見出し画像

短編:【お忘れ物】

駅の公衆トイレに貼られた一枚のポスターを見た瞬間、無意識に便器の方へ振り返り、ズボンの後ろポケットを探っていた。
【落し物・忘れ物はありませんか?】
乗り換えついでに入ったトイレで忘れ物は無い。朝から天高く快晴の秋空がのぞいていたから傘も持ってきていない。ケータイも胸ポケットに入っている。なのにその一言にソワソワしていた。
【忘れ物】…?

転職活動の面接の日。普段着慣れない、紺色のスーツを着て来た。だからこそ通常と違うポケットに入れたモノが気になってしまう。
「忘れ物なんて無いはず…」
と色々触っていると、上着の胸ポケットに何かが入っている感触。下を向きながら少し上着をズラす。A4サイズの折りたたまれた紙。
「何だっけコレ?」
とりあえず後ろポケットから出したハンカチを口に加え、鏡を見ながら手を洗う。頭の中では今日着る前に、いつこのスーツを着たかを思い出している。
「ああ、あの日か…」
丁寧にハンカチで手を拭きながら思い出したのは、彼女と行ったデートだった。正確には、その日別れた元カノと行ったディナーデート。
「はぁ」
面接前に嫌な記憶を思い出したくはないもので、気が重くなる。
「そうか、あの日のプランをまとめたメモだな…」
見なくてもわかる。デートの前日に伝えたい言葉や想いをまとめた手書きメモだ。
胸ポケットに入った紙の正体を思い出して、そっと胸に手を当てる。気持ちを切り替えホームへ降りる。程なくして電車がやって来た。

訪問する会社までは6駅。面接で答えるべき内容を確認しておこうと、スマホのメモアプリを開いて見る。
「御社の魅力は…」
周りに聞こえない小さな声で復唱してみる。普段言わないような言葉。そのままズバリで心からの文章には聞こえない。しかしいまの転職活動というのは定型文が言えるかどうかも面接で重要な要素だから仕方ない。
【忘れ物はありませんか?】
ナゼダカ頭の片隅に引っかかる。
「何だよ…」
胸ポケットに入った、手書きのメモを取り出す。乱暴に書かれたその文章。たかだか3ヵ月ほどしか経っていないのに、随分昔の自分から届いたメッセージのように感じる。

「本当に好きだったんだよな…」
その文章からも素直な気持ちが伝わってくる。必死に覚えて若干の言葉尻などは違ったが、その真っ直ぐな想いをぶつけたことを思い出す。
『ゴメンナサイ…』
彼女は下を向いたままそう呟いた。
「そうだよね…いまさ、新しい就職先探して動いているんだけど…」
そうだ。彼女はそんなことで断ったワケではない。彼女は彼女なりに今やりたいことを突き進む上で、付き合い続けることが難しいと言っていた。

『次は…』
車内アナウンスが下車予定の駅名を告げる。
「前職を辞めた理由は…」
泣いている場合ではない。が、そんな心にもない呪文の言葉を覚えることに何の意味があるのか。
「違う。僕が伝えたい言葉はそれじゃない…」
好きな気持を伝えなくては。この会社に入りたい、共に働きたい、きっと幸せになれる…だから、質問された内容に素直に答えよう。
「好きな気持ちが詰まったメモか…」
紙を丁寧に折りたたみ、再び胸ポケットに戻す。
「入社出来たら、一度、彼女に報告しようかな…」
【忘れ物を取り戻すために】
次に開くのは入社日になることを信じて。

     「つづく」 作:スエナガ

#ショートショート #物語 #短編小説 #言葉 #写真 #フィクション #言葉に勇気をもらう #忘れ物

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?