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短編:【遅延天国】

私が通勤で使う地下鉄は、遅延が多い。
交通の便が良いと言えば聞こえはいいが、相互乗り入れの拠点駅を利用しているのだから仕方がないとは思っている。とはいえ、こう毎日時刻通りの運行が出来ないのであれば、改善対策を検討して欲しいものだ。

ダイヤグラムを組むのが大変なのは、良く分かる。1分を無駄に出来ない状況で、瞬時で失敗の許されない判断が求められるのだから、それはツライだろう。しかしだ。この駅は同じ方向へ向かう電車が、ホーム違いの発着をするのだから、先発ではないホームに降りてしまうと、結構面倒なのだ。もちろんそれこそ乗客もプロの感覚を求められることも解る。運行順番の変更で到着した車両より先に待っていた電車が発車することだってある。せめて出発迄のタイムラグくらい表示頂かないと、停車中の車内で2本3本待たされたなんてこともザラである。

最近気がついたのだが、出発時刻というのは、その時間になった瞬間のことで、その時間内はホームにいるという意味ではないようだ。出発時刻の1秒でも過ぎたら、ギリギリにホームに降りてもドアが閉まって『駆け込み乗車はおやめ下さい〜』と辱めを受けることが良くあった。

割り込み乗車、人身事故、忘れ物捜索、具合の悪いお客様の救護、お客様同士のトラブルなどなど…まあ次から次へと出るわ出るわ…言い訳のデパート。
『お客様には大変ご迷惑をおかけしております』…そう言うアナウンスすら半笑いに聞こえてくる。

おかげで私は常に30分前行動の習性が身に付いた。これは見越し残業になるのだろうか?交通時間ばかり増え、仕事に向かうのか、通勤するために社員をしているのか…
リモートワークが増えている?それは何処の国の話やら、時差通勤などで満員電車は減ったかもしてないが、いまはいまで違ったストレスを溜めた社会人が多くいることを覚えておいて頂きたい。
毎日電車通勤をすることで最初の頃は「本が読める」と喜んだ。厚手のハードカバーでも行き帰りで読み進めば一週間程で読破できる。しかしだ、それも一カ月と持たなかった。PCを担ぎ、紙の書類を持ち歩く昔ながらの営業にとって、その重量感のある紙の束を持ち歩く行為は拷問以外の何者でも無い。え?タブレットを持てば良い?ただでさえ、昨夜の晩酌で頭がズキズキするのに、目を酷使する必要がどこにあるのか。ケータイすらプライベートと会社用の2台持ち…最近では個人用を家に忘れても別段気にしなくなって来た…

そんな日々の中“日頃の遅延をお詫びして”【大迷惑祭】なるイベントが開催された。口火を切ったのが、飲酒しているのではなかろうかと感じさせる、まったりねっとりとした車掌によるマイクパフォーマンス。

『お客様には常日頃ご迷惑をおかけしておりますが〜ふふ…あのねぇ…言ったってね、私どもが悪いわけでは無いですよ…!乗り入れしている私鉄の距離が長いから…そうだよ、あれがイケナイ!あの路線、あまりに遠いから通勤するのが嫌になるんじゃないですか!?どうですか?ご乗車される皆様!そう思いませんか?』

日頃の鬱憤を負のパワーに、力強いメッセージ。
『車内清掃!網棚の新聞紙や車内に転がる空缶なんか可愛いものだ。良く聞きますよね…、只今〜車内清掃をしており…ズバリ二日酔いの乗客の忘れ物ですよ!吐瀉物!液体はね、オガクズに混ぜて固めているんですよ!ニオイだって中々消えない!それがまた他のお客様のクレームとなってましてね…』
駅のホームでうずくまるスーツ姿の男性が目に浮かぶ。なるほど双方に言い分がある訳で、我々は自然とサービスの恩恵を受けている。姿が見えない天の声のような鼻にかかったような喋り方。

『さあ、皆さんどうですか!せっかくですから、リアルな遅延発生の現場を再現しようじゃありませんか!どうです?どなたか、ああ会社に行きたくない…もうこの世には夢も希望もない…そんなお悩みをお持ちの方、いらっしゃいませんか?本日は特別に、無償で電車へのダイブを体験頂けますよ!映画なんかでも良く在るじゃないですか!ええもちろん、疑似ですから、電車は寸前で止まりますとも…。う〜ん…ただね〜どうでしょう…最近弊社の運転手…絶対は無いんですよね〜。絶対止まるかどうかは運次第…ですが、まあ、失敗しましてもちゃんとお詫び致しますからお許しください…』

いつの間に電車の座席に座る私の前に、紺ブレザーの男性が立っていた。深々とかぶった帽子から、見えないはずの目が私を睨み付けている。
『そこのアナタ!さあ!ダイブしちゃいましょう!』

そう指を指されて、ハッと気がついた。

通勤途中のいつもの電車内。会社の在る駅に着く直前だった。

『本日、乗り入れ線駅におきましてドア開閉に不具合があった都合で、現在この電車3分程遅れでの運行となっております〜お客様にはお急ぎのところ…』

遅延のお陰で若干の二度寝ができた。遅延の唯一の恩恵である。ありがたい。その車内の二度寝で見た、おぞましい悪夢。高々3分や5分の遅延ですらクレームがあるのだろうか。かく言う自分もイラッとしていたっけ。車内には、様々な念のようなモノが渦巻いており、それがリアルな現実を膨張させて直接脳に語りかけて来る。

『お客様には大変ご迷惑をおかけしております』

今日もどこかで遅延があり、そしてどんな遅延にもドラマがある…

     「つづく」 作:スエナガ

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