアのキリマンジャロなどと並び、最高品質の豆を輩出しているケニア。コーヒー研究財団という世界で最初のコーヒー研究機関が作られるほどに、品質の高い豆を国をあげて作っているらしい。


 久しぶりに木彫りのヌーを探したが、どこにも見つからなかった。ナイロビが木彫りのヌーたちを従えて、お気に入りだったパジェロという車で広大なサバンナを走り回っていたら嬉しい。



【アフリカの夜】



まるい地球の裏側で

オレンジ色の太陽が

夜にぽたぽた落ちるころ

裸足で草を踏みながら

空のページをめくった女が

物語に飛び込んだ

ひとり静かに影を残して








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