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短編:【金網ごしの別世界】

一年で最も陽の長い季節。もう7時を回っているのに夕焼けが空を赤く染めていた。

片手にアルコール度数高めのロング缶チューハイを持って、飲みながら帰宅途中。ナイター設備のあるグランドから大きな声が聞こえて来る。仲間と野球練習をしており、笑いながら全員服装もラフな感じだった。
「チッ、なんで平日のこんな時間からフラフラ遊んでるんだよ!」
中の選手には聞こえない声で毒づく。

散々な一日だった。小さなミスをグチグチとグチグチとしつこく追求してくるお客対応が終わると、そのミスについて始末書を書かされ、さらにはその始末書の誤字脱字が多いと上長に叱責され、最後にはこれまであった失敗についても蒸し返されて、たっぷり三時間も立たされて説教された。
「グチグチグチグチ…」
チューハイをグビッと飲み干す。
「へいへい!それぐらい取れるだろー!」
「出た!ホームラン宣言!ハハハハ…」
グランドから楽しげな明るい声が響いてくる。
「何こんな平日から野球やってるんだよ…」

高校時代。1年でレギュラー候補となる程、私は野球が楽しかった。しかしその夏。練習中に大きな怪我をし、レギュラーどころか野球そのものが長期出来なくなった。金網を隔てる日常は、そこから非日常となってグランドに入ることも無くなった。野球部を辞めて、他の部活を探したがどれもしっくり来なかった。勉強も出来る方ではなかった。当然、そこそこの学校に行き、それなりの青春を過ごして、今の会社にエントリーをした。

「学生時代に力を注いだことはなんですか?」
面接の定番、ガクチカも大したエピソードもなく、それでも営業職で入社した。限りなく黒に近いブラック企業だった。
「ガッツがあると思ったんだけどね…」
さきほどグチグチ言われた上司の言葉が甦ってくる。
「ガッツがないから野球も諦めたんだろうが…」
缶チューハイに口をつけて一気に傾ける。すでに空っぽのそこからは、液体など出てこない。出てくるのは自分に対する悔しさと、汚い罵詈雑言。

「へいへい!バッター外野ヒマだよ〜」
「クソ、こっちは客と上司にグチグチ言われてたのに…」
仲間と呼べる友達もいなかった。当然会社の雰囲気も、誰ひとり目を合わせようとする人もいない。
「なんだよ…オレが野球続けてた未来なら、何か違ったのか?故障しようと諦めなかったら…」
もしも…と思ったところで、過去に戻れることはない。

「うっ」
草陰で一度もどしてしまう。長袖のYシャツを捲し上げている腕で口元を拭い、カバンをひらく。中には営業マニュアルと缶チューハイのロング缶。プシュッと開けて、その場で飲み出す。

グランドに目を向けると、ナイターの照明灯が強くなっている。
「へいへい…」
誰にも聞こえない小さな声で言ってみる。
「へいへい、どうした、そんなもんか?」
自分で自分に声をかける。
「へいへい…」
涙が止まらない。立ち上がれない。

「もうすぐ時間だからラスト〜!」
グランドで大きなフライが上がる。思わず目で追う。
「前!前!もう一歩!」
仲間達が楽しげに声をかける。
その外野手は取れなかった。
「へいへい!」
気がつけば私は立ち上がり、グランドとの境を区切る金網の側まで来ていた。
「もういっちょう!」
外野手が声を出す。ノッカーが大きなフライを打ち上げる。
「後ろ!バック!バック!」
もう一歩。あと5センチ。とその瞬間。バチン!と音が鳴りナイター設備が切られる。しばらくは薄っすらと点っているものの、時間で切られたようだ。
「はい解散〜!急ぐよ〜!」

私は金網を掴んでいた。
「なんだよ。あと1本、取らせてくれよ。それくらいの優しさはないのかよ!」
握り締めた手に力が入る。逆の手に握っていたチューハイの缶も握り潰している。
「オレが悪いんだな。諦めたオレ。中途半端なオレ。ミスしたオレ…」
自答をしても何も変わらない。おかしなことは可笑しいと言えない自分が悔しかった。

「なんだよ、照明が消えてもまだ空は少し明るいじゃん…」
とりあえず、グランド近くにある公衆トイレで顔を洗う。カバンの中から営業マニュアルの横にあった辞表を取り出し、語りかけてみた。
「オレにも平日、仲間と野球をする未来はあるのかな…」

     「つづく」 作:スエナガ

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