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バンドには「何かを変える」力がある

今更ながら彼らについて語ることなど、多くのファンや古参からするとつまらないことなのかもしれない。でもこうしてnoteで語る機会があるなら語ってみましょう!!そう私の人生を!!とまで言っていいんじゃないか、変えるきっかけを作った「Hi-STANDARD」について。
https://hi-standard.jp/

自分は世代的には第一世代ではなくて、多分第二世代に入るんじゃないかな。これは私が勝手に決めてることなので、聞き流していただけると嬉しいです。小学校時代はとにかく「ドラマのタイアップ」とか「アニメの主題歌」などなど、メディアで耳にしてCD屋さんに行って買う。そんな音楽との出会いから始まったのだ。兄が二人いて、長男は長渕剛、次男はX JAPAN、そして私はごちゃ混ぜJPOP好きとまとまりがない兄弟だこと。

長渕剛の曲はもうなんていいうか「漢」っていう感じの印象で、当時の私にとってはすごい大人の音楽。X JAPAN(当時はまだX )はとにかく賑やか!!じゃない曲もありますがそんな印象。CDTV、Mステなどで華やかに歌うTKファミリーに魅了されていたのもこの頃だ。まずロックバンドを聴いている友達が周りにいなかった。それもあって小学生の頃はそっち系の音楽には見向きもしなかったし、影響もされなかったのだろう。ほら、子供って周りに合わせて安心するじゃん。だからみんなが聴いてない曲を聴くなんて、勇気がとってもいることだったんですね。私にとっては。

中学生になり次男が聞いていてた「GLAY」に興味を持ち始める。次男はヘビメタなどの洋楽もよく聴いていた。メガデス、メタリカ、ハロウィーンなどなど、車の中で流していたが、さっぱりわからなかった・・・。当時は!!ですよ。お小遣いもたくさんあるわけじゃないので、兄貴からCDを借りるのがほとんど。当時では最先端のMDに落とし込み、聴きながら通学するのがいけてるスタイルだった。ロックバンドをちゃんと聴き始めたのはこれが初めてで、HISASHIのソロパートを何度リピートして聴いたろうか。好きな曲は何度でもリピートした。特に「BELOVED」は洗脳されてるんじゃないか位に聴きまくった。それだけ当時の自分にとっては「スッと」心を掴まれた音楽であり、今でもSpotifyで聴くと思い出が蘇ってくる。人気の最中に発売された「REVIEW」は約480万枚の売り上げなんだから、教室で持ってる人がいるわいるわ。ミリオンすること自体が今の時代では珍しいんだから、当時はいかにCDが売れてたか象徴する数字。んなこたぁ言われなくてもわかってるよ!!という声が聞こえますが・・・。

おい、ハイスタの話はどうなった?
ちょっとはお付き合いくださいな、私の思い出話にさ。

ということでお待たせしました!!!!!
私とハイスタが出会った高校生のお話です。
高校生の時は「L'Arc〜en〜Ciel」にどハマりしていました。中学の時はGLAY、ラルク、ジュディマリ、ほぼこれのループだった記憶。仲の良かった友達とは違う高校だったので、教室ではほぼ知らない人ばかりでした。人見知りの私は自分から声をかけるだなんて苦行はできず。それでもとてもいい人たちに恵まれて、向こうから声をかけてくれる人たちで、入学早々楽しい高校生活になりそうだと感じました。

名前の順の席で私の前に座っていた「Sくん」が突然話しかけてきました。
Sくん、「ねえねえ、音楽って何聴く?」
私、「今はラルクが好きかな」
Sくん、「ZEEBRAって知ってる?」
私、「名前だけは・・・」
Sくん、「めっちゃかっこいいから聴いてみてよ!!!」

という会話がなされて、すぐにZEEBRAのCDをカバンから出して貸してくれました。HIPHOPの人だよな・・・くらいの認識で、聴いたこともなかったのでワクワクしながら家に帰って聴きました。すごい人!!!ということを前提に言わせてください。当時の私には全くささらなくて。ゴリゴリのHIPHOPがちょっと狂気を感じるほどで、Sくんには申し訳なさそうに返したのを覚えている。Sくん的にはダメもと的な感じだったらしく、別のCDも用意していたようだ。てか、今思うにSくんは何故にあそこまで熱心に、音楽を私に共有したかったのかは今となっては聞くすべはない。が、感謝の気持ちでは一杯なのは確かなことだ。

んで話は戻って、
ここで出てくる!!あのバンドが!!
「じゃあさ、バンドなら聴く?ハイスタって知ってる?Hi-STANDARD。」私は洋服が好きだったというのもあって「HIGH  STANDARD」という服屋のことを言ってるのかと勘違いしていた。とりあえずバンドのハイスタはどこのどちらさんですか??レベルの全くの初耳だった。Sくんがカバンから出したのはあの名盤、どれも名盤ですが「GROWING  UP」だった。発売されたのが96年だからまだGLAYとかを熱心に聴いていた時代だ。ZEEBRAの時の自分の反応を覚えていたからか、足取りはそこまで軽いものではなかった。でもそれはコンポの前に座る数分前までの自分。

「新しい自分、こんにちは!!」


一曲目は「Maximum Overdrive」
激しいギターの音なんだけど、すごく耳に馴染むいいメロディ。一曲目のリフから心奪われましたね。約20分弱とJ-POPに比べたらかなり短いアルバムだけど、ボーナストラック入れて16曲。またボーナストラックの入れ方が、もう面白いのかすごいのかびっくりしました。このアルバムで最高に好きな曲が「In The Brightly Moon Light」だ。物語調の歌詞とタイトルの通り、月明かりの下でなんか聴きたくなるそんな一曲ですよね。

次の日、Sくんにお願いした。「ハイスタのCD持ってるやつ全部貸して欲しい!!」Sくんは自分が貸したCDにはまってくれたのが嬉しかったんだろうな、喜んで貸してくれた。とは言ってもそんなんCD出してなかったから、「LAST OF SUNNY DAY」と「ANGRY FIST」の2枚だった。それでも私は嬉しくて、何度も何度も聴きまくった。記憶力がよかったのか英語の歌詞を記憶して、授業中にノートによく書いていた。特に好きな歌詞が「Who’ll Be The Next」の一番最初の歌詞。(著作権云々がよくわからないので、歌詞を掲載するのはやめておきます。)この歌詞に何度背中を押されたかわかりませんよ。それだけ、少年の心を突き動かした歌詞なんです。

Hi-STANDARDを聴き始めて、周りの仲の良いバンドのCDを買い始め、どっぷりこの界隈に影響されていた高校1年の2学期以降。実際に見てみたいな、という気持ちもあったが田舎もんということと、チケットが買えない、買い方がよくわからないという言い訳で実際に見るのはもっと先のことになります。聴き始めて3年くらいかな、突然の活動休止を告げられた我々ファンは時が止まりましたよね。それでも他にはバンドがいっぱいいるんだけど、「ハイスタはハイスタ」にしかできない。代わりなんていないんですよね。だから大好きなバンドが止まるっていうことはファンにとっては一大事。そうじゃない人からしたら、そんな大袈裟な!!と思うかもしれませんが。これから先の活動再開に関することは、私が語る必要もないのでやめておきます。

〜最後に〜
よくアンチが健さんのギターを上手くない。とか、これでギターヒーローなんて(笑)みたいなのをよく見る。批判を恐れずにいうなら、ギター弾けない私がいうのもなんですが、上手いなんて思ったことないんですよね。世界にはすごいテクニックを持つギタリストがいる。その人たちの動画見た後で健さんのギタープレイを見ればなんとなくわかる。別に私に関しては「健さんが弾く」から聴くわけで、これが世界的な超絶技巧のギタリストがコピーして弾いたところで、何の興味も湧かないわけなんですよ。これってすごいと思いませんか。宗教的な話になりますが、そこまで人を惹きつけるおじさんたち。(もう25年以上経つからファンも演者も年を取るんです・・・)ディッキーズのパリッパリの新品短パンをわざわざクシャクシャにして、汚れてないのに洗濯して柔らかくするあの苦労。バンズのオールドスクールにピザオブデスTシャツ、特に夏は8割この格好でしたよね。ファンの人そうでしたよね?残りの2割は好きなブランドがあったでそれを着ていました。

全て青春時代の話でなくて、今も続く青春時代なんですよね。

大人になりたくないけど、それにはどうしても抗いきれない自分。でもハイスタを聴く自分はいつまでも当時の気持ちのままでいられる。忘れさせないでいてくれる、と言った方がいいかもしれない。こんな出会いもしかしたら2度とないかもしれないですよ。それだけSくんが私にくれたきっかけは、とてつもなく大きくて、彼との出会いがなければ今はないんだろうなと思う日々です。

#思い出の曲


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