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禁煙25日目(56日目)、単調な日々を送る

依存症から回復するのは地道な作業なんだと気づく。

ただ一日やめるのを続けていくだけの毎日は簡単なようで難しい。

ただ、毎日を積み上げていくだけだ。

すごく地道。

今日も禁煙

今日も禁煙した。

渇望感も嬉しさになってから禁煙が楽になったが、続けていくことって地味な作業だ。

まるで刺し子をやっている気分になる。

単調な作業の繰り返し。


一日禁煙していくことはある人にとっては難しい。

たとえば禁煙し始めのわたしのような人にとっては一日を終えることでやっとの生活だ。


でもどっかでふっきれた人にとっては蟻が砂糖を集めているかのようだ。

砂糖を集めるのにせっせと日々を過ごしていく。


生きることって、砂糖を集める作業に似ている。

地味でそのくせ起伏が無くて時間の秒針を数え出しそうな気分だ。


でも精神障害者として生きることってこの地味で起伏が無くてという部分がない。

何かしらの情緒の起伏があって、決して単調ではない。

ある意味でドラマティックで様々な障害に悩まされる。

わたしは砂糖を集める蟻のような時間を過ごせられることを喜んでいる。

働き蟻になれた!

せっせと砂糖を集めるが如く、禁煙を続けていきたい。

ただ続けることは難しい

単調だからかもしれない。

でも単調な日々の方がずっと良いのだ。

精神障害者として生きている今、特にそう感じる。


単調で淡々とした日々を送ることを経験したい。

依存症からの回復とはなんでもない日々を生きることなのかもしれないなと思った。

本当はただのなんでもない日々なんだ。


日々を困難にしているのは自分自身なのかもしれないなと思った。

たとえば新しい不安を作り出したり、課題設定のし間違えをしてしまったり、自ら日常を困難にしているような気がする。

本当はただのなんでもない日々なのに、無理難題を作り出してしまっているような気がする。


ただ単調で淡々とした日々を送っていきたい。

単調で淡々とした日々も穏やかで愛おしいことだろう。


しかしその毎日には遠いかもしれないが、依存症からの回復を通して、単調な日々を乗り越えていくことを学んだ。

一日禁煙、ただそれだけを繰り返していこう。

ではでは、またね。

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