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精神障害の症状で困っている人へ

スガカオルです。

精神障害の症状はTPOによっては、迷惑がられることはあるあるだと思います。
私自身、親に対して強い怒りが出てしまって口論になってしまい、関係が悪化してしまったりします。

親には解離の症状を見せないようにしています。
なぜなら困るから。

でも、友人にそれを言うと「見せてもいいんじゃない?」なんて返ってきました。

今日は本人も家族も困る症状をどう捉えれば良いのか、考えてみたいと思います。

精神障害者と健常者の壁

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精神障害の症状は健常者には理解が難しいことは事実です。
家族でさえ、受け入れることが難しいのを肌で感じています。

例えばリストカットをしていたとき、その傷を発見した担任の先生は血眼で「どうしたのそれの傷は!?」と迫ってきて、理由を聞き出すために私の腕をつかみながら保健室へ連れていきました。
「なんでこんなことをしたの?!」と担任は必死でわたしが抱える悩みを聞き出そうと問い詰めました。

その時の担任は自分のクラスの生徒がリストカットをしていることを受けれられなかったのだと思いました。
当たり前なんです、それでいいんです。

わたしの親は精神障害、というか精神疾患は治るものと、未だに思っています。

こないだ、父と口論になったのですが、それは病気を治せない主治医のことを「ヤブ医者」呼ばわりしたからからでした。
信頼している主治医でしたし、病気を治るものであると幻想を抱いていたのです。

受け入れるどころか、理解すらないのがわたしの親です。

残念ながら精神障害という病気は完全には治りません。
完治はない。

というのがわたしの持論です。


回復し症状を使わなくても大丈夫になることはあるでしょう。
症状とうまく付き合って、生活に支障がでないようになることもあるでしょう。

しかし、治ることは無い、というのがわたしの考えで、再発ももちろんあると考えます。

糖尿病のようなものかもしれません。
コントロールしながら上手に付き合っていくもの。

しかし、親でさえ、親だからこそ、完治を願うのかもしれません。

健常者は精神障害者の症状を完全に理解することは難しいと考えます。
同じ病名でも違う症状を持っている精神障害者もたくさんいます。

同じ精神障害者でも他の疾患の症状を理解できないと思うことも今までたくさんありました。

健常者には精神障害の理解が難しく、社会生活の中で症状を奇異の眼差しで見られたという体験もしました。

それは家族も同じです。
理解は難しいです。
家族は病識を持っていないのがデフォルトです。

精神障害の子ども、あるいは配偶者のために家族自らが一生懸命勉強したとしても、理解は出来ても受け入れることが難しいのです。

受け入れることが難しいからこそ、衝突する。

明らかに精神障害者と健常者との間には壁があります。

わたしはそれでも良いと思っている節があるのです。

受け入れられなくてもいいよ

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精神障害者に対して、健常者の方々、特に家族は精神疾患の症状を受け入れられないことが多いと思います。

だって、大事な家族だから受け入れることが難しいのです。

いくら頑張っても、理解をしようと努力したところで、本人の症状が止まることはありません。

その時の状況や状態、元々持っている体質や素質や育った環境、経験など、様々な理由から病気を発症し、症状を出してしまいます。


本人もなりたくてなったわけでなく、出来ることなら健常者になりたいし、発症する前になれればと何度も願っては自分を責めてきたのです。

しかし、それは叶わぬことです。

本人にも、まずそこを受け入れるのが難しい。

だから家族も友人や周りの人、街を歩く他人は受け入れられなくても当たり前なんです。


家族の人は受け入れなくていいんじゃない?って思います。
だって、よく分からんことするからさ。
意味不明なことするもん(笑)

無理に受け入れようとか考えなくてもいいんじゃないかな?と思うのです。

本人の役割と周りができること

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本人は自分の疾患を受け入れ、症状を出さない努力が必要と、わたしは思います。
疾患特性を学び、症状の改善やリカバリーの努力、症状としない努力、生活を改善していき、自分自身を楽にして周りも楽にしていくために「出来ることをやる」必要性があります。

それが当事者、本人の役割だと思います。

では、周りの人はどうでしょうか?

特に1番困っている家族はどうすれば良いのでしょうか?


わたしの考えはこうです。

困っているなら1人で抱えないで、家族としてつらいと誰かに話して吐き出して欲しいです。


いまは家族会がありますし、家族としての相談するところもあります。

答えがすぐにでなくても、つらい気持ちを吐き出して欲しいし、仲間を作って欲しいと思います。

誰かと共有して、つらさを少しでも持ってもらって欲しいです。

症状を良くすることは家族の役割ではありません。
家族は家族として自分と家族を守って欲しいと思います。

それは否認することでもいいのです。
逃げることでもいいのです。

突き放すことでもいいのです。
もう面倒見切れないと言っていいのです。

そうすることで本人は変わらないといけないことに気が付きます。
やりたい放題だったことを振り返ります。

先ほど書いたように父とは口論の末、衝突しました。
今振り返るとわたしも一呼吸置けば良かったと反省しています。

わたしは父には吐き出す場所が必要だなと思っています。
支援機関が1番良いと思うのですが、プライドの塊の父にはハードルが高いと思うのです。

だから知り合いの飲み仲間や同じ娘を持つ兄、父の兄弟など、私を知っている父の近しい人とのつながりを持つ余裕を作って欲しいなと思います。

たまには「叔母に会ってきなよ」とでも言いたいところですが、今はコロナ禍なので電話でもしてみるよう促してみようかな?と思っている次第です。

以上が精神障害で困っている人へのわたしからのメッセージです。

良かったらスキを押してくれると嬉しいです!

ではでは、またね。

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