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"子どもを産んでも全部諦めない"と決めた

妊娠・出産・子育てには、なんだかネガティブな情報が目立つ。待機児童やベビーカーのマナーみたいな社会的問題はもちろん、夜泣きでまったく眠れないとか、発熱した子どものお迎えばかりで同僚の視線が痛いとか、プレイマットで部屋が一気にダサくなるとか。

私がいるフリーランスの世界は、とりわけそのネガティブ傾向が強い。スタンダードな問題にくわえて、仕事がどうなるかわからないから。同世代でばりばり働きつつ、赤子を育ててるひとなんて全然いない(ように見える)。ほしいポジティブワードがほとんど見当たらなくて、げんなりした時期もあった。

だから、フリーのライターで食べている私が出産に際して悩んでいたこと、つらかったこと、乗り越えたこと。身体や心の変化。産まれてから、どんなふうに仕事をしているか。いま、なにを考えているか。そんなことを書きたい。

1年前、2年前のわたしが読んだら少しは前向きになれる話を、いまの私は書ける。そして、同じように悩んでいるひとたちに届いたら、すごくうれしいです。

そんなプロローグ代わりに、まずは私の妊娠経緯を。

ハタチのときからお付き合いしていた彼と結婚して丸2年。わたしは気づけば28歳になっていて、いまの暮らしは最高に心地よいけれど、子どもを産むなら30歳くらいかな、と、ぼんやり考えていた。

体力がないから、早く産むに越したことはない。婦人系の病気にかかったことがあるから、妊娠するまでに時間がかかるかもしれない。そもそも子どものいない人生も素敵だと思っているから、年齢的に妊娠しにくくなった体ではきっと、頑張りがきかない。

「いつか子どもを産みたい」という前提に立てば、そろそろGOするべき理由はいくらでも思いついた。けれど、そのどれもが決め手にはならなくて、しっかり避妊を続けたまま、楽しい2人暮らしに時が過ぎていく。

でも、その楽しさは、私たちが何かしらの方向転換をしない限りずっと続く気がした。つまり「自分たちのことはそろそろ気が済んだから、腹をくくって子どもを持とう」と思う日は、きっと一生来ない。なのに、そんな日を待ち続けて、タイムアップで選択肢をなくすのは、いや。

子どもを産んで育てることは、きっとめちゃくちゃ素敵な経験なんだろうと思う。でも私には、そのすばらしさと引き替えに、多くを諦めることにも見えていた。子育ては自分を犠牲にすることだって、多かれ少なかれ、みんな言っているような気がする。子どもを産んだらできなくなると言われていること。手放さなくてはいけない、手放すべきだと言われていることが、山のようにあった。

フリーランスには産休や育休はない。休めば休んだぶんだけ収入が減るし、ポジションを失う。「子どもを産んだら、仕事の優先順位は自然に下がるから、悩まなくても大丈夫」なんて言葉は求めてない。子どもと仕事は引き替えなのかな。

仕事が一番大きな懸念だったけれど、それ以外にもたくさん不安やためらいがあった。子どもを産んだら、これまで大切にしてきた"自分自身"のさまざまな要素が、どんどん失われていくんじゃないか。

そんなことをぐるぐる考えていて、踏み切ることも、開き直ることもできずにいたある日。ふと、ひらめいた。"腹をくくって子どもを持つ" のではなくて、"子どもを持っても諦めないと、腹をくくる"。

未知の不安を想像してばかりいてもしょうがない。仕事も、自分自身も手放したくないのなら、腹をくくろう。子どもができても、なんとかして仕事を続ける。なんとかして、たとえば好きな服を着る。愛すべき時間をつくる。

やりたいことは全部なんとかするって決めたら、現時点でなんにも解決していないのに、不思議と気が楽になった。いろんな先入観をとっぱらって、わたしと彼の子育てをつくっていけばいい。そこまで考えて避妊をやめた2ヶ月後、妊娠がわかったのでした。

たくさん考えて、本当によかったと思う。納得して進んだから、いまも人生はとっても楽しいし、子どもはとってもかわいい。

Photo by Shun(TOTALFAT)

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