見出し画像

赤ちゃんの鼓動と、働く自分

判定薬で陽性が出れば妊娠した、と思ってしまうけれど、実際は違うらしい。私が行っていた病院では、胎児の心拍が確認できて初めて“妊娠”確定。着床していても、それまでははっきり「おめでとう」を言われなかったし、母子手帳ももらいに行けなかった。

無事に心拍を確認したのが7月末のこと。ものすごく小さな身体が、わたしのなかで、とくんとくんと点滅していた。

いわゆる安定期と呼ばれるのは妊娠5ヶ月からで、周りへの報告はそれ以降がスタンダード。でも私は、一緒に仕事をしている主なメンバーには、3ヶ月頃から話していた。いつもと違う身体を抱えているからには、ちゃんと情報を開示して、ひとに迷惑をかける可能性を少なくしておきたい。そのためにまず、心構えをしてもらうだけでも違うと思った。ちなみに、迷惑をかけられるかもしれない仕事仲間たちは、みんなとっても祝福してくれた。

流産するかもしれない時期に発表することには、あまり抵抗がなかった気がする。何があるかわからないのは、いつだって同じだから。結局なにもトラブルはなかったけど、ただ運がよかっただけだと思ってる。妊娠期間中に何かしらで入院したり、安静などの制限が出るひと、肌感では6割くらいいます!

冬には『走るひと3』(私が副編集長を務める、イカした雑誌です)刊行も控えていたし、臨月まで続くレギュラーの案件もあったから、実際のところいつまでがっつり働けるかは私も周りも気になっていた。でも、どうなるかなんてわからない。産前産後も休まずに働く、ということだけは心に決めていたけれど、そのためにどんな手を打てばいいのかはまだ思いついていなかった。このころは本当に、仕事のことばっかり考えていた気がする。

妊娠中、子どもが生まれてからのことを想像するとき、軸にあるのはいつも自分だった。子どもを育てながら、どんな仕事を、どうやってするのかな。あるいは、子どもを育てながら、彼とどんな時間を過ごすのかな。子どもを育てるわたしは、どんなかんじかな。

どんな子どもが生まれるんだろう、とか、子育てって大変なのかな、みたいなことはほとんど考えていなかった。赤ちゃんのいる生活なんて想像がつかなかったから、もう、生まれてからのお楽しみ。子どもも入れた未来のことは、子どもの顔を見てから考えよう。いまはとりあえず、できるだけの準備や土台作りを着実にしておこう、という気持ち。

“子どもを育てる自分”は知らない人間のようだったけれど、“子どもを育てながら〇〇している自分”は親近感がわいたし、ちゃんと愛せると思った。

Photo: たった5日間あいただけで、倍くらいに育った赤ちゃん。真ん中あたりにある心臓が点滅して、命を知らせてくれた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?